其之二百七十九 かげろう





 その人の怒りを知る事は。
 彼の人の微笑みの内を知る事は。
 容易くなく、容易い。



 怒りに燃えて狂と一緒に自爆図る彼の怒りの声。
 「吹雪はすべてを失い…
 …私は心を失ったー…」
 「あなた方の……真の壬生一族の"力"は 地獄しか生み出さない ただの"鬼"ー!!」

 吹雪は、失ったものと、捨てたものがある。
 ひしぎは人を、生き物を想う心を失った。いいえ、
 捨てた、のでしょう?

 彼の喪失したものは。
 己の身体半分。
 生きる事への希望。

 彼が捨てたものは。
 仲間を想う心。
 生きる事への執着。

 それらは、諦め。

 代わりに悪魔の眼の強大な力。
 死へ向かう意志を留める約束の数々。
 縋るもの。
 絶望に塗れながらも、造られし者達の命を救うための、一縷の望みに懸ける情熱。醒めていても、彼は必死に。
 続ける事の意義を思いながらも、何処でやめたら良いのか、何時になったら終われるのか、自問自答したかも知れないわ。
 実験も、自らの命も、また。
 同様に。

 終われるこの時を、待ち侘びていたと、思う。
 造られし命達を助ける事、それ即ち、自分の命。でも。

 生きろと云われたあの日から、死を願う心と、全て消えれば良いという考えも、いつまでも本もので。
 量り天秤に、容易に掛ける事は出来ないけれど。
 エゴイスティックに戦友を、同胞を護る漢と。
 こちらもまた、エゴイスティックに、希望と呼ぶ少年へ、命を預けて未来を預けた漢に。
 生かされてきた。
 捨て鉢になっても、ああ、そう、これらこそが、彼の命を繋ぐ、ほそくてほそくて強い、糸だったに違いない。



 「ひしぎは生物博士ですからね どんな生き物でも大好きなんですよ…… 本当はね」


 本当はね。
 内緒でも、何でもない事。
 造られし命を救おうと奔走する反面、同胞を殺し続けていても。

 いのち が いとおしいと。

 何処から壊れた?
 誰が壊した?
 綻びを、見つけられずに。
 気がつけば、崩壊。
 呆気なく、決壊。
 神の一族などとはおおぼら甚だしい。

 それみろ。
 これが、神の名を語った罪。


 知りながらも、止められる訳がない。
 止まれば、全ては絶望へ。そこへしか行き着かない結末。
 あがいて、もがいて。用意されているのは、真っ暗な道。闇しか見えない中で、光を探す事の愚かしさよ。
 笑えもしない。

 何時か死ぬ時のために、生きる。
 何時か死ねる日のために、生きる。
 約束だ。
 戦友よ、自分よ。
 どれ程の悪に身を染めようとも、王と吹雪を護る。
 それはすべて一族のため。逆も然り。
 どちらでも、自分のため。
 これも、エゴ。
 培養基の中で育てたエゴイズム。誓いは果たそう。

 私の命が終わっても、あなたには生きて欲しい。
 ねえほら、エゴイストの思う事は、一緒。

 「死んだら悲しむ奴がいる… そういう奴は 簡単に死んだりしちゃあいけないんだよ…!!」

 そう、その通り。
 涙は訴える。その温かさで。


 彼は涙を流さない。代わりに。
 自分のエゴのためなのよ。貫いたのだから。
 選んだ道だと。
 心を残さないよう。戦友にも、重しとならぬよう。
 配慮と、限りのない本音。
 礼が利己的と云っておきながら、彼は戦友に最後の言葉を呟いた。


 「…私は…自分で選んだんですよ」
 「死ぬまで…生き抜く場所をー…」
 微笑みすらして。
 「ありがとう吹雪…」


 護れなかった事へ、選択肢を与えてくれた事へ。
 許しを請う心も、礼を述べる心も。
 悔いがないという事はないでしょう。けれど、精一杯生きた証は残る。
 彼は大気に溶けました。
 影も形も残らない。
 目には残らないけれど、あまりに痛烈。心に、記憶に、あなたは残る。刻みましたよ、あなたの生き様。見ていました。
 悲しい思い出は忘れたくなるけれど、なかった事には到底出来ない事実。
 あなたの事も、好き。
 整理出来ない事が未だ沢山あるわ。命を懸けての闘いなのだから、死者が出るのは覚悟の事なのに。見ているだけは、とても辛い。
 何も出来ないのに、何かしたくなる。目の前に、そこに居るような臨場感で。

 何も出来ないのならせめて。出来る事を。
 忘れない事を。

 例えこれからの長い日々に記憶が薄れても、蘇るのでしょう、この想いは。
 鮮やかに現れて、また眠っても、あなたみたいなわがままなひと、そう簡単には忘れないわ。




 そして彼が信頼出来る、もう一人の友に希望を託して。紡がれる、希望の糸。
 死を前にしても、諦めなかったのね?
 まだ、救いたいという思いが、あった。


 だからひしぎに言いたいの。
 きっと、叶いますよ、と。いつか。無駄にはならなかったと。
 だからもう、安らかに。
 ひしぎは聞けない壬生に広がる笑い声。子供達の声。
 あなたや先に逝った人達が願っていた倖せが訪れるよう、願うばかり。

 あと、出来る事は、この先を見届ける事。
 倖せへと願って、目を逸らさない。




 残りはどれくらいの道程だろうか?
 遠く、きっと、とても近い。

 後は生きている者に任せるしかないものね?
 自分で選んだ道を進む、未来へと進む、生命達に…。

 誰よりも優しい、あなたの大好きな、生命達に。





 Dear ひしぎ







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