その人の怒りを知る事は。
彼の人の微笑みの内を知る事は。
容易くなく、容易い。
怒りに燃えて狂と一緒に自爆図る彼の怒りの声。
「吹雪はすべてを失い…
…私は心を失ったー…」
「あなた方の……真の壬生一族の"力"は 地獄しか生み出さない ただの"鬼"ー!!」
吹雪は、失ったものと、捨てたものがある。
ひしぎは人を、生き物を想う心を失った。いいえ、
捨てた、のでしょう?
彼の喪失したものは。
己の身体半分。
生きる事への希望。
彼が捨てたものは。
仲間を想う心。
生きる事への執着。
それらは、諦め。
代わりに悪魔の眼の強大な力。
死へ向かう意志を留める約束の数々。
縋るもの。
絶望に塗れながらも、造られし者達の命を救うための、一縷の望みに懸ける情熱。醒めていても、彼は必死に。
続ける事の意義を思いながらも、何処でやめたら良いのか、何時になったら終われるのか、自問自答したかも知れないわ。
実験も、自らの命も、また。
同様に。
終われるこの時を、待ち侘びていたと、思う。
造られし命達を助ける事、それ即ち、自分の命。でも。
生きろと云われたあの日から、死を願う心と、全て消えれば良いという考えも、いつまでも本もので。
量り天秤に、容易に掛ける事は出来ないけれど。
エゴイスティックに戦友を、同胞を護る漢と。
こちらもまた、エゴイスティックに、希望と呼ぶ少年へ、命を預けて未来を預けた漢に。
生かされてきた。
捨て鉢になっても、ああ、そう、これらこそが、彼の命を繋ぐ、ほそくてほそくて強い、糸だったに違いない。
「ひしぎは生物博士ですからね どんな生き物でも大好きなんですよ…… 本当はね」
本当はね。
内緒でも、何でもない事。
造られし命を救おうと奔走する反面、同胞を殺し続けていても。
いのち が いとおしいと。
何処から壊れた?
誰が壊した?
綻びを、見つけられずに。
気がつけば、崩壊。
呆気なく、決壊。
神の一族などとはおおぼら甚だしい。
それみろ。
これが、神の名を語った罪。
知りながらも、止められる訳がない。
止まれば、全ては絶望へ。そこへしか行き着かない結末。
あがいて、もがいて。用意されているのは、真っ暗な道。闇しか見えない中で、光を探す事の愚かしさよ。
笑えもしない。
何時か死ぬ時のために、生きる。
何時か死ねる日のために、生きる。
約束だ。
戦友よ、自分よ。
どれ程の悪に身を染めようとも、王と吹雪を護る。
それはすべて一族のため。逆も然り。
どちらでも、自分のため。
これも、エゴ。
培養基の中で育てたエゴイズム。誓いは果たそう。
私の命が終わっても、あなたには生きて欲しい。
ねえほら、エゴイストの思う事は、一緒。
「死んだら悲しむ奴がいる… そういう奴は 簡単に死んだりしちゃあいけないんだよ…!!」
そう、その通り。
涙は訴える。その温かさで。
彼は涙を流さない。代わりに。
自分のエゴのためなのよ。貫いたのだから。
選んだ道だと。
心を残さないよう。戦友にも、重しとならぬよう。
配慮と、限りのない本音。
礼が利己的と云っておきながら、彼は戦友に最後の言葉を呟いた。
「…私は…自分で選んだんですよ」
「死ぬまで…生き抜く場所をー…」
微笑みすらして。
「ありがとう吹雪…」
護れなかった事へ、選択肢を与えてくれた事へ。
許しを請う心も、礼を述べる心も。
悔いがないという事はないでしょう。けれど、精一杯生きた証は残る。
彼は大気に溶けました。
影も形も残らない。
目には残らないけれど、あまりに痛烈。心に、記憶に、あなたは残る。刻みましたよ、あなたの生き様。見ていました。
悲しい思い出は忘れたくなるけれど、なかった事には到底出来ない事実。
あなたの事も、好き。
整理出来ない事が未だ沢山あるわ。命を懸けての闘いなのだから、死者が出るのは覚悟の事なのに。見ているだけは、とても辛い。
何も出来ないのに、何かしたくなる。目の前に、そこに居るような臨場感で。
何も出来ないのならせめて。出来る事を。
忘れない事を。
例えこれからの長い日々に記憶が薄れても、蘇るのでしょう、この想いは。
鮮やかに現れて、また眠っても、あなたみたいなわがままなひと、そう簡単には忘れないわ。
そして彼が信頼出来る、もう一人の友に希望を託して。紡がれる、希望の糸。
死を前にしても、諦めなかったのね?
まだ、救いたいという思いが、あった。
だからひしぎに言いたいの。
きっと、叶いますよ、と。いつか。無駄にはならなかったと。
だからもう、安らかに。
ひしぎは聞けない壬生に広がる笑い声。子供達の声。
あなたや先に逝った人達が願っていた倖せが訪れるよう、願うばかり。
あと、出来る事は、この先を見届ける事。
倖せへと願って、目を逸らさない。
残りはどれくらいの道程だろうか?
遠く、きっと、とても近い。
後は生きている者に任せるしかないものね?
自分で選んだ道を進む、未来へと進む、生命達に…。
誰よりも優しい、あなたの大好きな、生命達に。
Dear ひしぎ