貴男はその日を嬉しくないと言うけれど



 やっと聞き出せた隣人の誕生日は今日だという。
 マジでか。
 そう問うたら、不機嫌な表情になった。次いでお得意のポーズを取る。左手は顎を触り、右手は軽く左肘を支えたりして。にっこり微笑むものだから、ああ、嫌な予感。
 「嘘です」
 「マジでか」
 「……私は自分の誕生日など知りません。孤児ですし」
 「そうなの?  はねぇー」
 「聞きたくありません」
 「えぇ! いいじゃん、プレゼント頂戴よ!」
 「嫌です」
 取り付く島もない状態だが、ここで諦めると会話不能に陥りそうな気がして、 は言葉を探す。アキラに口で勝てないなんて事は無いと思いたい。
 「第一、何でそんな話題を出したんですか? 唐突ですよ」
 「だってお互いの事は知っておきたいのだもの。アキラちゃんの事は漏れなく知っておきたいのだもの。そうしたらそれがアキラちゃんをこき使い倒すチャンスに繋がるかも知れないのだもの」
 「…もういいです」
 アキラは盛大に溜め息を吐く。 が乙女ポーズ(胸の前で両手を握るだけ)を決めて少し目を潤ませ言ってみても、目の見えぬアキラにどれほど通じているか疑わしい。雰囲気は伝わっている筈。声にだって、演技過剰といえるくらいのオーバ加減で気持ちを込めて説明した。
 所は甲州街道の入り口。天気は上々で桜の花は散り始めている。桜の枝間から漏れてくる日光は、温い暖かさを伝えてくれた。
 「ホントはとーとつに思い付いただけですよぅ?」
 アキラの後ろを歩く は、時々アキラの影を踏み踏み歩く。意味はない。影を踏んだって小憎いアキラにダメージはないし、速い足並みを止める事など叶わないのだから。
 「 はいつも唐突ですよね」
 「閃きの天才と褒めちぎってくれてヨシ」
 「そしてすぐ調子に乗る…」
 呆れを伝えるアキラの声を聞き流し、 はまた思い付いた事を口にする。
 「アキラちゃん、お団子食べたい。三色の花見団子。お花見しようよ今すぐに」
 「はあ? 団子屋なんてないでしょう。花見なんてしている暇があったら先へ進むんです。したけりゃ一人でやってなさい」
 「アキラちゃんと一緒じゃなきゃヤーダー!」
 大きく足を踏み鳴らし、 はむくっと頬を膨らませる。その頬を散りゆく桜の花びらが掠めた。
 「貴女一体幾つですか?」
 「アキラちゃんの誕生日いつ?」
 「知らないと言ったでしょう。質問で返すの止めなさい」
 「桜、散っちゃうよ」
 「だからって、今からでなくても良いでしょう」
 ここへ来る前に見た山桜は、まだ蕾が多かった。 が残念そうにしていたのを思い出す。それから数日は修業に明け暮れたため、山桜がどのように咲き誇ったか知らない。 は文句も言わず、いつも通りアキラの修業に付き合った。アキラには花見など意味が無いに等しい。
 昔は、何度となく花見と称して、いつもと変わらぬ宴会が開かれていた。ただ見ているだけで良かったのに、つるんでいた連中に無理矢理酒を呑まされた事があった。
 嫌な記憶としてしか残らなかったのだ。
 目を奪われるほどの桜を、見た事はあるけれど。
 今の自分には必要ない。
  が見たいと騒いだら、一人で戻れと冷たく突き放しただろう。


 
 彼女についてアキラが知っていることはさほど多くない。
 ひょんな事から出会って、三ヶ月目に入ろうかというくらいの短い付き合いの中、食べ物の好みやだいたいの性格くらいは把握出来ているのだが。
 共に肝心な事は話さない秘密主義者同士。特にアキラは干渉されるのを嫌った。
 けれどアキラは の同行を拒まない。
  の体術の技量に、内心感嘆してしまったから。 は強い。小さな身体に軽い体重。ごく普通に考えて、純粋に弱いはずの条件。だが、普通の人間の女にしては信じられない程重い一撃で敵を蹴散す。
 特に足技は秀逸だった。
 彼女の旅の目的はネタ探しと聞く。作家志望と言っていた。時折、そうと思わせる発言があるため、本当らしいかな、と思える。
 しかし、この女の言う事の大半は口から出任せのようにぽんぽん紡がれるため、どれを信用して良いのか迷う時がある。
 「アキラちゃんは面白いからネタになる!」
  はよくそう言った。アキラは毎度「そんなのは御免です」と突っぱねるものの、 の日記兼ネタ帳の中身が気になって仕方ない今日この頃。

 アキラ。
 彼について が知る事は多くないが、勝手に空想を膨らませた「 設定」で補完している。アキラには傍迷惑な事この上ない話だった。
 アキラの好きな食べ物は苺ミルクをかけたかき氷。嫌いな食べ物はわさび。 もわさびが嫌いだ。ただ単に辛いモノが嫌いなだけだが、アキラは苦々しい表情で、昔無理矢理食べさせられたのだと言った。
 昔は仲間が居たらしい。
 アキラを含めて五人で各地を放浪していたらしいが、どんな人たちと一緒だったか教えてくれなかった。昔の仲間の事を訊くと、表情が硬くなるし、とても不機嫌になる。
 唯一、「狂」という漢の名は聞けた。その人に追い付くために、強くなるのだという。
 哀しげに、でもそれ以上に誇らしげに。
  は想像力逞しく昔アキラの物語を思い浮かべたが、長くなるのでここでは割愛する。うっかり一節を口に出して、アキラに夢氷月天を喰らわされた事は付しておく。
 自分の事は余り話したくないが、アキラの事は気になる。
 この漢は面白いと真剣に思う。
 からかうとまるで子供のような反撃をする事があるし、キレると口調が雑になる。 はよくアキラをからかい、アキラの毒舌に勝とうと言葉を重ねた。
 アキラの日記帳には、絶対新しく思い付いた罵り言葉が書き連ねてあると思う。今日の毒、とかいう題名でお気に入りの台詞や罵り言葉を書き留めるのだ。参考に見てみたいような、見ない方が心平穏に生きられるような…、複雑な心境。


 「ねえ、あたしの勘だともうすぐ休憩所がある筈なのよ。寄ろう、絶対寄ろう。花見団子開運法で君も幸せになろう!」
  は全く諦めなかった。
 「まったく、よく喋るヒトですねえ…。少しは口数減らしたらどうです? 嫁の貰い手がなくなりますよ」
 「お嫁なんか行かない。死んでも、いやさ、殺しても行かない。そんな面倒臭い事するわけないじゃん」
 「殺してもって貴女…」
 先を進むアキラが、堪らず を肩越しに見遣る。 は心の底から笑って言った。
 「何であたしが死ななきゃならないのよ?」
 「それもそうですね」と、同意しかけて、アキラは口を噤んだ。
 まったく、この女だけは…。
 アキラは自分を棚に上げ、 の個人主義ぶりに呆れ返った。
 怒りが解けたのだろうと解釈し、 はにっこり微笑む。アキラの歩調が遅くなったのだ。また二人並んで歩く。
 「アキラちゃんの誕生日が判らないのは残念」
 アキラはまたか、と思う。しかし相手は だ。アキラが怒った原因を判っていながら、また誕生日の話など蒸し返すようなわざとらしい女。
 「知りようがないんですよ。物心付いた時には、もう一人でしたし」
 「自分で決めないの?」
 「は?」
 「誕生日って謂ったら貴男! ちやほやされまくって、貢がれまくって、お殿様気取り出来る貴重な日なのよ?!」
  は両の拳を握り締めて力説した。アキラがかつて体験した「誕生日」とはまったくもって違う。あれは地獄だった。お殿様ではなく、ただのおもちゃ扱い。
 アキラが嫌な顔をして黙ったので、 は警戒した。歩調は変わらないので、どんな猛毒が来るのかと思ったが、何もない。
 更に怒らせる事覚悟で言う。
 「そんならアキラちゃんの誕生日、あたしが決めてあげよっか!」
 「余計なお世話です。そんな小さな親切心要りません」
 「今日はどう!?」
 「聞けよ…」
 「あ、アキラちゃん見て! うふっ、あんなところに蝶々!」
 「居ねえよ!」
 キレかけたアキラはぐっと堪えて平静を装う。
 「要するに、貴女の目的はそれなんですね?」
 「ううん、違う。初めはただの思い付き。思い付くまま喋っていたらこうなりました」
 「貴女の話は脳みそ通していないでしょう? 口だけで完結させないで、頭使いなさい!」
  は懲りもせず続ける。
 「アキラちゃん誕生日欲しくない?」
 「しつこいですよ」
 アキラの声に冷たさが混じる。
 「まあ、この年くらいになると、あとはもー奈落へ落ちて行くようなもので嬉しくも何ともないかも知んないけど」
 「貴女幾つですか?」
 「アキラちゃんラヴラヴセブンティーン」
 「それも思い付きですか?」
 「うん」
 「ああもうお前黙ってろ!」
 疲れるっ! と怒鳴っても、アキラは同じ歩調のままだ。 にはそれが不思議でならない。いつもなら、 など置き去りにせんばかりの勢いを見せるのに。
 「アキラちゃん?」
 「…今度は何ですか」
 不機嫌だ。でも、何かが違う。
 「ねえ、アキラちゃん」
  は立ち止まった。アキラも止まる。普段のアキラなら気にもしないで歩き続けるだろう。そして、 が勝手に追い付くのを、勝手に待っている。
 だが、 の声音が気になった。
 「何を思い付いたんです? 下らない事なら口にしないで忘れてしまいなさい。私は聞きたくありません」
 「アキラちゃん」
  の真剣さにアキラは息を呑む。何だというのだ。 の唐突さに慣れるのは、大変な労力が要ると思う。
 あれだけ身勝手な連中の中に混じっても、 は違和感なく自分のペースで過ごすだろう。あの、最悪な漢たちに負けず劣らず、アキラを翻弄していたに違いない、と想像。 の言葉を待つ間、アキラは自分のおかしな想像に呆れていた。
 枝葉のざわめぎが、いやに大きく聞こえたと思った時、ようやく が口を開く気配を感じた。

 「アキラちゃん、お誕生日おめでとう!」

 今までも雰囲気を覆すような明るい声で、 はアキラを祝った。
 「疑ってごめんなさい」
 ばつが悪そうな顔でもしているのだろう。アキラは、 の表情を、言葉を感じようと意識を集中している自分に気付き、誤魔化すように喋る。
 「 、貴女頭大丈夫ですか? 春の陽気にヤられたんじゃないでしょうね?」
 「かも知れない。気付くの遅かったよ さんったら!」
 疑った、というだけでの怒りと思っていたが、本当に今日が誕生日だったから余計に。
 「自分でアキラちゃんの誕生日決めたげるってゆったあと、もう他の人が決めてくれてたのかなとか思って。アキラちゃんの前の旅仲間?」
 「……仲間じゃないですよ」
 「狂さんが決めてくれたの? はっ?! 狂さんと出会った日が何年か前の今日なのね? って駄洒落じゃないわよ!?」
 「勝手な空想で喋るのは止めなさいと何度も言ったでしょう。学習なさい」
 「どうなのよ!」
 あくまで引き下がらない は、態度で示す。ぐんっとアキラに詰め寄った。アキラは渋々訳を話し始める。
  に顔を見られたくなかったので、また歩き出した。怒りのオーラを振り撒けば、案の定 はアキラの後を大人しく付いて来る。
  は、初めて聞く人たちの名前を覚えようと頭のメモ帳に書き留めた。
 誕生日の話題の最中、灯という人がアキラの誕生日を勝手に決めた事、ほたるという人に祝いだと言ってわさびを口一杯に詰め込まれた事、梵天丸という人には吐くまで酒を飲まされ続けて最後には気絶した事…。
 散々いいようにからかわれるだけの日だったのだ。嫌な思い出だから余計。
 「だから、嬉しくないんですよ。めでたくない。誕生日なんて。本当に生まれてきた日って訳でもありませんし、喜べる筈ないでしょう」
 アキラにとっては、誕生日の話自体が禁句?
  は小さい頃、両親に沢山祝って貰った。いつも両親から受ける愛情が、特別になって に降り注いだ。
 目の前の大好きな人に、自分からあげたい。伝えたい。
  は猫の様にしなやかな素早さで、アキラに飛び付いた。腰タックルともいう。
 「でも言わせてね。あたしは嬉しい」
 「 …」
 「アキラちゃんに誕生日があって、良かった。灯さんにお礼言いたいくらい」
 灯にお礼? 考えた事もない。
 何故 がそこまで喜べるのか。
 アキラの脳裏に、「アキラちゃんラヴラヴセブンティーン」という台詞が蘇る。
 まさか。
 そんな都合の良い解釈はすべきではない。
 都合が、良い?
 それこそ、まさか!
 「ねえ、やっぱりお団子買おう。乾杯は出来ないけど、お団子でお祝いしようよ」
 「まだ言いますか」
 「言う言う言う! まだ言うよ!」
 アキラは を引き剥がそうかと考える。いつまでくっついているつもりだろうか。はしたない女と罵ってやろうか。この女にどれ程の効果があるのか、期待は出来ない。三歩歩いたら忘れるような記憶力しか持っていないのだから。
 人が嬉しくないと言ったばかりなのに。
 「おめでとう、アキラちゃん!」
 そんなに顔を近付けるなよ、と内心では思いつつ、思わず頬が緩むのは。
 「はいはい、判りましたよ。もういいですから。ありがとうございます。ほら、判ったから早く離れなさい」
 照れを隠すため、早口で捲し立てると、 は上機嫌に笑った。
  には丁度良く、強い風が吹く。アキラと二人、暫し黙って上を見た。

 風に舞い散る桜の花びらは、今この瞬間、アキラを祝うためだけに…。







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