RISE 町の弁護士、マチベン。 その一員になってから、少しはえびす堂の雰囲気にも慣れつつある。 けれど、どうしても、彼女にだけは慣れる事が出来そうにない。 一言でいうと、破天荒。 名は体を表すと謂うが、その通り涼しげな顔をして無茶をやってのけるひと。法廷戦術ひとつにしろ、推理力にしろ、人としてもこれほどパワフルな女は見た事がなかった。 女性弁護士ならば、前に居た大きな事務所でも何人か居たし、知り合いにも多く居る。 ああ、でも、彼女ほど目が離せなくなる人は誰一人として―…。 「神原先生! いつまで突っ立ってんの?」 天地涼子の背を見ているつもりだったが、いつの間にか考え込んでぼーっとしていたらしい。彼女との距離が三メートルほど空いていた。 天地先生が目を細めて僕を見ている。 「すみません。今、行きます」 依頼人の無実を証明する為、依頼人の叔父の殺害現場に来ている。既に警察が調べた後であるのは当たり前の事ながら、証拠品らしきものも、勿論鑑識が持って行っているのだから何もない確率が非常に高い。 しかし、現場から得られるものは、実はそれだけではないとも学んでいた。 「妙な事があるわ」 「はい」 「発見者の証言と、少しだけ食い違っている事がある」 彼女は赤黒い血染めのコンクリート壁を指差した。僕も気付いている。 こうして天地先生とコンビで仕事をするようになり、彼女の洗練された思考に触れる事が出来るのは、とても嬉しい。 置いていかれないように、近付けるように、必死で僕も考える。考え方の切り口が違う。それが、彼女の強みの一つだろう。 クールなようでいて、依頼人に対しては、心熱くとても誠実だ。 見習いたいと、常々思っている。 「犯人は、一体、何を考えていたんだろうね。この屋上で、天体観察をしていた被害者を朝になってから殺した理由…。それが、どうしても、判らない。わざわざ、まだ寒い中、待ち続けた理由は何?」 細かい説明は省くが、依頼人が住む高級マンション…いや、昔の俗な云い方をすれば、億ションと呼んでも差支えないくらいの住居群で起きた殺人事件について調べている。 少ない目撃証言と、マンションの監視カメラ映像、厳しく敷かれているセキュリティなどの状況証拠から考えていくと、どうやら犯人は屋上に居たらしいのだ。 被害者より先に、ずっと屋上に居た…。 そして、四月二十五日、午後十時から天体観察をしていた被害者を明け方に殺し、逃走した。このマンションの敷地内の至る所に設置されている監視カメラは、逃走の模様を途中までは映していた。 しかし、何故か最後まで、つまり、唯一の出入り口であるゲートには、帰る時の映像が全く無いのだ。 警察はまだ敷地内に居るか、或いは同じマンションの住人に犯人が居ると考えて捜査をしていた。今や既に四日経っているが、真犯人は捕まっていない。 人相を判別しにくくする為、サングラスとマスク、野球帽に黒の革ジャンという、いかにもでありきたりな出で立ちの男。体格と背丈からして男であり、そいつが最重要人物となっていた。 そういった特徴に似ていて、更に宅配ボックスから凶器と思しき鉄アレイが見つかったとして、隣の棟に住む、被害者の甥が重要参考人として警察で取り調べを受けている。鉄アレイには血が付着していた。 叔父や闇金に借金があった、などそれらしき動機と事情は掴めるが、決定的な証拠はない状態。 えびす堂への依頼は、昔天地先生が受け持った依頼人が勧めてくれたから、だそうだ。天地先生なら、信頼出来ると云われたとも言っていた。 犯人の心理状況…。判りたくもないが、心理トレースは必要な事だ。 そして、もうすぐ、日が昇る時刻。 「朝焼けが始まりましたね」 「天体観測…。太陽が出るまでしているような事? うーん、日の出まできっちり星を追い掛けるのが精緻なデータを作る為の必要行為なんでしょうけど。帰ったらもう少し、今までの観測データ見直ししてみよう」 僕が言った事には軽く頷いただけだった。すぐさま元の話題に戻される。 それ以上は話さず動かず、太陽が昇るのを見守っていた。 薄黄、薄橙と紺色のグラデーションの空は、次第に白い部分が多くなっていく。 「死亡時刻が間違っていなければ、被害者はこんな綺麗な朝日を見て、殺された。いえ、出る前だったかも知れませんが」 「日の出時刻も調べるわ」 「それ、重要でしょうか?」 「判らない。でも、勘だけど、動機に繋がる気がしてならない」 犯人は通り魔とは考えられていない。怨恨による計画的殺人だと思われている。脳髄が飛び散るほどの、凄惨な殺し方をしたからだ。所持額約十二万の財布や、最高級ブランドの時計は盗られていなかった。 「さて、朝だ」 彼女が言った通り、朝だ。夕方寝ておいたが、眠気がある。屋上には、かれこれ三時間半ほど居た。 「朝で想像するものって、ある?」 唐突に、彼女は訊いた。 「朝? 何でしょう。朝食、早起き、朝日、朝まだき、暁、東雲、朝顔、ええと、早朝マラソン?」 「何でマラソン?」 怪訝そうな声が冷たい空気に響く。 「下に走っている人が居ます」 鉄柵の下を指差すと、天地先生も鉄柵に寄って下を見た。そのまましゃがむ。 「あたしはね、神原先生、夜明けを待っていた気がするのよ。明けない夜はない、ううん、朝の来ない夜はない、かしら。犯人は自らに言い聞かせるように犯行に及んだのか、それとも、被害者にそれを伝えたくてこの時間帯を選んだんじゃないかな」 「でも、殺しました」 「うん。後者の場合はちょっと無理あるね。でも、それは殺すつもりがなかったと考えたらどう? 或いは、殺そうかどうか迷っていた。そう、このマンションに入る時から、怪しい格好をしていたのだから、殺意ゼロではなかったはず。前者の場合は、被害者を殺せば自由になる…という意味だったのかも。でも、何かが違うと思うのよ」 何か、被害者と犯人の接点を見つけないと先へは進めそうにない。ただ、彼女の意見には興味を覚えるところで、思考の筋道の大まかな方向は定まった気がする。 「朝の来ない夜はない。それだと、まるで励ましているみたいですね」 天地先生は僕を見上げて、ふっと笑った。 「そうね」 彼女の笑みは、とても魅力的だ。 時に大胆不敵な笑顔ですら。 「あたしも、そう思った。見る人によって、その時の心理状況によって、綺麗な朝焼けも全然別物に見えるんでしょうけど、空がよく見えるからかしら。ここは高いところだから余計に良く見えるわ。あんなイイモノ見たらさ、今日も一日頑張ろうって気になるってもんよ」 犯人が潜んで居たとされるのは、金網に囲まれた貯水タンクの裏側か、子供会・マンション組合会の物置の中。 そこで、朝が来るまで、犯人は一体何を思ったのか。 朝焼けを見て殺意をなくす事もなく、殺したのは何故か。 動機がなんなのか、逃走手口よりも頭も悩ます問題だ。真犯人が捕まったからといって、本当の事を話してくれるとは限らない。 容疑者である甥と同様に。 今までの依頼人たちと、同様に。 「さーて。一旦帰りましょう。じゃ、お疲れ!」 「あ、はい。…え、あの、家に帰るんですか?」 「いいえ。あたしは直接事務所へ戻る。まだ調べ足りない事あるし」 「僕も行きます。どこかで朝食食べません?」 「のんびりしていられない気分なの」 ということは、お断り、ということだ。 「空腹だと、頭回りませんよ」 「食べるわよ。コンビニでおにぎりでも買って行くわ」 「駅前のパン屋、駅につく頃には開店するはずです。そこでしっかり食べて、仕事をしましょうよ。天地先生、忙しさにかこつけて、よく食事し忘れるでしょう?」 「…しょうがないわね。判ったわよ」 よし。 一緒に朝食権、獲得。 今度は、ディナーが良い。えびす堂の皆で飲みに行く、のではなくて。 天地先生はしっかり者のようで、放っておくと心配になる事があるから余計。 目が離せない。 仕事だけじゃなくて、少しでもこの人と一緒に居たいと、そう願う。 朝の光の中で口元を斜めにし、渋々といった態の彼女は、僕が「判ってくれれば良いんですよ」と言うと、「何それ」と、太陽のように笑った。
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