冬の兆しは春の兆し 商店街に並ぶショーウインドウ越しに、彰の手が遠退いたように見えた。察するに、狙いはこちらの肩。 自分は嫌われたのだろうか、と考え始めていたがどうやら違うようだ。なぜ、触れられなくなったのか? 嫌がっていたことに気づき、遠慮してくれているのだろうか…。 ならば、誤解を解きたい。どうやって気持ちを伝えようかと思案。 「あ、あの」 「ん?」 「どうして最近かっ…」 肩組まないの? では、直接的すぎると思い直す。一体どんな言葉なら当たり障りないだろうか。 信子が途中で言葉を止めてしまったので、彰なりに考えてみるが、思い当たらない。 「いや、判らん。降参。野ブタセイッ!」 「あ、い、いや、うん…」 「それはまったく答えになってないのよーん。言うだけ言ってみ?」 「ううん、いい」 「きーになるじゃんかー。今夜眠れなかったら野ブタのせいにする。決定」 「……」 想う余り、眠りにつくのが日々困難になっているのは、確かなのだけれど。彰は信子の様子を窺いつつ、思い切って彼女の顔を覗き込んだ。 「どうして最近か、の続きを述べよ。ほらほら野ブタ、はーやく野ブタぁ!」 拍手して急かしてみるが、信子は益々俯いて早足になった。 こっそり溜め息をついて信子の後を追う彰。信子が真っ直ぐ向かった先は、商店街の喧騒から離れた神社だった。人々の声は、遠い。 「ドゥーした?」 信子は神社の奥、境内の隅にあるベンチへと歩んで行く。 彼女が何を考えているか全く判らない…。彰は情けなくなった。が、同時にごくり、とのどを鳴らす。 何でまたこんな人気の無いところへ来るんだ相手が俺だからいいものの! と、真っ先に思い浮かんだ本音とは裏腹なことで、口元を歪めてみる。色々な意味で、チャンスかもしれない…。 信子はゆっくりベンチに腰かけ、鞄を膝上で抱えた。彰も倣って隣に座る。途端、咳が出た。風邪か、と呟く。 「ドゥーして細菌化? なんつって」 相手に伝わり難い独り言を言って笑うが、信子の反応はゼロ。まあ、待つのは、慣れた。反応が返らない事もあると、知っている。 「まーー、ドゥーしても言いたくないってんなら、もー聞かない事にする。夕闇に二人でまったりするだっちゃ」 信子の視線が泳ぎ、彼女は両手をすり合わせた。 信子が冷え性だと聞いた事はないが、女の子は身体を冷やしではいけないと思う。 「野ブタさあ、寒くない?」 「……寒い」 「…うん。流石に、マフラーや手袋はいるかもな」 彰はもうマフラーをしていた。平山から言われて、昨日から巻いている。対する信子は、マフラーも手袋もしていない。 信子の白い手が、寒さで余計透き通っているように見えた。 ああ、触りたい。 もとい。 暖めてあげたい…。 彰は散々迷った揚げ句に、上擦った声で信子の名前を呼ぶ。 「何?」 「さ、寒そうだね」 「寒い」 「…さっき聞いたよね。ハイ。ええと、何、何だーー」 挙動不審人物が頭を抱える。 あと、もう少し。 勇気があれば…。 鞄の中にある、野ブタキーホルダを思い出す。信子が直接野ブタパワーを注入したものだった。 「力ってどうやったら出るのかな?」 そう呟いた信子のために、彰が考案した野ブタパワー…。 「野ブタパワー、注ッ入ー!!」 信子は急に叫び出した彰を凝視する。 「ど、どうかした?」 ばっと顔を向けてくる彰に、信子は軽く息を呑んだ。 とても、真剣な顔だったから。 「野ブタ、寒い? 寒いよな? 今言ったよな?」 「う、うん。言った」 「じゃ、寒くないように…」 本当は、一緒にマフラーに包まれれば一番なんだけど…。 そんなことを思いながら、彰は自分のマフラーを信子に巻く。 「これで、温かくなるんだ」 「……でも」 「俺は平気。へいきーへいきー、へ、っへ、へくしょい!」 今度はくしゃみだった。 「あーららー。だーれか噂してるっちゃー」 「ダメだよ。か、風邪引いちゃう」 信子は慌ててマフラーを外そうとする。彰の体温で、まだ温かい。少しでも暖は必要だろうと考えた。 「いい。だいじょーぶ。じょぶじょぶ! バカは風邪引かないから。って、自分で言ってんじゃない! バカヤロ! はッはっはっは!」 おどけて言う彰だったが、信子はまだ心配そうで、マフラーから手を離そうとしない。彰は、小さな手にやんわり触れて破顔する。 「いいって。野ブタが風邪引く方が嫌だし」 とっとと家に帰えれば万事解決、という考えは、この際思いつかなかった事にして。 信子の両手を取ると、爪の下が紫色になりかけていると判明。彰は眉を顰めて、言う。 「やっぱり明日からは、マフラーだけじゃなくて手袋も必要だあ。野ブタ、忘れちゃダメだぞん」 優しい声だった。 「うん…」 深く頷いた信子が顔を上げた時、二人の視線が絡み合う。 先に視線を逸らしたのは信子だ。 「せ、せめて」 小さく呟いた信子は、彰の手を逃れた自身の手でマフラーを外した。さっと猫のように彰に近づき、自分と彰にマフラーを巻く。 自然、二人の距離は、ゼロ。 「うそ」 彰は間の抜けた声を出した。 「は、外したら、帰るから…」 彰の腕に当たっている信子の頭が、喋りに合わせて彰へ振動を伝えた。 「は、外しませんよ。外す訳ないじゃん。じゃん! うん、いや、あのね、実はやっぱり、少しは寒いかなーなんてね。なんちゃってでゴザイマスよー」 動揺しながらも、心の中では再度野ブタパワーを注入。 「ど、どうせなら、肩も組んじゃう?」 沈黙。 信子は全く応えない。 息が詰まりそうなほどの静寂の中、彰は諦めたように口を開いた。 「流石にソレはないよな。バカヤロー大将!」 彰は上手く笑えなかった。 「べ、別に」 信子はいつも言葉少なだ。少しずつ交わす言葉は増え、会話のやり取りも時間が長くなっている。 だけど、多少の言葉の足りないところは補って解釈し、確認を取るのが常。 俺は卑怯だ、と思いながら、確認も取らずに、手を上げた。ゆっくり。 肩に回された腕のほのかな暖かさは、だんだん熱いくらいに思えてきた。何故だろう、と考えてみるが、相手が草野彰だから、としかいいようがない。 初めは嫌に思うこともあったけれど、久々に感じる温もりにすっかり安心している自分がいる。信子は僅かに目を伏せた。 寒くても、信じられないくらいに温かい。 胸の内までも染み渡るように。 何だろう、これ。 信子は正体不明の感情を逃がさないように、閉じ込めるイメージで完全に目を閉じた。 月が出て、星が輝き始めても、「帰ろう」という台詞は、二人とも言えなかった。
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