defeated by you −ver.attack− 「修二、受け取ってくれるかな」 「大丈夫。まり子、大丈夫」 「うん…」 夜の木枯らしは、コートとマフラーで防備していてもかなり堪える。手袋をしている両手がかじかんでいた。心までも、震える。 海の香の漂う町で、信子とまり子はきっと前を見据えた。 これから戦へ参る。 バレンタインという、戦だ。 震えなんかで、立ち止まってはいられない。 さあ、決戦へ。 聖戦へ! 彰と修二が居る学校の授業は、とっくに終わっていた。 まり子は事前に修二へメールを書き、信子が彰にチョコレートを渡したいので、十四日の動向を教えて欲しいと頼んだ。彰には、内緒の事である。 駅前や町中をぶらつこうにも、行ける所は時間帯的に限られた。そのため、修二は学校で時間を潰す方法を考えて同学年の男子と女子を巻きこみ、愛の告白大会を行わせる作戦を決行。当然の如く彰も手伝いをした。 信子たちがこちらへ着くはずの時間までに三組のカップルを誕生させ、頃合いを見計らって修二は大会をお開きとする。 盛り上げ役に一役買ってくれた新しい友達たちに礼を言い、修二と彰は帰りの支度を始めた。 「なあ彰。帰りにさ、駅前のミスドでドーナツ食わない? 今チョコレートの商品、いくつか安いんだぜ」 「いいよーん。俺らはー、かわいそーに、自分たちで買っちゃう訳だね! あ〜さみしいさみしい、サミシンボ! マンボ! ウッ!」 彰は両手でマラカスを振るジェスチャをしてみせる。 「寂しいとか言うな…。まーとにかく、作戦成功祝い! そして同時に、俺プロデュース成功祝い!」 何故他人の色恋沙汰に首を突っ込み、カップル誕生の大会などを開くのか? 答えは、またもや人気者の桐谷修二君(以前の思いっ切り「かぶりモノ」修二ではなく、彼の新しいルールで前向きに、嘘モノではないという条件の)を演出するためである、という。 彰はあっさり納得をした。 修二としては、同じ自分プロデュースでも、苦しさを感じなくなっていた。それは、側で見ている彰も良く分かった。 どこでも生きて行けるのだから、新しい自分だって、つくり出せる。 人は変われる、ということを彼らの大切な友人は教えてくれた。 草野彰は、大切な友人を思い出し、思わず溜め息をつく。 「何? 何、どうしたの。その今にも消え入りそうな感じの溜め息は?」 修二は自転車の鍵を取り出しながら、彰を見やった。 「今日はバレンタインなのよー」 「んな事は知ってるよ」 「何かさ、寂しいね」 「寂しくねーよ」 「だね。修二はチョコ貰ってたもんね」 「義理だろ。つか、俺、甘いものダメってはっきり言っちまおーか迷ったんだけどさ、ここはひとつ、俺プロデュースの一環として受け取っておかねーと、みたいな?」 (ま、これっくらいの嘘はイイだろ。いや、嘘じゃねーよな。「苦手だけど」って多少なりボカシただけで。うん) 心の中で一度頷いて、更に本当に一度頷く。修二が自転車に跨がっても、彰はまだ鍵も出していなかった。 「…野ブタ、元気かなー」 「元気だろ」 「野ブタのチョコ、欲しかったなー」 「来年貰えば?」 「来年の二月十四日って、何曜日だ? 日曜日ならいいのにー。あ。あああ。今年版の野ブタプロデュース大作戦手帳、作ってねーだっちゃ」 「いや、もーいらねーじゃん」 「そうね。…ハァ」 動こうとしない彰に、修二は苛立ち混じりの声で急かす。 「落ち込むのは分からなくもねーけど、もう時間ないって! 美味いの売り切れちゃうって! あーも、俺が一個だけ奢ってやるから!」 「ホント?」 「ああ、一個だけな」 食べ物で彰を動かし、二人は駅前のドーナツ屋へと急いだ。 実のところ、信子と会っていられる時間は短い。 信子は、行きは停車駅の関係で電車とバスを乗り継いでやって来るが、帰りは電車のみとなるため、終電の時間を逃させる訳にはいかない。終電であれば、新幹線の停車駅まで一本で行ける。 待ち合わせは、正にドーナツ屋。修二は腕時計を確認し、もう信子は到着している頃だろうとふむ。 何せ、彼女は携帯電話を持っていない。今回の作戦は、信子の家の一般電話とまり子とのメールのやりとりで詳細を決めたくらいだ。天気によっては、電車が遅れたり、最悪停まってしまう事だってある。今のところ、そういった情報は入っていないけれど。 「よし、閉店三十分前ー!」 「彰、やべえよ、すっげえ混んでる」 「う・わっほい! 何だー? みんなサビシンボ・マンボの集い?」 彰が素早く自転車から降り、鍵を外す。修二は防犯ロックをセットしている分、遅れた。 「彰、先入ってて!」 「オッケイ! 任せんしゃい!!」 女子高生集団を追い抜き、勢い良く店内に入って行く彰を見送り、修二は防犯ロックを外した。自転車の鍵を宙に放り投げる。そして、キャッチ。 上手くいけよ、と願いつつ、修二は自転車を動かした。自宅の方向へ、転換。 ふと、向かいの喫茶店の窓越しにこちらを見つめている少女に気づき、一瞬、修二の中の時が止まった。 「…なん、で…。予想のひとつも出来なかったんだろうな」 バカな俺、と小さく呟いて、修二は再び自転車を動かす。喫茶店の窓越しに、まり子と再会を果たした。 まり子が手招きをする。修二は大人しくそれに従った。 次に会う時には、まともな人間になっている。と、まり子に言っていた。 まだ、とてもじゃないがまともになった気はしていないけれど、ここで彼女を拒否する事は、到底出来なかった。 「あっれ、修二来ないじゃん。席取りしてるべき? ドーナツ先に買っとくべき?」 ちょうど空いた二人用の席は取れたが、どんどん売れて行くドーナツを寂しく見つめる彰。店内をキョロキョロ見渡せど、見慣れた修二の顔はない。入り口に目を向けると、店の奥にあるカウンタ席で視線が止まる。 見慣れた後ろ姿だ。 肩口で切り揃えられている黒髪の少女は、コンパクトミラーで店内を探っていた。怪しい行動である。しかし、間違いない。 彰の大切な友人―…いや、大切な想い人。 野ブタ。 と、声にしてしまうより先に。彼女が敏感な反応を見せた。 「い、いた。あ、彰ッ!」 鏡越しに彰を見つけた信子は、椅子を蹴らんばかりに立ち上がる。隣の会社員の女性が驚いて信子を見上げた。 他の客も、そして店員も、信子を見る。 「…!!」 信子は辺りを見渡すと、躊躇の後、彰へと一直線に向かった。 「いやん、野ブタ、声デカすぎ〜。シャウト!」 「ごめん。ちょ、ちょっと、外へ」 信子は懸命に彰を引っ張って外へ出ようとするが、彰は信子を引っ張り返す。 「嫌だ。お外寒いじゃんか。ここにいようよ」 「いや、ちょっと…」 「だいじょび。はいは〜い、みなさーん。お騒がせしてすみませんでしたあ! もー大丈夫ですからねー。みなさん、ごゆるりとお楽しみ下さーい」 彰がパンパン手を叩いて、終了の合図を告げる。客はまだ見ている者もいたが、大半は自分たちのお喋りなどに戻った。 「せっかく二人分の席があるんだから、野ブタ、こっちにトレイ持ってきてあげる」 「いや、いい。自分でする。彰は、先に自分の分を買いなよ」 何も乗っていない黄色いテーブルを見て、信子が提案した。 「そうね。…小腹空きをちょこーっと埋めないとね」 彰がコーヒーとドーナツを注文し終えた後、ようやく二人は落ち着けた。 「要するに、修二とグルだった訳ね?」 信子は無言で窓の外を指差した。 「…。げ。あれ、まり子?」 「そう。二人で来たの」 向かいの店では、修二とまり子が手を振っている。 「あんらまー」 「まり子が一緒に来る事は、修二に内緒にしていて。私が来る事は、彰には内緒にって、修二に頼んだ」 「サプラーイズ、大成功! だって俺、さっき息止まるかと思ったし」 「ごめん」 俯く信子に、彰は優しく笑う。 「謝んなくっていいのー。野ブタの気持ち、うれしーだっちゃ」 「…そう?」 「うん」 「良かった」 そっと微笑む信子を目の当たりにして、彰は大きく動揺をする。 (か、かわええ!) 照れ隠しにドーナツをガツガツ食べてみた。のどに詰め過ぎたせいでむせたが、コーヒーで押し流す。 「大丈夫?」 「ふん、はんとか(うん、何とか)」 「あのね、時間ないから、言うね」 信子はショルダバックの中からチョコレートの箱を取り出した。自分の心に勇気を渡すように、目を閉じる。 その決意と気持ちは、彰に届けたい。 それしか、ない。 「バレンタインのチョコレート。受け取って下さい」 信子が両手で差し出した、赤い包装紙の箱。金色のサテンリボンが店内の光を反射して煌めいた。 彰は無言で両手を箱に添える。 信子が手を離すと、彰は「はい」と言って頷いた。 「私は、私は…」 俯きがちだった顔を上げ、彰を見る。彰は黙っていたが、信子を見る視線が熱を帯びているようだった。信子はそれに気づく。 その熱の力を借りて。 自分の熱も上がる。 飛び立つ気球を思い浮かべた。 「私、小谷信子は、く、草野彰が、好きですっ」 我が耳は疑うまでもない。 目の前の少女は、やや頬を上気させて、熱心にこちらを見ている。 彰ただ一人を見ていた。 いつか言おうと思っていた台詞を、先に言われてしまった。 緩み緩むだけの頬は放っておいて、幸せの絶頂から彰が告げる。 「もちろん、俺も、野ブタが好きーだ・っちゃ!」 コン、と狐手で返す彰。とても幸せそうな笑顔だ。 信子は体全体から熱を発する。顔はもちろん耳だって真っ赤になった。 (この笑顔が見たかった…) 赤い顔を隠す信子の後ろで、同じ高校の制服を着ている女子四人が、信子と彰の様子を窺っていた。彰はそれに気づきつつ、言う。 「じゃ、これからは、の、のぶこーっとか呼んでみる…」 「う、うん。いいよ」 「よっしゃ! みなさーん、お聞きになりましたー???」 ガッツポーズを取る彰の呼びかけに、周りに座っていた客たちが反応をする。 『はーーい!』 「……え?!」 信子が慌てて周囲を見渡すと、グっと親指を立てる女子高生集団に、ぱたぱた顔を仰ぐ仕草をする女性コンビがいた。さらに、信子の視線を受けて見詰め合うカップル…。 「え…」 「信子の声、この辺りの席の人には丸聞こえ? っつーか、さっきから注目集めてたみたいねーん」 さらりと言う彰に、「早く言ってよ…」と信子はげんなりした声を出した。 「やっぱり、他へ行けば良かった…」 信子が後悔をしても、もう遅い。 「俺たちが相思相愛めでだしカップルだー! ってことは、ここにいるみなさんが証人ですねー? コン!」 『コン!』 何人かが狐手の真似をした。ノリの良い人達である。 信子は穴を掘って入りたくなった。涙目で精一杯肩を縮めた。 そんな反応の信子にはお構いなしに、お祝いにと、女子高生たちは追加注文のドーナツを皿に盛ってくれる。 「おめでとー!」 去り際に、にっこり笑って祝福してくれた。 「あ、あり…がとう」 もう帰る時間が迫っていたが、彼女たちの気持ちがとても嬉しかった。信子はいちごチョコのかかったドーナツを頬張る。 こんな事になるとは、全く想像だにしていなかった。人懐っこく、良い意味で周りを気にしない彰には、いつも驚かされる。 「私、彰には敵わない」 「それは俺の台詞。俺の方こそ、信子には敵わないと思ってる」 互いに微笑み合い、見つめ合う。 終電の時間は気になったが、信子は彰と過ごすこの心地良い空気のお陰で立ち上がれないでいた。 また、離れてしまう。 自分から、修二と彰は二人でひとつ、と言って、彰からも離れたのに。 信子は泣くのを必死で堪えた。 「…信子、また来月会お。今度は、俺が行く番だ」 「うん。待ってる」 約束は糧になる。 気持ちはずっと、強くなる。 離れていても。 離れていても、あなたを想う。 チョコレートのように溶けてしまったりはしない。 この思いの強さを、私は信じてる。 彰が好き。大好き。 「彰、大好き」 魔法じゃないから、解けたりもしない。 ただひたすらにひたむきな、ハートの想いを信じてる。
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