defeated by you −ver.wait− 平日の夕方、信子はリビングで独り勝つとも知れぬ賭けをしていた。 「来る、かな」 綺麗にラッピングされたプレゼントをそっと両手で包み、ベランダの外へ目を向ける。もう空の殆どは闇を受け入れていた。 星も見えないのはいつものこと。 待ち人、来らず? それは、困る。 来てくれたら、会えて嬉しいと言えるだろうか。 もうちょっと、素直に。すなおに。 そう、なりたい。 「普通、女の子からあげに行くよね。…待ってるかも。こっちが待っているんじゃ、ひ、ひきょ、う?」 それとも、自信過剰? あのひとは、私に会いに来てくれる、なんて。 自分からは歩けない? それじゃ、変わってない。 何も、変わってない気すらしてきた。 私は、弱いまま、助けがないと駄目なの? 手を引いてもらわないと、歩く事すら? 箱を手放した。 空いた手の平で、握り拳を作る。ぐっと。ぐっと。短く切り揃えた爪でも、手の平に食い込むほど。 想いの行き場がない。 溢れそうな想いは、自分の手で握り潰せはしないのだ。 それが出来たらどれだけ楽か。 思い詰める余り、唇も噛み切らんばかりの直前。 ピンポーン 親は、勿論チャイムなど鳴らさない。回覧板はとうに回した。まさか、こんな時に宅配便というオチではない、と思いたい。 信子は椅子から立ち上がれず、息を呑んだ。 「たっきゅーびんでェーす。あきらじるしのー、エクスプレース!」 聞こえてきたのは、のんびりとした調子の、独特の台詞回し。 待ち侘びた声だった。息を吐き出しもせず、更に吸い込む。 「こたにーのーぶこさーん、無料集荷サービスにやって参りましたァ。草野彰宛に、なんっか大切なものをお届けになる予定なんじゃないかなってゆー、希望的観測のもとー」 慌てて箱を握り、いや、潰してしまわないよう精一杯力をコントロールして―…、信子は玄関へと走った。 ドアを押すと、驚きの声が上がる。 「 アブね! って、そーんなに急がんでも、すぐ帰ったりなんかしないのよーん」 白い息を弾ませて、彰が破顔する。 信子も、短く笑った。 「…来たんだ」 「うん。来ちゃった」 「………来てくれたんだ」 「うん。来たかったから」 嬉しさの余り、信子は言葉が続かなかった。 もっと、言いたい事はあるのに。 時間はとても惜しいのに。 信子は微かに震える声を絞り出す。 「久し振り」 「うん」 「元気だった?」 「うん。野ブタは?」 「元気。あれからも、何とかやってる。二人が居なくなって、いっぱい泣いたけど、も、もう、平気だし」 「…うん。もう、平気だっちゃー。泣かなくても」 落ち着いた声音で話すよう努めたが、明らかに失敗だった。信子の大きな瞳いっぱいに涙が溜まり、彰は狼狽えた。 平気、といった側から泣かれては、本当に大丈夫なのか、と思われてしまう。信子は急いで瞬きを繰り返した。 「野ブタは強いモンな。俺なんかはー、けっこお、…寂しかった。とかゆっちゃって?」 最後の台詞は尻すぼみになって、更に彰は視線をゆるりと逸らす。 「わ、ったしも!」 信子の声が大きくなった。彰は慌てて視線を信子に注ぐ。彼女の長い前髪で瞳が隠れてしまう。どうしても、あの瞳を覗き込みたい衝動に駆られた。 「野ブタ?」 「彰に…あ、会いたかった」 会いたかった。 その言葉は、彰の内でも繰り返される。 「ホント?」 「…うん」 相変わらず低くて心地の良い信子の声が、やけに神妙に聞こえる。そして、真摯だ。 「俺も俺も! 良かった、一緒だった」 嬉しそうに弾む声。彰はその場でクルリと一回転する。 「見て、新しい高校の制服。今度はガクランなのよー。似合うっしょ? ドゥーよ?」 もう一度、今度はゆっくり回って見せた。 「いいね」 「だっしょー? あっちイイトコだからさ、春休みになったら来てみな。俺海とか案内するし♪」 「うん、行きたい」 「約束な」 「うん」 彰はそこで沈黙する。 信子も分かっているから、視線で応えた。 「これ、彰へ」 信子は後ろ手に持っていた箱を彰に渡す。存外素直に手渡せた。中身は言っていないが、勿論、チョコレートだった。 「うん。確かに、草野彰宛でバレンタインチョコ受け取りました。送料無料です。お礼は来月お届けです。十四日指定のね」 彰は両手で受け取り、何の真似か一礼した。 ぱっと上半身を起こし、満面の笑みで言う。 「すっげーーーー嬉しいッ!!!」 人様の家の玄関先、という場所を考慮して、少し、彰感覚で少し控えめに叫んで飛び跳ねた。 「野ブタ、ありがとな!」 「どういたしまして。まだ渡すものがあるから、待ってて」 「ホワット?」 信子はさっさと家の中に入って行った。 取り残された彰の希望としては、手編みのマフラーとか、セーターとか。思いを巡らせて、にやける。 「いいねー、それいいねー! 手編みグッドよん」 にこにこして待っていると、寒さも吹き飛ぶ。信子はすぐに戻ってきた。その手にあるものを見て、彰は我が目を疑った。 「…それ?」 「これ」 銀色の包装紙に包まれた、チョコレートが入っているだろうと思われる、箱。 まさか、まさか。 「修二に」 「言うと思ったー! まさか! って、いや、勿論いいけどさ、いやいやよくはねーだろ」 彰は右手を額に押し当て、信じられないと首を振る。 「何で?」 「何でとお聞きになりますか! あ、あれ、え、いや、義理だよね、勿論修二のは義理だよね?」 「…考えてなかった」 「かんっ…。え、俺のは本命だよね? 即ち、それ以外はお世話になりましたーっていう、義理チョコだよね? なっ!」 「…?」 小首を傾げる信子に、彰は可愛いと反応する余裕がなくなっている。ずるずると玄関のドアにすがりつき、そのまましゃがみ込んだ。 「あの、バレンタインデイというものには、一番大好きな人にあげる本命チョコと、お世話になった人、あるいは人達にあげる義理チョコなるものがあるってご存じない?」 彰が疲れた声音で尋ねれば、「知ってる」と信子は軽く返す。 「……じゃ、俺のは? ぎ、ぎ? …ぎり?」 そこで「本命チョコじゃないの?」と聞き返せない自分が恨めしい、と彰は情けなさで信子の顔が見られなかった。 「どうだろう、ね」 「…お、思わせぶりー?!」 あんまりだ、と抗議しながら、彰は何とか顔を上げる。 「チョコ、ちゃんと修二に渡してね」 しかし、信子は眉ひとつ動かさず、彰に言い渡した。 「…ハイ」 彰は返事をするしかない。自分は彰急便なのだから。 「で、でも、気になる…」 自分のチョコと、修二へのチョコを見比べる。大きさは、一緒。彰の方は、金色の包装紙に赤いリボン。修二の方は銀色の包装紙に、緑のリボン。 「…中、開けます!」 彰は宣言して、自分の箱を開け始めた。赤いリボンには意味があると期待をしつつ、リボンを解いて包装紙を剥がす。せっかくのプレゼントなのだからと綺麗に剥がしたかったのに、慌てたせいで開け口は汚くなった。 ようやく現れた白い箱。中身は? 「…野ブタ、これ、勝手に期待しちゃうよ?」 彰は上擦った声を出した。 「うん」 「うん、って!」 「どうぞ」 「ど…」 彰は言葉に困った。突き放されたような台詞にも聞こえたが、落ち着いて考えてみる。 「ハート型はー、野ブタのコ・コ・ロ。うん、確かに、ほんとーに、ちゃんと受け取った。超ド級ストレートで、ストライクとられちゃったのよー」 にっこり笑う彰に、信子は無言で頷く。 「ハート、しっかり、イタダキマス!」 信子は照れながら、赤いリボンを拾って蝶々結びを作った。 彰にリボンを手渡した信子は、はにかみながらも精一杯に微笑んでいる。 余りの可愛さに、そして嬉しさに、彰はぼそりと呟く。 「ホンッと、俺、野ブタにゃ敵わなねえー…」 彰の声の幸せそうな響きは、信子の心に染み渡るように伝播。 今度こそ、信子は今までで一番自然な微笑みを彰に見せた。 ハッピー・バレンタイン。
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