距離感 「何喰お。何にする? 」 悟空は、うろん気な目付きでメニューを眺める姉を見遣った。 はアイスクリームが好きだ。特にカスタードプリン、メープルウォールナッツ、ドルセ・デ・レチェ、紅芋ー…以下省略。 そんな洒落たものは、首都から離れて行くにつれ手に入らなくなる。 かき氷は、メロン味が好きだ。舌が緑色になるのが難点だと思っているが、その難点をいちいち鏡で確認して嫌がりたくなるのは何故だろう? かき氷屋の前で数分悩んでから、結局何となくの気紛れで、苺ミルクのかき氷を選んだ。 「うっわ、めっずらし!」 先に選んだ悟空は、ブルーハワイにバニラアイスを載せたカップを持っている。悟空はレモンだろうが小豆だろうが、みぞれだろうが何でも試すのだが、未だ苺ミルクだけは食べた事がない。苺シロップだけならある。あれならいい。 「あたしもそー思う。なんでだろ。いいじゃないたまには。そんなこともあるわよ」 は投げやりになりながら答えた。今日の舌はまっかっかー…なんぞと思いつつ。 苺の味と、練乳ミルクの味が混ざり合い、 は至福の一時を迎える。 「うーまー」 「うん、美味い。けどアタマ痛!」 悟空がぐっと痛みを堪えて上を向く。 「急いで食べ過ぎ」 「 は遅すぎ。つか、いつも飲んでるよな…。喰えよ、氷を」 「途中で飽きるのよ。メロンジュースの方がイイ。今日のは苺ミルクジュースと化す。半分食べて、残りは飲み干すに限る」 「邪道…。それゼッテ邪道だよ!」 「私はよこしまなみちの方が好き多分」 しれっと答える に、悟空が顔をしかめる。 「何言ってんのお前…」 仲良し掛け合いを続けながら、二人は並んで宿への道を行く。 夕飯後、デザートは杏仁豆腐とフルーツをしこたま食べたが、悟空は昼間見かけたかき氷屋の、あの風にはためくのぼりが忘れられなかった。季節外れであるが、今居る地域一帯は、とても暑い。 三蔵にどやされる事覚悟で言ってみて、案の定ハリセンを喰らって、仕方がないので を巻き込んで小銭を貰ったのだ。 流石に、かき氷屋ではカード不可であると踏んで。 も暑さの所為で冷たいものが欲しかった。はっきり言って、食堂のメニューに載っていたバニラアイスの方が魅惑的に見えた。ちゃっかり注文して三蔵に文句を言わせないようにと、隙まで伺っていたのだ。暑い中、わざわざ外に出るまでもない、と。 悟空がそんな の気持ちを察していても、強請れば は折れると見越していつも巻き込む。二人揃って同意見です、と共同戦線を張る機会よりは少ない事だが。 双子でも、食べ物の好みが違う。 は、昔は何でも食べられたが、大きくなると嫌いなものが増えた。どちらかといえば、食わず嫌い。 宿の前の二人掛けベンチに座って、食べ切る事にする。たった一つの街灯は、やや消え掛かっているような頼りない光量。仄かな光で、二人を照らすのみ。 は、早く液状に、飲み易くなるようにと、ストロー型のプラスティックスプーンで懸命に撹拌をしていた。 余りの勢いを見て「零すなよ、 」と、半眼で注意を促す悟空。 「お姉様はそんなことしませんよ。弟君じゃないのですからね?」 「よっくゆーよ。 だってそそっかしーじゃんか!」 「あらあら自分の事は否定しないんだ。あたしも否定出来んけどな。にしたって、悟空程じゃないよ幾ら何でも」 最近はこんな会話がとても多い。 はカウントを採っていないが、カウンタが付いていたら物凄い回転率だろう。 それは何故か? 自分の口数の多さの所為と、悟空の弟的ポジションからの脱出の試みの所為であろうと見当付けた。 生意気にも、姉である の面倒を見ようと思っている。 そうとしか考えられない節が多々あった。 確かに、 は自分でも、昔と比べたらドジが多くなった気がする。気がしないでもない。地方によって、お国によってはそういう見方もあるかも知れない。ほんのすこーしだけ、ドジっ子属性が付いて、愛らしさが増えたと考えられなくもない、とご都合主義まっしぐらな事を思ってみたりもする。 いや、それなはない。と、自己弁護を即否定。 でも、生意気、と思った方が負けている、と は感じた。 「生意気ー」 悟空が口を尖らせる。とっても不満そうに呟かれた、生意気という言葉。 「生意気合戦ではあたしが勝っちゃうよん」 吹き出しそうになるのを堪えながら、 は啜れるくらい溶けた氷を見詰めた。掻き混ぜていた手を止め、ストローに口付ける。 こくこくと飲み続けていると、既に食べ終わった悟空がゴミ箱へ行く後ろ姿が目に入った。 また少し肩幅が広くなったかな、と思う。もう何度目だろうか。旅に出てから、 は余り成長が見られない。身長も、きっともう伸びないだろう。 悟空は、これからまだ大きくなる可能性が残っている。 男の子は狡い、と思う。 そんなことを思う自分は、嫌いだ。 「べーっ」 大人ぶる割りに、 には無防備な所もある悟空。 戻り際、薄紫色に変色した舌を出し、 にあっかんべーをして見せた。 「ぶっふ! あははははっ!! 悟空、舌だけ宇宙人!」 が指差しして大笑いする。 「?! …ああ、ブルーハワイの…。って、いつもは が宇宙人じゃんか! 緑色になってさぁっ」 悟空が怒ってそっぽを向いても、 は頬の緩みを収めず、しつこくのどの奥で笑い続けた。 ああ、良かった。まだガキだ。 しかし、 もガキである。 判ってて、自分の舌を出しながら喋った。 「今日は赤いもんね〜」 舌を出しながらなので、悟空には少し聞きづらく、むすっとした顔を壊さずに へ向き直る。 確かに、赤い。ミルクの所為で苺シロップの時より赤色が薄まるかと思っていたが、 の舌は見事に赤。 時折ちらり、と見えるいつものピンク色の比ではなく、悟空はドキリとする。 てらてらと光沢を持つ舌だから、余計。 ああ、良かった。 がガキで。 冷静に思考を進めて、信じられないくらい大人の表情を見せる とのギャップに戸惑えど、こういった反応があるから悟空は安心してしまう。 自分もまだまだガキだと思うが、自分だけ子供のまま置いて行かれる訳にはいかないのだ。 オトナになりてー、と、最近良く願う。 けれど、オトナの意味が少し判らなくなるから。 空回りしているんじゃないかと不安にもなる。 身近なオトナ組を参考にはしてみても、真似っこじゃ格好悪い。自分はどうしたら、 に頼られるようになるだろうと、普段使わない頭をフル回転させたり。 「 のガキ」 「悟空もガキ」 にっこり、と が笑顔で言い返す。 「あーいえばこーゆう…」 「こーいえばあーゆう」 半眼のまま、ガクリ、と悟空が頭を垂れた。 は笑い声を上げた後、澄ました声で言い切る。 「口で勝とうとするからよ」 その台詞を聞いて、悟空はまだ には頭が上がらないなあ、としみじみ思った。反面、そのうち勝ってやる! という反骨精神も育つ。 あれ? 何か違わね? はっとして顔を上げ を見ると、彼女の瞳には、何とも情けない己の顔が映っていた。 (うっわ、ダッセぇ!) 悟空は両手で顔面を覆い、思いっ切りのけ反る。 悔しい。非常に悔しい。 に負けっぱなし人生は御免被りたい。 いやだから、勝ち負けじゃなくってさあ俺よ。勝利、優位、を勝ち取る事は、決して俺が よりオトナになった証とは違うモノ。 そんな事は判ってんだってば! 「何海老反ってんの? 何時まで歌舞伎技っぽい事やってんの? つか意味不明な一発芸は止めて下さい。どう突っ込んで良いのやら…」 「突っ込まなくていーよ。困んなくっていーよ。もー…。あーもー!!」 やっと体勢を戻した悟空が、今度は頭を抱える。 弟の奇行にも、 は全く困らず、しかし表情だけは困らせていた。ふう、と溜め息まで吐いてみせる。 「あんたねー…何でそーなんのよー。今に始まった事じゃないでしょー? あんたがあたしに勝てないなんて事は。特にお口。てかな、こういった不毛な言い合いは、先にキレ方が負け。キレたと見せかけるのはいいけど、悟空は本気でキレるんだもの。そんで頭の中ぐっちゃくちゃになって喋らなくなるでしょ? 喋るの放棄したら駄目じゃない」 「んなコト言われてもさー…」 悟空の声には覇気がない。完全に気持ちの上でも負けている。気の抜けた顔で を見ると、彼女はにんまり笑っていた。 「まあ。悟空が私に勝とうだなんて、百万年早いわ」 「いやそれは言い過ぎ…」 と、反論するものの、今の悟空にはあながち言い過ぎにも思えなくて、何とも情けない気分になる。 悟空が傍目に見て判るほど落ち込んでしまった為、 はもう一度溜め息を吐く。聞こえよがしにだ。 「もー、しっかりしなさいよ! 情けないわね! 悟空があたしに勝ったってしょーがないでしょう。…ホントはあたしもよ! 言い負かす事が出来た所で、そんなの、大した意味を持たない。なーんで…こう、思ってる事とはズレまくって行くんだろうね…」 「どういうこと?」 悟空が瞬きする間に、 は一度だけ唇を尖らせた。 「多分ね、結局ね、思っている事はおんなじだと思うワケ」 「おんなじ?」 「そう。強く在りたいという思い。そして、護りたい」 「………」 「護りたい人より、強くなくちゃいけない」 「うん」 は目を瞑り、また溜め息を吐いた。 「言葉を重ねて、言葉で勝っても、しょーがないのにさ。何でなんだろ?」 「俺、口でも、力でも、 に勝てないかも、って思ってる。全部で勝つ、っつーのも、変な話だけど。でも、負けんのもヤダ。負けってのも、何か違うけど」 呟く悟空に、 は目を開けた。隣の悟空を見るが、彼はまた俯いていた。 「俺が一番護りたいのは、 なんだ。なのに、護れてる気がしない。…それどころか、逆に護られてる気がする。それが、情けないんだ」 「―…まだまだね、私達」 は悟空に、少しだけ寄り掛かる。 「護りたいのはお互い様。護られている、と思っているのも、お互い様のようね」 「え?」 「私も、悟空に護られているなあって、思う事があるから」 「そうなの?」 「そ。別に、それでいいんだ。嬉しいのだから…」 「嬉しい…」 「そう。悟空は、そんなに嫌? 私に護られているっていうのは」 「嫌っていうか…。女に護られんのなんか―…っつてえ!?」 悟空は頬が痛くて、悲鳴を上げた。 が思いっ切り引っ張ったのだ。 「な、何すんだよ?!」 悟空は激痛走る頬をさすった。 「お黙り。男女差別反対! 男女性差廃絶! そりゃ、どーしようもない違いはあるけれど、今の台詞、すんごい腹立つ!」 噛み付かんばかりに捲し立てる の迫力に、悟空は腰が引ける思いだ。恐い。 「う…。悪かったよ。ごめん」 「私、絶対、嫌」 「ごめんってば、 ー」 「…少なくとも、私には、もう言わないでよねー。判った?」 「うん、判った」 やっぱり、 には勝てそうにもない。悟空は情けない気持ちで、認める。 「あ〜〜あ。もうすぐ、十九になるのにな」 「明日よ」 「そうでした」 「去年と、あんま、変わりねえなあ」 「ないわね」 があっさり認めると、悟空は彼女に向き直って、顔を覗き込んだ。 「何よ」 「 さ、好きになった?」 「…それ、主語は何?」 片目を細めて尋ねる は、自分の脳内データベースも探してみる。 「誕生日だよ!」 「…何年前の話よ?」 の声に、少し疲れたものが混じっていた。昔、 は、誕生日が嫌いだった。生まれた日だと実感の伴わない行事だからだ。それでも、毎年やって来る。 「ねえ、少しでも、好きになった?」 真っ直ぐに見つめられて、何と答えたら良いのか、 は迷う。 数秒だけ、沈黙。 は本音を言う事に決めた。 「ちょこっと、ね」 「ちょこっとお?」 不満の声を上げる悟空に、 は肩を竦めて見せた。 「この数年、んな事聞かなかったじゃないよ」 がベンチから立ち上がったので、悟空はその背中を目で追った。 はゴミ箱へ歩く。 悟空の隣に戻り辛くなった気がして、 は僅かに息を漏らした。 視線の行き場がない。 宿の外観を見たり、星空を見上げても、落ち着かない気分。 結局、すっきりとした気持ちになるためには、する事はひとつなのだ。悟空に向き直る。 「まだ抵抗はあるけれど、昔よか、好きよ?」 「ホント?」 悟空の小さな声に、 は困ってしまう。 「ほんとーよ。だって、あれからさ、悟空ってば、毎年なにかにやらかすんですもの。巻き込まれるこっちは傍迷惑な事ばっかりだったけど、良い思い出だわ」 思いだし笑いは、止まらなくなった。 「全く、良くやってくれたわよ」 「はははっ。だって、そーやって が笑って、嬉しくなってくれるのが狙いだからさ。デッカイ事じゃないと!」 「派手過ぎたよ」 「でも、ほら、今の 、イイ笑顔」 「そう? …ね、ほら、私、悟空に護られているでしょう?」 「……え?」 殊更目を丸くして驚く悟空に、 はにっこり笑った。 「こういうのも、護られているって事のうちよ」 穏やかな声で、 が告げた。 すっかりお姉さんモードも声音と喋りになっている に、悟空は瞬く。切り替えが早いというべきか、変わり身早いというべきか…。同じか? 悟空は心の中で首を傾げた。 「久々に、思い出話に花を咲かせましょう」 は胸の前で手を合わせ、夜空へ微笑みかける。月齢六程度、と心中呟く。 「夜更かし? イイね!」 満面の笑みで返す悟空は、 につられて空を見た。半月には足りない面積の月が輝いていた。 宿に戻ってからは、シーツを引っ被り、ベッドにうつ伏せになる。顔だけシーツから出して、両者対面。悟空は、ベッドからはみ出る足をばたつかせて、 が初めに何の出来事を言うのかと、心待ちにしている。輝く瞳も、期待を顕にしていた。 沢山分かち合った思い出を辿るうち、夜中の十二時近く。四月五日がやってくる。カウントダウンをしながら、悟空がはしゃいだ。 「さん、にー、いっち、ゼロー! 、誕生日、おめでとー!!」 「ありがとう。悟空も、おめでとう」 「ありがと! なあ、そっち行っ」という、悟空の台詞を遮って、 は「甘えんじゃないわよ」とピシャリと言い放った。 「…いいじゃんかー」 「キョウダイでも、もうそれはどーなのよ?」 「いいじゃん、いいじゃん!」 膨れ面から、一人納得した悟空がからっと笑って へと近付く。 「これやらねーと、誕生日ってカンジしないじゃん?」 「そうか? もう、狭いー」 「 、大好き」 「うっわ、抱き付きとか、ありえないし」 「普通じゃん」 余りにも平静に返され、 は、自分の常識を一瞬疑った。 「俺と なんだからさ、普通じゃん?」 「…そうしとく」 腕に抱き付く悟空に、 は苦笑を漏らした。 困った事も、忘れないだろう。 起きてから悟空が引き起こす へのサプライズも、きっと忘れられないものになるだろうと思う。結局、期待していると自覚し、呆れた。 「おやすみ、悟空」 が寝入った頃、悟空は思い悩んでいた。 明日、いや、もう今日一日は、何をして過ごそうかと。 旅の移動最中、出来る事…。 毎年考えるのは大変だが、 の笑った顔が見たい一心で集中をしていくと、いつの間にか苦ではなくなっている。 隣で眠る の、記憶に残れば良い。残りたい。そんな、願い。 「ね、ほら、私、悟空に護られているでしょう?」 「こういうのも、護られているって事のうちよ」 が紡ぐ言葉は、いつも悟空に勇気をくれる。 こんな風に距離を縮めて、それでも不安が過るこの心に。 言い様のない寂しさで目を閉じる俺に。 起きて目を開けたら、 が居る。 それだけで幸せを感じてしまう。新しい一日を始められると、思えた。 だから。 だから、いつか君を護って、俺が護って、 幸せに笑う君を、一番側で見ていたんだ。 一緒に居たい。 そんな距離で、ずっと。
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