ドリーム小説

 precious







 これ以上遅くなるのは嫌だ。
 そんな一心で、二人は別々の道を走り続けた。
 ゴールは互いが出会う場所。
 どこでだっていい。
 ただ、一刻も早く、顔を見たい。声を聞きたい。
 ただ一人の、君の。



 遡ること四月三日午後四時。
 玄奘三蔵の許に、三仏神からとある指令が届いた。幾ら嫌でも聞き入れなければならない立場の三蔵は、渋々仕事を引き受けた。馬を使って一日掛かる距離の街まで行って、その仕事をこなさなければならない。
 しかも妖怪絡みの気の乗らないものだ。
 普段なら、悟空も も連れて行くが、生憎と は体調を崩しており、今回は悟空と二人で行くことにした。
 「え。マジで? どうしても?」
 「どうしてもだ」
 「… 置いていくなんて、出来ねえよ」
 「じゃあ一緒に留守番してろ」
 ぴしゃり、と三蔵が冷たく言い放つと、悟空はぐっと黙り込んだ。
 「私のことは良いわ。二人で行ってきて」
  が気丈にも半身を起こして言った。ベッドが小さく軋んだ。
 「まだ寝てろって。殆ど熱は下がったけど、だめ」
 「明日一日休めば、もう大丈夫」
 顔色も良いし、食欲もある。だから、あと一日で回復するはず。
 「二人の方が、早く終わると思う」
 それは悟空も思う。しかし、 を置いていくことも気になるが、別のことも気掛かりだった。
 四月五日は孫悟空と の誕生日とされている日である。
 その日に、間に合わない。
 十六になろうという今日(こんにち)、誕生日誕生日と騒げることではなくなっている。ケーキが食べられて嬉しいとか、 を祝えて嬉しいとか、楽しくて仕方ないこともあるけれど、いつの間にか以前のようなテンションは湧いてこない。
 いつもより強く、一人じゃないと確認出来る日でもあるが。
 「 、ちゃんと薬飲んでおけよ」
 三蔵の言葉に、 は頷いた。
 医者に処方された風邪薬があと一回分残っている。夕飯もお粥だろうか、と思うと少し気分が滅入る だった。お肉が食べたい。
 「ちょと早いけど、夕食貰ってくるよ」
 悟空がそう言って部屋を出て行った。三蔵も、 に一瞥呉れて出て行く。
 明日の朝早く出発する彼らを見送れるだろうか。まだ頭はぼうっとしているが、歩く頃は出来るはず。
 本当は、出来ることなら、無理をしてでも付いて行きたい。無理を、言ってみようか。
 翌朝、 は三蔵に自分も行くと告げた。
 「まだ鼻声じゃねえか。休んでろ。滅多に風邪なんざひかねーんだから、免疫つけとけ」
 「でも平気。こんなの、大したことじゃないわ。すぐ治る」
 三蔵をじっと見る の顔は、青白さが残っていた。
 「駄目だ。今日はちゃんと寝てろ。いいな」
 「三蔵」
 尚も食い下がる には、悟空が止めに入った。
 「熱ないけど、 の手、すげえ冷てェ」
  はギクリとしたが、おくびにも出さずに悟空を見た。黄金の瞳が、何を言ってるんだと を怒っている。
 「おい、熱測ってみろ」
 三蔵の命令には嫌気が差した。 はとうに自分の体温を測っている。睨み合いを続けても仕方がないので、大人しく従った。
 体温が上がっていることを願いながら、 は体温計をセットした。結果、三十四・八度。明らかに低い。
 「…え、何これ? 二日前は三十九度だったから、かなり下がってる。いーのかな。これ、大丈夫なんかな」
 人間の平均体温を知らない悟空が、三蔵に体温計を渡した。
 三蔵は片目を細め、そのままきつく を睨んだ。
 「大丈夫じゃねえよ。下がり過ぎだ! もう一回医者に診て貰え」
  はままならない自分の身体を怨んだ。人間の平均体温とほぼ同じ温度で生きている彼女だが、たかだが平均より二度三度と上下しただけで、こんなに息苦しくなるとは思いも寄らなかった。書物で知ってはいたけれど、いざ自分の身に起こると大変さが判る。
 三蔵が部屋を出て行った。医者を手配しに行ったのだろう。
 ベッドに横たわった は、心配そうに見ている悟空に何を言おうか一瞬迷った。しかし、無難な言葉を選んだ。
 「いってらっしゃい。気を付けてね」
 「うん。ちゃんと休んでろよ? なるべく早く帰ってくるからな」
 「判ってる。早く帰るのは良いけど、無茶はしないで。結局、悟浄と八戒の手も借りることになったのでしょう」
 事を早く終わらせたい三蔵は、昨夜の内に二人へ話をつけに行った。八戒は の看病をすると申し出たそうだが、もう治りかけていたため三蔵はその申し出を許さなかった。
 「確かに敵は多いみたいだけど、だいじょぶ! オレたち四人ならヘーキだよ。だから、 は心配しなくていい」
 「そうね」
 少し微笑んだ に、悟空はにかっと笑って返した。
 そして一時間後、彼らは旅立って行った。
  は処方された薬を飲み、床に就いた。寒気と吐き気に襲われながら、眠りに落ちる時を待つ。
 朝起きた時よりも、体調がおかしくなっている。症状は風邪に似ているし、医者の診断結果も風邪だ。しかし、 は嫌な予感がしていた。
 これは何だろう? 上手く言葉に出来ないが、別のもののようで気持ち悪い。身体が自分のものではないみたいだ。
 そもそも、 が風邪を引く覚えはない。季節の変わり目で気温の変動が激しいとはいえ、これくらいのことで体調を崩すなど考えられなかった。
 他に考えられる原因といえば—…。
  はその思考を無理矢理中断させ、きつく目を閉じた。考えたくない。考えないように、眠ってしまえ!
 それから昏々と眠っていた が目を覚ましたのは、夜半過ぎた頃だった。
 空腹感で目が覚めるとは、我ながら何となく情けない。
 寒気も吐き気も治まっていた。たった一度だけ飲んだ薬が効いたのか、それとも の並々ならぬ回復力のお陰か。
 何か食べないと眠れそうにないと思い、 は起き上がって部屋の電気を点けた。テーブルの上に、丼が置かれているのに気付く。薬が一緒に置いてあることから、三蔵に頼まれて一日寺に居ることになった医者が用意してくれたのだろう。
 蓋を開けると、卵粥だった。椅子に座って食べることにする。
 薬は飲まないと決め、食事の後はシャワーを浴びた。
 お湯の温かさに目を細めると、溜め息が出た。
 湯気を見て、水音を聞いて、息を止める。
 止めている間に、色々なことを考えた。幾通りもの、これからするべき—…彼女が、したいことを。
 次の日、四月五日の朝には、 は全快していた。
 もう、悟空たちは目的地に着いた頃だろう。 は机の引き出しから地図を出して広げる。
 今回の目的地を確認。確かに、馬を使っても一日掛かる距離だ。しかも、山を抜けて辿り着くことが出来るという、かなりの山奥。道程は楽ではない。
 「車でもあったらいいのに」
 ふと口を吐いて出た言葉に、 は驚いた。
 「くるま…?」
 何のことだろう。
 脳内のデータベースにて急いで検索を始めたが、ヒットしない。馬車、牛車、人力車、戦車。違う。思い浮かべた形はもっと別の物。木製ではない。西洋の車と謂う物を、書物の記述で読んだが挿絵はなかった。
 類似するものはないか再び検索を開始した時、ドアがノックされた。
 「はい」
 「 さん、私です。体調はどうですか?」
 医者だった。 は立ち上がってドアを開ける。医者と話をしている間も、ずっと「車」と呟いた時の心境を繰り返し再生していた。
 今日は大人しくしていようと思ったが、止めだ。今年も届いた紫のバラの花束を見て、 は決めた。
 三蔵と一緒でないことは、どれだけマイナスになるかと思っていたが、思っていたより簡単に三仏神は面会を許してくれた。
 「どうした、お前一人で」
 真ん中の男神が尋ねた。
 「毎年誕生日にお花を下さる観世音菩薩様に、直接お礼を申し上げたいのです。取り次いでいただくことを、お願いに参りました」
 「面会理由はそれだけですか?」
 優しい声で、女の神が言った。
 「はい」
  が肯定すると、もう一人の男神が喋る。
 「 、観世音菩薩様は我らでもおいそれとお会いすることが叶わぬお方。到底無理な話だな」
 「それでも、私がお会いしたいと願っていることを、お伝え下さい」
 「判った。伝えるだけ伝えよう」
 「ありがとうございます」
 「… 、そなた、どうして一人でここへ来た? 玄奘三蔵と一緒には行かなかったのだな?」
 「はい。昨日まで体調を崩しておりました」
  がそう言うと、女性のような顔立ちをした男神の眉根が寄せられた。他の二人は軽く息を呑んだり、判りやすく驚きを示した。
 「そうか。実は、まだ確たる話ではないのだが、『以前の事件』の所為でそなたの記憶に変化が出るかも知れぬ。そなたが天界に居た頃の記憶だ。とある事情で記憶を封印してあると、観世音菩薩様よりお聞きしている。もしその兆候が現れた時は、いや、また今回のように体調に変化があった時にも、必ず我らに知らせるように」
 「はい。判りました。一つ質問をしても宜しいでしょうか?」
 「何だ?」
 「天界に『車』というものはありますか?」
 「車…? ああ、馬車や牛車ならある。しかし、鉄製の車はないぞ。それがどうかしたか?」
 「いいえ、何でもありません。ただ、噂程度に天界にはとても早く移動が出来る車というものがあると聞いたのです」
  は答えながら、若干落胆していた。天界での記憶ではなさそうだ。益々謎が深まった気もする。
 それでも、やはりこの体調のおかしさは、少し前に関わった事件が原因のようだ。
 天界に居た時の記憶。どうやったら、思い出せるだろう。
 悟空も一緒に居たと聞いている。二人が犯した重罪のため、天界を追放されて各々別の場所へ投獄された。
 自分の知らない自分。
 否。本当は、少しだけ覚えている。
 投獄されている間に、繰り返し繰り返しみたあの夢の欠片たちを。
 思い出そうとすると、酷い頭痛に見舞われる。涙が出る。だから、なるべく思い出さないように、思い出そうとしないように努めていた。
 時が来れば、思い出さずにはいられないだろうと自分に言い聞かせて。
  はそのまま北東へ向かった。
 既に夕刻になっていたが、構わず悟空たちの出掛けた方へ行く。馬を飛ばして約一日。それだけで、会える。
 無性に彼らに会いたくて堪らない。
  の中で、もう一日待てばいい、独りだって平気だろう、と囁く声はない。
 彼女の自制心は壊れ、ただひたすらに、彼らを求めている。
 さくら。
 ちる。
 たましい。
 きれい。
 うまれる。
 またちって。
 はじめましてとさようなら。
 さようならは、もう、いや。
 もう待っていられない。少しでも早く、悟空たちの顔が見たい。どうか無事で。
 また別れてしまうのは、嫌だ。
 離別はあり得ないとしても、心がざわめく。
 不安。
 過去には、確かに別れたのだ。罪とは何だろう。悟空と自分が、一体どれ程のことをしたと?
 今度は、どんなことになっても、離れたくない。いつも繋ぐあの暖かな太陽の手を、放したくない。
 「悟空…!」
 心の底から愛おしい魂の片割れ。
 辺りが闇に包まれても、休まず進んだ。
 星空を見て進む方角を修正する。頭の中の地図では、そろそろ川に出るはずだった。川を渡って二時間程で山の裾野へ辿り着く。そこからは徒歩で行くことになる。
 橋は見当たらなかった。探している時間も惜しんだ は、馬を連れて川に入る。
 どのみち遠回りをして、万が一にでも行き違うことは避けたい。
 「ごめんね、冷たいけど、少し我慢して」
 震えていななく馬を宥めながら、 は腰にまで浸かる水の中を進んだ。流れは穏やかだが、川幅が広い上、水の冷たさが彼女の四肢を刺激した。時折、水を掻き分ける手が凍りそうな気がする。
 馬を連れては、無謀だったかも知れない。
 そう思い始めた時、別の馬の声がした。
 慌てて周りを見たが、馬は居ない。深呼吸して、周囲の気を探り出す。
 「ごくう」
 悟空の気を確かに感じ取った は、居ても立っても居られず、手綱を強く引っ張って強引に歩を進めた。
 川岸に辿り着いた頃、馬に乗った悟空が見えた。
 「 っ!!!」
  は今や、肩口まで水に浸かっていた。対岸に近付くにつれ、深度が増した所為だ。
 「待ってろ、すぐ引き上げるから」
 「私より、馬を」
 悟空は先に馬を引き上げ、 の両腕を取った。一気に持ち上げ、岸辺に座らせる。
 「何やってんだよ! また風邪引くじゃんか!」
 「もう引かないと思う。あれ、風邪じゃなかったみたい」
 「はあ!?」
 「会えて良かった」
 そう言って、 は悟空の手を取った。暖かな掌に、うっとりとした気分で目を瞑る。
 「… ?」
 「早く終わったのね」
 「え、あ、ああ。けっこー楽勝だったんだ。だから、急いで帰ろうと思って。八戒にはスッゲー怒られたけど、ちょっとでも早く に会いたかったから、夜になってもいいって言って、オレ一人で来ちゃった」
 「こっち、近道なの?」
 「えーと。判んない。来た道とは違う。でも、何となくこっちの方がいい気がして…。オレ、 みたいに気は判らないけど、 が居るところは、なーーーんとなく判るんだよ。 のこと考えてこっち、って思ったら、もうその道しかない」
  はふっと笑って、繋いだ手に力を込めた。
 「そう」
 「ん」
 二人はそのまま黙って過ごした。言葉より、互いの体温と鼓動だけがあれば良い。
 冷たい風が吹き、 は寒気で身を縮めた。
 悟空が を引き寄せ、心臓の音が近くなる。
 「 、誕生日、おめでとう」
 耳元で囁かれた言葉に、 は驚く。三仏神の神殿を出た頃から、もう誕生日のことなど頭から吹き飛んでいた。日付はとうに四月五日を過ぎた。
 「ありがとう。悟空も、おめでとう」
 「…ありがと!」
 笑みを交わしあい、また黙る。
 今度も悟空がその沈黙を破った。
 「 、ほら、上見てみろよ。星がめちゃめちゃ綺麗だぞ」
 「北斗七星も、北極星も綺麗に見える」
 「……それ、どこ?」
  の解説に、悟空も柄杓型になる星々と北極星は見分けることが出来た。
 「そして、柄杓の持ち手の先から弧を描いて伸びるのが、春の大曲線。とても明るい麦星と真珠星を結ぶの。この二つは春の夫婦星とも呼ばれている。更にこう…繋ぐとデネボラと謂う星に当たって春の大三角形が出来る」
 三角形を指で空中に描く。 はその三角に角を一つ増やし、菱形に変えた。
 「こうすると、春のダイヤモンド」
 「ふーん。星にも色々あるんだな。何かすげー」
 「ね。ああ、でも少し残念。 双子座は見えないな。場所が悪い」
 「双子座? オレらみたいに、星にも双子なんてあるのか?」
 「うん、男の兄弟星がね。冬の方がよく見える」
 「そっか。じゃ、来年一緒に見ような!」
 「うん」
 星の話も終わり、また穏やかな沈黙が訪れた。微風が二人の髪を揺らす。葉音や馬と虫の小さな声。それらに混じる、ひっそりとした息遣い。
 三度目の沈黙も、悟空が壊した。
 「ダイヤモンドっていえばさ、八戒が教えてくれた。四月の誕生石はダイヤモンドなんだって」
 「ええ、それと、水晶」
 「今日行ってた街って、鉱山で、宝石類が出土とかするんだって。んで、村興しでペンダントや指輪作る場所があって、アクセサリー作りの体験が出来るんだって。で、オレそれ作ってみた」
 思わぬ言葉に は瞬きを繰り返した。少し身を離して、悟空を見る。悟空は首に着けていた鎖を外した。チャイナ服の首許を少し開けて、取り出す。
 「 にあげる」
 差し出されたペンダントを受け取ろうと手を動かしたが、触れただけで止めてしまった。
 悟空は の掌にペンダントを押し込めて、照れ隠しにそっぽを向いた。
  が掌を開くと、菱形の銀盤に輝く、黄水晶が悟空の瞳を思い出させる。 も同じ色の瞳をしているが。
 「ダイヤは無理だから、水晶だけど」
 「…この色に決めたのは、私たちの目と同じだから?」
 「うん。けど、三蔵がこれにしろって先にゆったんだよ。透明の水晶もあったけど」
 「ああ、そう。そうなの」
 「何かある?」
 悟空がハテナ顔で尋ねれば、 は小さく呟く。
 「三蔵の誕生石も、黄水晶…シトリン」
 「そーなのか。…で?」
 それ以上の意図は、と訊きたいのだろうが はそれに答えず、ペンダントを身に着けた。牢獄に居た時から身に着けているペンダントより小さく、丁度良く の胸元に収まる。
 もう一度、黄水晶を眺めた。
 「悟空の分は?」
 「オレ? いや、オレは要らない。ケーキの方がイイ」
 「じゃあ、私、ケーキ作ってみようかな…」
 「え、マジで?」
 「うん」
 悟空は驚喜して に抱き付いた。
 「いーじゃん!  のケーキ、何かウマそうっ!」
 「上手く出来るか、判らないけれど」
 「だいじょーぶ、絶対、ウマイって!」
 何を根拠にかきっぱり断言した悟空は、無邪気な笑顔を に向ける。
  もつられて笑みを零した。
  の不安はとうになくなり、悟空と共に迎える未来が続くと信じている。
 いつまでも悟空と一緒に居たい。
 そう願いながら交わす笑顔は、星よりも宝石よりも、綺麗で代え難いものだと思えた。












**誕生日当日にまた夢書き忘れたことに気付き、二・三日で書けやしないかと思ったのが甘かったです。あれ、今日何日? 何曜日? みたいな。
 無粋な話ですが、中国で黄水晶採れるか判りません。天然物じゃないかも知れないですね。紫水晶を変色させたものが多いと聞きます。水晶は採れると思うのですが調査なし。
 ともかく、遅れたけど、おめでとう悟空!
*2009/04/15up

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