二人、グリーミィ また、月が雲に隠れた。 天気予報では、明日は曇りのち晴れ。京都旅行の最後の日に雨でなくて良かったと心底ホッとする。 涼しい、というより、寒いのは判っていても、 は宿の窓際から離れなかった。 そこは旅館の離れ部屋。廊下側からも部屋の奥側からも庭が臨める趣向だ。星も見えなくなった雲張りの空でも良い、今の自分の視界に人は要らないと思った。 暗い小さな庭の灯籠に目を移し、窓際に飾られた沢山の菊を愛で、溜め息。早く朝が来て欲しいと願う。 「風邪をひくぞ。良い加減こっちへ来い。もう寝よう」 呼び掛けられて、内心ビクッとしてしまう。 「 」 大好きな声がする。彼女の名前を呼ぶのは、同室の男。 「姫抱っこで連行するぞ」 「それだけはやめてお願いぷりーづ」 嫌がる行為などお見通し。可笑しそうに笑って、 へ近付いた。 「何もしないと言っただろう」 「紂が今まであたしに何してきたか思い出せば、信用出来るはずもなく」 「…まあ、前は」 苦笑で誤魔化されはしない。 は唇を尖らせて、軽く睨み、牽制した。どうして同室を許してしまったのだろうと思い出すにつれ涙が出そうだ。紂王に廊下側の布団を陣取られているから、逃げ場は部屋の奥隅しかない。 「今は駄目でも、いつかは許して欲しい」 紂王は の手を取る。彼女の手が少し震えた。自分の手を重ね、伝える。 「 が好きだよ」 あたしも好き。 だから、許容出来るのだ。 紂王という他人を。 は応えない。じっと紂王を見ている。早鐘のように脈打つ心臓と、震え続ける手が、教えるのだ。紂王の腕に飛び込みたい衝動を抱える自分が居る事を。 だが は応えない。答えない。 紂王が困った顔をして、 の頬に両手を宛てがう。 「泣かなくても良いじゃないか」 夜気の所為で、頬を伝った涙の跡が冷たい。しかし、冷たさを感じても次々に温かい涙が流れる。 紂王が親指の腹で の涙を拭った。一緒に、臆病な の心をも、紂王の掌の温かさが徐々に包んでゆく。 他人を愛する事が恐くても、このひとには近付きたい。 心で、近付きたい。 は勇気を出す。ここで逃げたら駄目だ。昼間の時の様にポンポン言葉を紡ぐ自分とは、全く違う自分を引っ張り出した。 「紂が好きだけど、恐いの」 か細い声だった。 「うん」 「いっぱい、恐いものがあって、好きって云ってくれたのに、何だか恐いって思ったの。でも、紂が一緒に居てくれるのは嬉しい。ホントに、嬉しい。恐くても、温かいから困るの」 「そうか」 普段の は、大胆不敵で年上の紂王であっても横柄な口をきく。態度も口も悪いが、面倒見が良く、実はとても優しい。 半年以上彼女と過ごしてやっと知った心の内。本当は臆病で小さな小さな を、護りたいと思うようになった。でも紂王は を壊したくないから、彼女の想いを壊したくないから、きつく抱き締めたい気持ちを必死で抑える。 ふざけ顔で抱き付く事は出来ても、辛い思いをしている時の を抱き締めてやれないのはやり切れない。 しかも、今はその原因が紂王自身。難儀なものだ、と心の中で溜め息を吐く。 その時、紂王の顔に、僅かに月の光が差し掛かった。 「月が出たか…。 、どうだ、このまま月見をするか」 「うん」 風が吹いて、窓の近くで楓が舞い散る。再び吹いた風は、部屋の中へ菊の香りを運んだ。香りと共に、 は花言葉を思い出した。 「菊って、昔、中国から来たんだって。花言葉は、私は愛する」 が抑揚なく云った言葉を、紂王は繰り返す。 「私は愛する」 「うん。まだ恐いけど、紂なら、きっと平気になる気がする。紂の事、もっと好きになりたい」 二人での仕事以外の旅行はこれが初めてだった。吉と出るか凶と出るか、と紂王は心配していたが、二人の未来に薄明かりが灯った様だ。 「待っているから、ゆっくりで良いよ。変わらず を愛している」 「ありがとう」 身体という物体同士の距離より、心が近付いた。互いにそう思った。 風は相変わらず部屋の中へ向かっている。そして暫くの間は、寄り添う二人に優しい香りを運んでいた。 *'05/10/29up Kodo of Kanoto Insho Wrote . |
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