あの空を飛ぶ時は、いっしょ。 第捌話 「今暫くは、玄奘くんと一緒がいい…です」



 すぐに見つかったアジトは、丸太作りのロッジだった。
 「竹林に丸太ロッジ…微妙」
 は遠慮なく心の声を外に出した。三蔵は無視して訊く。
 「…、中には三人なんだな」
 「あ、うん。後ろから三人来てる。早くしないと挟み撃ちにされるね。さっきの三人なら余り戦力にならないけど」
 「中に入るぞ」
 「楚仁くんも…一緒に行くしかないね」
 が溜め息がちに言えば、楚仁はニッと笑った。
 「ありがとう」
 索敵モードのは、近距離の敵の位置を感知。玄関で三人とも待ち構えていた。
 「玄関に三人。私が先に入るね」
 金メッキのドアノブを掴もうとしただったが、考え直して、礼儀上のノックをすることにした。
 「こんにちはー! 秦謄さんいらっしゃいますかぁ~??」
 間延びしたの声を聞いて、三蔵は半眼になり、楚仁の目は点になった。
 「…おい」
 三蔵の短いつっこみを気にせず、は相手の出方を待った。
 ドアノブが回り、ドアが開く。
 中から、深緑の髪を束ねた男が出てきた。後ろに、先程のナイフを持った緑髪の男と、灰色の髪の小男が居た。
 「秦謄さん!」
 楚仁が秦謄に近づく。警戒した緑髪の男がナイフをちらつかせた。秦謄は一歩前へ出る。
 「楚仁…」
 「秦謄さん、宋権のこと、ちゃんと説明してくれ! ただ死んだってだけじゃ、納得いかねえ!」
 は楚仁を庇うように前に立つ。そして、秦謄の言葉を待つことにした。
 重い口を開いた秦謄は、緊張を含んだ声で言った。
 「楚仁、もうここには来るな」
 「それは答えになってねえ!」
 「頼む、来るな。もうすぐ、ここから出て行くから」
 秦謄は辛そうに答えたが、楚仁は納得がいかない。
 「出て行くってどういうことだよ!?」
 沈黙を返す秦謄だったが、他の二人の男も辛そうな表情をしていると気づき、楚仁はそれ以上言えなくなった。
 沈黙を嫌ったが口を開く。
 「こちらの事情を話すわね。貴男たち妖怪が追い剥ぎをしているために、楚仁の町の人たちは迷惑しているの。私たちに、妖怪たちを捕獲して欲しい、と依頼をするほどに。ここを出て行くのはちょっと待って欲しいわね」
 の言葉を聞き、緑髪の男が息を巻く。本当は依頼をされたのではなく、が捕獲を持ちかけたのだが。
 「捕獲なんて、出来るもんならやってみろ!」
 秦謄は威嚇する仲間を腕で制し、を見た。
 「あんたは…?」
 「私は旅人の。一つ答えたから、楚仁くんの質問に答えて」
 ぴしゃりと言い放つに、秦謄は躊躇する。
 その間に、と三蔵の視線が動く。何も喋らなかった小男が、膝をついて震えだしたからだ。
 「秦謄、俺、もう黙ってるの無理だ…」
 泣きの入った声を聞き、は声の棘を幾分か抜いて喋ることにした。
 「貴男たちの事情は考慮します。だから、宋権くんが死んだ理由と、人間を襲う理由を教えて」
 秦謄は観念して目を瞑った。絞り出すように言った。
 「俺たちは…元々西から流れてきた。先日里帰りに仲間全員で生まれた場所まで行ってきた。それから、全員が、狂気を訴えるようになった」
 「狂気?」
 楚仁はその単語を信じられない思いで聞いた。
 「そうだ。何故かは判らないが、自然と湧き上がる狂気が、強い衝動になって、理性を壊そうとする。今まで人間を殺したいなんて、思ったことがなかった。でも、抑え切れなくて、衝動だけを潰すように、追い剥ぎ行為に換えてきたんだ」
 楚仁がはっと息を呑む。最近の妖怪たちがおかしいとは聞いていたが、秦謄たちもだったのだ。
 「宋権はまだ理性がある方で、追い剥ぎ行為を止めたいと言った。そこで口論になり…」
 灰色髪の小男が秦謄のあとを継ぐ。
 「俺が殺してしまった…!」
 泣き出した小男を見て、楚仁は怒りよりも信じられない気持ちの方が勝った。彼は、宋権より少し年上で、年若い宋権の面倒を見ていたはずだ。
 「カッとなって…殺意が抑えられなかったんだ! 自分でも、何でバカみたいな言い合いでって思うよ! それでも…あの時はどうかしてたんだ…」
 小男の懺悔を聞いて、楚仁も地面に膝をついた。
 懺悔の言葉に嘘がある可能性は低い、とは思う。この場しのぎではないと感じ取った。
 三蔵は妖怪たちの身なりを見て、問う。
 「お前たちは、妖力制御装置をつけていないな。それは狂気とやらと関係ないか?」
 妖怪の証の一つに身体に表れる文様がある。秦謄が左腕の文様を一撫でして答えた。
 「関係ないと思う。俺たちは、故郷に戻る前からずっと制御装置をつけてないからな」
 「主に西の方角で妖怪たちがどこかおかしい、という噂は聞いている。何か特別なことはなかったか?」
 「思い当たることは、何も。ただの里帰りで二泊してきただけだ」
 が口を挟んだ。
 「変わったモノを食べたりなどは?」
 「いや、特に。なあ?」
 秦謄が仲間二人に聞くが、二人とも頷くだけだ。
 洗脳、催眠、狂気の刷り込み、などを連想しただったが、彼女に確認する手立てはなかった。サブリミナル効果のようなものも考える。
 「怪しげな宗教にはまったりとかはないわよね?」
 「ない。そんな理由がありそうな話じゃないんだ」
 否定する秦謄だったが、には何も理由がないとは考えられなかった。
 彼らには共通する機械類も見当たらないので、は他の可能性を探る。
 おかしくなった場所と現在地が近ければ、電波も考えられるが、かなり距離があると思われた。この世界の文明で衛星からの影響とも考えられない。
 「…謎ね」
 はそう言って、後ろを振り向いた。
 他の者たちもに倣う。すると、先程たちを襲撃した妖怪が三人姿を見せた。
 「例えば、だけれど、私はこの前、法術だか超能力だか区別がつかない相手と戦ったわ。そいつは、強制的にヒュプノを…催眠を使えるヤツだった。そんなことが出来そうな、一見普通に見える、でも怪しそうな人物やや物体はなかったかしら?」
 は負傷した妖怪たちから目を離さなかった。殺気立っているからだ。
 秦謄たちは記憶を辿ろうとしたが、戻ってきた仲間の様子がおかしいことに気づく。血を流して担がれている男と、担いでいる男。その隣の、視線が殺意に充ち満ちた、右手の折れた茶髪の男。
 秦謄は声をかけようとした。それより早く、折れた手も構わず男が奇声を上げながら走る。一番近い三蔵はすぐさま右足を狙った。弾は見事、男の右足を撃ち抜く。
 「やめろ!」
 秦謄が仲間と三蔵に対して叫ぶが、妖怪たちは一斉に気色ばんだ。そして、三蔵も銃口を下ろさない。
 緊張感が張り詰める中で、は一考した。
 「人間も妖怪もストップ! 私の提案を聞いて」
 三蔵は目だけでを見る。また何を言い出すのか、一抹の不安を覚えた。
 「私たちは妖怪を捕獲するように言われているけど、それを諦めるわ」
 「馬鹿が! 勝手を言うな!」
 三蔵は怒鳴りつけたが、は自分の考えを続ける。
 「諦める交換条件に、西の故郷に戻って、私がこれから言うことを流布してくれたらいい。そして、二度とこの竹林には戻らないことを誓って欲しい」
 が何を言いたいのか判らない三蔵は、思わず敵から顔を逸らすところだった。すぐに自制し、今にも飛びかかってきそうな血まみれの妖怪を見る。
 三蔵以外の理性のある者はを注視した。
 恐る恐る秦謄が尋ねる。
 「…何を言えばいいんだ?」
 にっこり笑って、は告げる。
 「徳の高い坊主の肉を食っても、坊主の呪いで気が狂うだけで良いことは何もない」
 全員が絶句した。
 「たったこれだけよ♪」
 簡単なことなので、ごく簡単に言っただったが、他の者は一瞬耳を疑った。
 すぐに我に返った三蔵は、三蔵のために言っていることだと気付く。こじつけにしても酷い台詞だと思った。
 「…何の解決になるってんだ」
 低い声で三蔵が言えば、は一度口を尖らせた。
 「…そうね、とても解決とは言えないわね。でも、ここで決着つけるなら、死人が出るわよ? 主に、妖怪サイドに」
 は掌に蒼い炎を作り出した。本来は「捕獲」が目的だということは忘れていない。
 「…ッ、秦謄、俺にやらせろ!」
 緑髪の男はナイフを構える。秦謄は鋭い声で応えた。
 「やめるんだ! 俺たちは…この人たちほど強くない」
 「でも!」
 反論する声は聞かず、秦謄は血まみれの仲間の元へ駆け寄った。三蔵を一瞥し、瀕死の仲間に肩を貸す。
 「俺は条件をのむ。人間に手出ししたくない。今ここで死にたくもない。妖怪の仲間がいる故郷へ戻る。そして、ここには二度と戻らない」
 表情なく言う秦謄に、楚仁は何も言えずに俯いた。
 は炎を消し、全員を見渡す。
 妖怪たちの中に、殺気はもうなかった。
 「他の人も、私と秦謄さんに同意ってことでいいかしら?」
 頷いた者、無言の者、様々だった。
 「じゃあ、休戦ね」
 三蔵は躊躇ったが銃口を下ろした。
 それを見たは、考えながら人差し指を一本顎に当てる。
 銃口は下がったが、懐にも袂にも仕舞われない。三蔵の殺気は、僅かに残っていた。
 「仲間の手当をしたい。出て行くのに時間が欲しい」
 秦謄がと三蔵の顔を交互に見ながら言った。
 「私、二人くらい分なら、止血程度の治癒術使えるわ」
 は血まみれ男の側に寄った。喋りながら傷口に手をかざす。
 「弾は貫通してるわね」
 「……俺たちはこれからどうしたらいい。辺鄙な故郷に帰るしかないのか」
 悔しそうに泣く血まみれ男に、は少し同情をした。
 自分の意志に因らず、他者に殺意を抱くというのがには想像出来なかったが、それが本当なら抑えるのは大変だろうと思う。
 先程三蔵が右足を撃った男も止血した。
 「顔色が悪いわ。血を流しすぎたのね」
 竹林の中の初戦で三蔵に右肩を撃たれていた。すぐに旅立つのは無理がある、とは思う。しかし、彼らの狂気とやらはいつ爆発するか判らない。が蹴りで折った右腕にも治癒術をかけてみる。
 「せめて二十四時間は安静にして、それから旅立ちをー…」
 「いや、すぐにでも立ち退け」
 「玄奘くん…」
 三蔵はまだ銃を手にしたままだった。
 「…五体満足な奴らはいつ何をするか判らない。とっとと竹林から出て行け。見逃すのは今だけだ」
 「でも」
 「でもじゃねえ」
 「まだ確認したいことがあるの」
 が言い募るが、三蔵は頑として譲らない。
 「妖怪は信用出来ねえ」
 はっきりとした拒絶に、は二の句を告げなかった。
 カラン、と音がした。続いて同様の音が幾つも続く。
 緑髪の男と、血まみれの男が、手持ちのナイフを全て地に落とした音だった。
 「頼む! もう一日時間をくれ! なんとか理性を保つから! 荷物纏める時間と、仲間が少しでも休むための時間をくれ!」
 緑髪の男は土下座した。他にも、小男たち動けるものはそれに倣った。
 更に楚仁が続く。
 「オレからも頼む、子坊主! オレがここに居て見張ってるから! 悪ささせないからさ!」
 「どっちも信用出来ねえ」
 三蔵はばっさり切り捨てる。
 どうしたものか、とは思案した。秦謄と顔を見合わせる。秦謄はかぶりを振った。
 は仕方なく口を動かす。思いつくままでいい、と自分に言い聞かせた。
 「さて、私から他に提案出来そうなのは、さっきは西の故郷へ戻るように言ったけど、逃れるなら反対の東へ行くって手もあるわね」
 「東?」
 秦謄が疑問の声を上げた。
 「私が考えるに、大人数に一気に影響を与えつつ、相手の自我を残せるのは、電波催眠とかかしらねー。やったことないから判らないけど。その影響を薄めるために、一定以上の距離が必要かーーも知れない」
 「ただの推測はいらねェよ」
 不機嫌な声で三蔵が言った。は構わず続ける。
 「ねえ、秦謄さんたちの故郷って西って言ってたけど、ここからどれくらいの距離なの? 最東端へ行ってみて、そこで養生して―…」
 ガウン!
 銃声によっては喋りを中断した。
 三蔵が天に向かって発砲したのだ。
 そこまで妖怪たちに憎しみでもあるのかー…。
 はその場では訊けなかった。
 「さん、ありがとう。もう、いい。俺たちはすぐ出て行くよ」
 「秦謄さん…」
 諦めの声を出す秦謄に、はすまない気持ちになりながらも、それ以上続けられなかった。
 三蔵はロッジの外に残ることにした。と楚仁はロッジの中へ入り、秦謄たちの準備を手伝う。一時間少々で身の回りのものを整理し、竹林を出て行く準備はなんとか整った。
 追い剥ぎをして得た物は、ロッジの中に残していく。
 「さん、俺たち、東に行くことにしたよ。ずっと東の海でも目指しながら、旅をする」
 「そう」
 は荷造りの間に、楚仁から妖力制御装置のことを詳しく聞いていた。
 「出来れば、全員、妖力制御装置はつけておいてね。狂気抑制になるかは判らないけれど、力は抑えられるから…」
 「そうする」
 灰色髪の小男を見ながら、は言った。
 「あと、恐らく狂気は自然現象とかではなく、人為的なものだろうから、余り自分たちを責めないように…ね」
 「…そう言われると、ほんの少しだけど、気が楽だよ…」
 小男は引きつり笑いをした。
 たちは、楚仁の町まで戻った。町の中には入らず、迂回して町の東へ出る。
 町の中で、楚仁が妖力制御装置を買ってきた。料金は秦謄が出した。
 全員それを身につけ、人間と変わらない姿になる。ただ、今はみな狂気の波は来てないようで、効果があるのかは不明だった。
 行く側も見送る側も不安な気持ちを抱えたまま別れの時がきた。
 「秦謄さん、落ち着いたら手紙をくれよ」
 「いや、俺たちとは連絡を取らない方がきっといい。妖怪から手紙が来たと周囲に知れたら、親父さんは商売がしにくくなるかもしれない」
 楚仁の願いも虚しく、秦謄は断るしかなかった。
 三蔵は一人距離を取って会話を聞いていた。ここへ移動する最中、には長々と話すな、と釘を刺してある。
 秦謄たちに直接的な恨みはないが、三蔵は余り妖怪たちと長く居たくなかった。
 は離れて背を向ける三蔵を見やる。そろそろ会話をはっきりと離別へ導くべきか、楚仁や秦謄たちに任せるか迷った。
 そんなの思いを見抜いたわけではないが、秦謄が言った。
 「もう行くよ」
 楚仁と秦謄たちが口々に別れを言い合う中、はそっと輪を離れた。
 「げんじょーくん」
 「…何だ」
 「帰り道にさ、甲子鏡のところへ寄って、集団催眠かなんかの能力使う宝物がないか訊くだけきーてみたいんだけどさ」
 「一人で行け」
 「ですよね」
 はふ、と溜め息をついて、は遠慮がちに小声で言ってみる。
 「帰ったらさ、玄奘くんが旅してる理由教えて?」
 今更なことだが、重要なことだった。
 「………」
 無言を返す三蔵に、は少しだけ悲しくなった。
 「何でも聞くから」
 楚仁たちの別れは済んだようで、秦謄たちは去っていく。彼らは、舗装されていない道を、ゆっくりとした足取りで歩いていった。
 手を振り、見送る楚仁を待ちながら、はもう一度言う。
 「何でも、聞くから。何であっても、ついていくから」
 何も知らなくても三蔵についていくことは可能だ。それでもいい。だが、は三蔵のことが知りたくなっていた。
 夕焼けと青空の境目を眩しく見ながら、切なくなる。
 「少しでもいいから教えて欲しい。君のこと」



 宿に戻ったたちは、楚仁の父親に…宿主に事の経緯を説明した。妖怪側の理由に納得いかないふうだったが、楚仁に説得され、捕獲は諦めた。
 「申し訳ありません。お約束を守れませんでした。宿泊費はきっちりお支払いします」
 が頭を下げる。
 「いや、いい。息子が無事に戻ったのは、貴方たちのおかげだ」
 「ですが…」
 断ろうとするに、楚仁がニッと笑って手を振る。
 「いいってば! 今日は上客が泊まってウチは懐があたたかいんだよ」
 「お前が言うな!」
 宿主にたしなめられた楚仁は口を尖らせる。
 「ありがとうございます。助かります」
 は笑んでもう一度頭を下げた。
 宿主はと三蔵を交互に見ながら聞く。
 「今晩も泊まっていくかい?」
 「はい、明日の朝に出発します」
 そう答えたは、三蔵を見た。三蔵は無言で頷く。
 「じゃあ、一緒に晩メシ食おうよ!」
 楚仁が嬉しそうにの前に立つ。は一歩退いて、もう一度三蔵を見た。
 「俺は一人で部屋で食べる」
 そっけなく言った三蔵に、は心の中で溜め息をついた。一緒に食事をするなら、の分は無料になるのでは、と勝手に期待して、彼女は楚仁と食べることする。
 楚仁の母の作った料理を食べ、何気ない会話をし、もっと話をしようと誘う楚仁を断った。楚仁も母親もいい人だが、この世界に来て間もないはボロの出ないうちに引き上げたかったのだ。
 それに、が話したいのは三蔵一人。三蔵の宿泊部屋へ行こうとしたが、受付に座る宿主を見て、思い留まる。またメモ用紙を分けて貰い、三蔵の居るところへ早足で向かった。
 ドアをノックし、呼びかけた。間をおいて、返事のないまま「あれ、無視?」と呟きそうになった時、ドアが開かれる。
 「良かった。朝まで会えないかと思った」
 にへっと笑ったは、入ってもいいか尋ねた。三蔵が頷く。
 後ろ手にメモ用紙を持ち、は部屋に入った。テーブルの上に地図と、食器と、の折りかけだったメモ用紙を見つける。
 「楚仁のお母さんの八宝菜、美味しかったね」
 「…そうだな」
 「玄奘くんは食べ物で何が好き? 私はプリン!」
 「知ってる」
 会話が途切れる。は直球で訊いた方がいいな、と思った。
 「で、玄奘くんの旅の理由とか目的を聞きたいのだけど」
 三蔵は椅子に腰掛け、を見た。その瞳に拒絶の色がないことに、はホッとする。
 「旅の目的は、聖天経文を探すためだ」
 「聖天経文」
 あっさりと教えてくれたことに若干驚きつつ、は単語を繰り返した。
 「この世には、聖天経文、有天経文、無天経文、恒天経文、そして、俺の持つ魔天経文がある」
 三蔵は肩に手を置く。
 「これらは纏めて、天地開元経文と呼ばれるものだ。この世の創世に関わったとされる」
 「…何か、突飛な話だね」
 大きく瞬きつつが言えば、三蔵は即座に打ち返す。
 「お前ほどじゃない」
 「はい大人しく聞きます」
 その場で床に正座し出すのせいで頭痛めいたものを感じた三蔵は、ベッドに腰掛けるように促した。はベッドの端にちょこんと座る。
 「どうぞお続け下さい」
 三蔵は変に敬語を使うことにつっこまず、話を続けた。
 「経文は単独でも強力な力を持つが、組み合わせて使うことで能力が上がる。五本の経文が揃うことは禁じられ、各経文の守人『最高僧・三蔵法師』が各地に散り、守っている」
 三蔵はから視線を外し、一呼吸置いた。
 「俺のお師匠様は、聖天、魔天の経文を受け継いだ人だった。俺が後継者として、二経文ともを受け継いだ。だが、二年と少し前、妖怪たちに聖天経文を奪われてしまった」
 は三蔵の眼差しに黒い闇が灯るのを見た。
 「玄奘くん?」
 「お師匠様…光明三蔵法師は、妖怪たちに殺された」
 その言葉で、妖怪たちへの憎悪、その源を、はようやく理解した。
 「俺の、目の前で…!」
 紫暗の瞳は物静かに燃えている。
 「妖怪が狂気に囚われようが知ったこっちゃねえ。暴徒化する理由も知らねえ。ただ、聖天経文は取り戻すし、俺の邪魔になるなら、妖怪だろうが何だろうが、殺す」
 言い切る三蔵に、は凄味を感じて瞬きを忘れた。
 「そっか、玄奘くんのお師匠様もお亡くなりになってたんだね」
 の言葉に疑問を感じた三蔵は、彼女へ視線を戻した。
 「私の先生も、いないの。私は先生の教えを上手く守れなくて、周囲の人たちからヒヨッコだとか、飛べない鳥だとか言われてた。今も出来ないんだけど…」
 は言葉を濁して沈黙した。しかし、何のことかと問われる前に別の言葉を探す。
 「昔泊まった宿で、宿のサービス? みたいなので、部屋に折り鶴が置かれていたことがあったの。朝はね、それを思い出して、鶴を折って、とお願いしたのよ」
 「俺は、紙飛行機なら折れるぞ」
 「そう? じゃあ、それ折って!」
 「何故だ」
 「いいから! ねっ!」
 は持っていたメモ用紙を三蔵に渡す。自分は、まだ折りかけだったメモ用紙を元の一枚紙に戻した。折り目だらけのそれを正方形に手で切り、言った。
 「私、ヒヨコなら折れるの!」
 「…鶴より難しくねえか?」
 半眼で三蔵は言うが、は首を振る。
 「すぐ出来るよ!」
 何故と折り紙をやる羽目になるのか、と三蔵は心底疑問だったが、爛々と目を輝かせる彼女に負け、紙飛行機を作ることにした。
 「俺の方が早かったな」
 三蔵はすぐに折り終わった。
 「も、もうちょっと…ホラ!」
 の手の中に、紙のヒヨコが生まれた。
 「で、こんなのどうするんだ。というか、その嘴が鋭いのは本当にヒヨコか?」
 は答えず、にっこーーーと謎の満面の笑みを浮かべ、三蔵の手の紙飛行機にヒヨコを乗せる。
 「ヒヨコ、これで、飛べる! 貸して!」
 三蔵から紙飛行機を貰い、は勢いをつけて飛ばす。スッと手を放した時に、はしゃいだ声をあげかけた―…が、すぐバラバラになって落ちた。
 「………あり?」
 三蔵は大袈裟に溜め息をついた。
 「当たり前だ。小さなメモ用紙で作った紙飛行機なんか、すぐ落ちるだろ。おまけに、ヒヨコなんて乗せてりゃ重量オーバーだ」
 「……がーん! 人の力を借りてもヒヨコ飛べない!」
 「そもそも人の力を借りようとするな。てめえで何とかしろ。あとヒヨコは飛ばねえ」
 「…しょぼーん」
 しょげかえるを見ながら、三蔵は思わず笑んでしまいそうになる。慌てて引っ込めて、ゆっくり溜め息をついた。
 「馬鹿か、まったく」
 恨めしそうにバラバラな位置に散る紙飛行機とヒヨコを拾いつつ、は言った。
 「これで飛んだら、私と玄奘くんは力を合わせて何たらかんたらイイ感じなこと言うつもりだったのに、この子たちに裏切られた」
 「何を勝手なこと言ってやがる」
 そんな馬鹿らしいことを言うつもりだったのか、と三蔵は呆れた。
 は紙飛行機とヒヨコを机の上に並べる。まだ恨めしそうに、じっとりと粘着した目つきでそれらを見ていた。
 「…これは将来私たちが墜落しバラバラになるという未来の暗示では!?」
 「……あ?」
 三蔵は突飛なことを言い出したに呆れ果てて言葉が続かなかった。
 「どうしよう玄奘くん! 私、バラバラ嫌!」
 本気で困惑し、うっすら涙まで出てきただったが、三蔵の次の言葉で我に返る。
 「…バラバラ嫌も何も、アンタは、自分の世界に帰るんだろ?」
 「……そうでした」
 涙は引っ込んだ。今まで忘れていたかのように自分の現状を思い出す。
 忘れていた。
 「……えーと、はい、そうです。何故か今ちょっと忘れてましたが、おうちに帰りたいです」
 は自分の勢いでものをいう自分の脳味噌を信じられなかった。
 「うっ、でも、今暫くは、玄奘くんと一緒がいい…です」
 呆れられて放り出されないように、は本音を言った。
 「別に構わん」
 三蔵は素っ気なく返した。
 「! ホント!?」
 「ああ」
 表情がぱあっと明るんだがきらきら目を輝かせて言う。
 「今嬉しいから、抱きついてもいい!?」
 ぎょっとした三蔵だったが、素早く断った。
 「駄目だ」
 「ちぇ」
 残念そうなを見て、三蔵は心底溜め息をついた。
 コイツといると疲れる、と。
 だが、師匠の死を思い出して一瞬でも怒りにまみれた自分が、あっさりいなくなっていたことを自覚した。
 三蔵は心境の変化に驚きつつ、口を3の形にしているを見る。
 その視線を紙飛行機とヒヨコに移し、目を細めた。



 翌朝、たちは朝食を摂り、宿屋をチェックアウトした。
 宿を出る時に楚仁が見送ってくれた。三蔵は無言で数歩離れる。
 そんな三蔵を気にも留めず、楚仁は屈託のない笑顔を浮かべた。
 「さん、またこの町に来たら、寄ってくれよ」
 作り笑いと共にが答える。
 「検討します」
 「何そのつれない答え」
 楚仁は苦笑いして頭を掻いた。は作り笑いを止め、微笑む。
 「じゃあ、また機会があったら、寄るわ」
 恐らく、またこの町には来ることになるが、宿に泊まるかは判らないのでそう答えたのだ。
 お互いに手を振りつつ、別れようとした。が、急に楚仁が「あ!」と何か思い出したような声を上げ、三蔵に近づく。
 迷惑そうな顔をした三蔵だったが、町の喧噪に溶け込ませるように小声で話す楚仁の言葉に耳を貸した。
 「さんに手ェ出すなよ、小坊主」
 驚いて一拍置いたのち、三蔵は冷静に言い返す。
 「しねェよ」
 三蔵の答えにニッと笑った楚仁は、手を振りつつ、たちを見送った。
 だけが手を振り返す。馬の手綱を握りつつ、懸命に手を振る楚仁に応えた。
 空は青く高く晴れ渡っている。
 からっとした別れに似合うな、とは思った。
 それから、昨日の紙飛行機を思い出す。
 「げんじょーくん、良い天気だねぇ。思いっ切り紙飛行機飛ばしたくなるね!」
 「…橙色の紙飛行機をな」
 返った答えに、は頭の中で思い描いた。
 「うわあ、綺麗!」
 空想で青空に橙色の紙飛行機を飛ばし、美しさにうっとり微笑んだ。
 「ちっちゃいヒヨコ乗っけたら、また落ちちゃうかな?」
 「…紙飛行機が大きけりゃ、少しは飛ぶだろ」
 「そうかもー!」
 満面の笑みを浮かべ喜ぶに、三蔵はまたも笑いを堪る。の笑みはつられそうになるからいけない。
 紙飛行機の俺が大きけりゃいいんだろ、と思いつつ、ヒヨコと紙飛行機が一緒に青空を飛ぶさまを思い浮かべた。
 どこまで飛ぶだろうか。
 すぐ落ちるだろうか。
 落ちたらバラバラになるだろうか。
 が「一緒がいい」と言ったことを思い出す。
 三蔵は、もう暫くはが一緒でもいい、と思った。









**…これ、2014年の5月に書き終えたもの(全話含み)なのですが、…月日が経つのは早いですね…(白目)。
 あまりに放置がすぎるので、ストックを放出です。またストック出来るくらい書けたらいいのですが…。
 ガンバリマス!
あと、八戒、お誕生日おめでとう! ごめん、何にもないけど!

*2015/09/21up

夢始 玄象夢始  進