涙川の源に





 「ケン兄、何処へ行くの?」
 「釣り」
 軍宿舎の近くで、捲簾はに会った。彼女は、天蓬から借りたのであろう本を数冊抱えていた。布袋に入っていたが、は両手で抱えている。重そうだ。
 下界、とは言わずに、釣りと言ったのは嘘ではない。捲簾は許可を得て、下界へ釣りに行くつもりだった。
 「一緒に行っても良い?」
 「…釣りに興味あるのか?」
 こくり、と頷いた を見て、捲簾は痒くもない鼻の頭を掻いた。
 「まあ、いいか」
 捲簾は行き先を変え、天界を流れる川へと向かった。
 「ここで釣りをするんだが、釣っても、後で川へ戻すのが天界でのルールだ」
 「判った」
 釣り竿は一本しかない。は、捲簾にルアーの取り付け方やリールの巻き方などを教わり、まず一人で挑戦する。十分ほど待っても、反応なし。
 捲簾が釣れそうな場所の説明をし、その間も待つこと十数分。やっと反応があった。
 釣り竿が引かれる力に、は抵抗してリールを巻く。捲簾の合図で釣り竿を引き上げると、小さな魚が一匹釣れた。
 それから半時ほど待ったが、魚は釣れなかった。
 「…ケン兄、もう、止めておくわ」
 「そうか? これは根気が要るモンだぜ?」
 「うん。でも、私がずっとやっていると、ケン兄が出来ないし。私、ケン兄が釣りをしているところ、見てみたい」
 の言により、捲簾は釣り竿を持つ。捲簾がいつも通りに釣りをし始めると、一時間の間に五匹釣れた。
 いずれも、川へ返してやった。
 「俺は海釣りも大物釣れて好きなんだが、川釣りも場所によっては美味いの釣れるんだぞ。…天界のは喰っちゃ駄目だけど」
 「海と川の魚の違いが判らない。今度本で読んでみるね」
 「…本もいーけど、帰り道、教えてやるよ」
 「うん」
 「今度は、の分も釣り竿持ってこような」
 「…私の分?」
 「他の奴の借りてくればいい。釣れる、釣れないにしろ、考え事が好きなお前さんには向いてると思うぜ」
 は、さっと捲簾を見る。身長差がありすぎて、首を思い切り傾けた。
 「まーだ、何か悩んでいるんだろ?」
 は答えず、ゆっくり俯いた。
 「那咤のことか?」
 「それもある。でも、他に、判らないことが一杯あるの。沢山考えてみたいことがあって、処理が追いつかない。時間もない」
 ぽつりぽつりと呟くに、捲簾は頭を撫でてやる。
 「俺に何か出来ることは?」
 「一つ聞いてみたい」
 「何だ?」
 頼られたことは嬉しかったが、の次の言葉に目を丸くすることになる。
 「ケン兄は、泣いたこと、ある?」
 「…赤ン坊の時を除き?」
 「そう」
 「……何だってまた唐突に…」
 気になった捲簾は、膝を折りの目線に合わせた。彼女の金色の瞳は、長い睫毛に縁取られた目蓋により半分ほど隠れている。
 「天ちゃんから借りた絵本に、泣く子供の話があったの。悲しくてずっと泣き続けていたら、涙が水溜まりになって、湖になって、海になってゆく。私、悲しみで泣いたことがなくて、どんなのかが知りたい。悲しい気持ちは判るけれど、涙は出ない。悲しいのは嫌だから、泣くことになるのも嫌。でも、不思議で。どうして涙が出るのか、判らない」
 は大きな瞳を捲簾に向ける。
 「他にも、どうして天界にお魚が居るの? とか、どうして、太陽や月が見えないの? とか、何故、天界は雲の上にあるの? とか、判らないことがありすぎる」
 常に頭の中には答えを求める疑問の声が犇めいている。
 例えば、夕焼けも見られないこの、空。
 は夕焼けが夜の帳に溶け込む際の、あの絶妙な色彩が好きだ。かつて下界で見た綺麗なグラデーションは、何パターンも脳で再生出来る。
 この天界の空の元では、見ることが叶わない。
 それは、悲しい。しかし、泣くほどのことでない。
 だから、自分にとって何が一番悲しいかと考えた時、大好きな人たちを失うことだと思い至った。
 それだけは避けたい。絶対に嫌だ。そうならないために、動こうとしている。
 絵本で泣いていた子供は、大切な人を失った悲しみから泣き続けた。は、そんなのはご免だった。離れても、また会えるなら、きっとは泣かない。
 けれど、二度と会えないのなら?
 その悲哀は、想像だけでもの胸を酷く締め付けた。
 かなしい。
 それは、良く、解る。
 涙は出ない。
 青い川面を見る。川と海は繋がっているのだと謂う。
 涙の海へと繋がる流れ。元を辿れば、川の源泉に行ける。そこには、涙する訳も生まれているのかも知れない。
 「悲しくて泣くのは、嫌」
 「だったら、嬉しくて泣けばいい」
 は捲簾の優しい眼差しを受け止める。ああ、まただ。
 「嬉しさの余りに泣くってことも、あるもんだ」
 「嬉しさ…」
 「そう。俺はを悲しませることはしたくない。でもきっと、を嬉しさで一杯にして、泣かせることは出来るかな? …いや、どっちにしろ、泣かせることは好きじゃねえけどよ」
 は自分が一番嬉しいと思うことを考えてみた。悲しいの、真逆。
 「みんなと一緒に居られたなら、嬉しい。那咤は今は居ないけれど、ケン兄や悟空、金蝉に天ちゃんたちが一緒に居てくれるもの。だから、もう、嬉しいよ」
 少し微笑んだに、捲簾は複雑な気持ちになった。彼女の言葉は嬉しかったが、それは最高の幸せではない、ということだ。
 の幸せを叶えてやりたい。
 「ケン兄は、きっと、両方の理由で泣いたことがありそう」
 「何で?」
 「とっても優しいから」
 真っ直ぐな視線と率直な言葉を投げかけてくるに、捲簾は照れたように笑った。










**これも目指したこゆめにしては長い…。
 でもいいです。
 ケン兄が好きなんだー。

 外伝回顧録で、天界では太陽も月も見られないと知って大層ショック受けています…。
*2009/08/30up


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