autumn trip** 2:紅葉、ランデヴー 川の向こうには見事なまでの赤・橙・黄・緑と楽しめる紅葉が広がっていた。 清涼足る風が 蘭紗 の髪を優しく攫う。 茶屋へ続く橋の下には、琵琶湖疎水。さらさら流れる川の音に耳を傾けると、風と紅葉が奏でる葉音のリズムも混ざって聞こえ、実に素敵だ。 一人ならもっと素敵だなあ、と声に出すと、連れの男が離れた処で抗議する。 「一緒に居るから、一人よりもっと素敵になるんだ」 「まー、そーゆー事もあるかな。そうしておこう」 ゆっくり歩いてくる紂王に向かって微笑む。彼も笑っていた。 哲学の道。春は桜のトンネルが出来、その昔の哲学者がこの道を歩いて思索に耽ったため付けられた名前だと謂う。 初夏には蛍が飛び交うらしい。冬は冬で、きっと雪化粧が見事なのだろう。今度からは季節毎に来たい、と思う 蘭紗 だった。ここだけではなく、京都全体にいえる事。 茶屋で短い一服を終えた後、散策を再開する。 「南禅寺や永観堂も見事だったが、こういう散歩道で眺めるのも良いな」 「うん。ああ、のどかだよねえ。来て良かった~。次の多分初? 銀閣寺も楽しみ!」 蘭紗 は伸びをしながら言った。吸い込む空気も、いつものとは違う気さえする。 「初? ってのは何だ?」 やっと 蘭紗 に追い付いた紂王が、もう逃がさぬようにと彼女の手を握った。 「むかあーし修学旅行で行った気がするけど記憶にないのさ。つか、何このお手て」 「こうでもしないと、また離れるだろう?」 「……やっぱし一人の方がいいですよ」 「却下」 恋人でもないのに、と思うが口にはしない。紂王は 蘭紗 が好きだし、 蘭紗 も同じ思いだ。特に紂王はストレートにそれを伝えている。が、 蘭紗 はそれをしない。時々、思い出したかのように応える事はあるけれど。 どうにも奥手な性格が災いする。抵抗感を覚えるものの、紂王の手を払い除ける事はしなかった。幸福感も、同時に感じていたから。 「 蘭紗 、下を見てみろ」 「気付いてるよ。きっと、これって風流?」 「そうだな」 紅葉の絨毯も良いけれど、川を流れる散り紅も素敵だ。 二人肩を並べてまったりするのも悪くない。むしろ、紂王の云った様に、素敵だ。 夕陽になる前に急いで銀閣寺に滑り込みたいが、もう少し、こうしていたい。 繋いで共有している温かさがとても惜しいから。 離せない。 離したくない。 離さないで。 離さないから、離さないで。 そう言えば、紂王は笑って頷いてくれるだろうか。 素直に嬉しいと言えず、握り返しも出来ない自分に苛立った。 好き、なのに、迷う。 想いの流れる方向は、隣に居てくれるひとだけなのに。 そんな 蘭紗 の苦悩は、極力顔に出さずにいたとはいえ、上から間近に見下ろす紂王には判った。 伊達に半年以上、ほぼ毎日一緒に過ごしていない。こういった時の彼女の感情の機微を、紂王は察する事が出来る。最近は特に。 …その他の、例えば激怒させてしまった時の 蘭紗 の暴れようには、とても対処し切れないが…。 紂王は無理強いはしないで、気長に待つ事に決めていた。もう少し近付いてくれも良いのに…とは望むけれど、実は 蘭紗 の反応や変わり様を楽しんでいるから、自分でも始末に負えないと思う。 蘭紗 と居ると楽しい。愛おしい、嬉しい、切ない、まるで今までの自分は知らなかった事のように、輝かしいから。 少しだけ出す、悪戯心。 「先へ行こう。まだ予定はある」 蘭紗 の手を引いて促す。彼女は口を開きかけて、止めた。その隙に。 「まだ高台寺の夜間特別拝観もあるし、京料理も楽しんでいないし、その後のお楽しみもあるし……」 言いながら、紂王は空いている手で 蘭紗 の頬をひと撫で。 瞬いた後、 蘭紗 の頬は紅葉を散らしたかの様に赤く染まった。紂王の云うお楽しみ、に思い当たったからだ。 「な、んにもないじゃん」 「そうか?」 紂王は平静そのもので余裕がある。時々はこうやって攻撃したり、歩み寄らないと。気長に待つ、が聞いて呆れるが、駆け引きの取っ掛かりは作っておく。 老舗旅館で同じ部屋に泊まる。それだけ。そう、紂王にとっては悲しい哉、きっとそれだけで終わるだろう。 「初・浴衣姿が見られるんだからな! これは楽しみだ!」 まだ頬染める 蘭紗 に、にっかり笑って言ってやる。 「! …ぜってえ着ねえ…」 蘭紗 は低い声で唸るが、内心はほっと胸を撫で下ろす。あらぬ想像をし、気を紛らわせる為に、襲われでもしたらどうやってぶちのめそうか考えていたところだった。 ああ、からかわれた、と気付いた時にはもう遅い。 「 蘭紗 、一緒に浴衣着ようなー」 「着ねえっつてんだろバカ紂」 「他に何着るんだ?」 「……み、土産Tシャツとか…」 「色気がないにも程がある…」 「黙れ」 すっかりいつもの調子を取り戻した 蘭紗 は、悪態を吐き始めた。 「どーせお前の事だ。夜通し地酒飲みまくるつもりなんじゃないのか?」 「 蘭紗 が付き合ってくれるのなら」 「酒なんか飲まねえよ」 「知ってるし。お酌お酌」 「しません。つか、酒臭い状態であたしに近付くなと、いつも言ってるだろ」 「好きなんだから、ムリ」 語尾にハートが付きそうな勢いで、紂王が言った。 蘭紗 は、ああ、イイ笑顔だ…、と他人事の様に紂王を見てしまう。しかし、はっと我に返り、プイと顔を背けた。 砂利道になった銀閣寺への道程を、 蘭紗 は一人で行こうとする。紂王が手を引かれる格好になった。人波を縫うように、先へと進む。 手は繋いだまま。 「 蘭紗 ー」 紂王が呼ぶ。 「 蘭紗 ったら」 履き慣れたブーツを鳴らしながら、 蘭紗 はどんどん進んで行く。 「……飼い主の機嫌損ねたわんこ気分」 ぼそりと紂王が呟けば。 「自分でわんことか言うな」 蘭紗 は低い声で返しつつ、逆の想像をした。いう事を聞かない犬、否、気紛れ猫について行くしなかい御主人。その主人は、ワン、と力なく吠える。聴いた 蘭紗 は溜め息ひとつ。 「陽も落ちてきた事だ。さっさと行こう。早くしないとさ、銀閣寺楽しめないよ。まだこの道続くようだし?」 少し焦りが生まれてきている。二キロほどあると何かの本で読んだ気はするのだが、 蘭紗 が思っていたよりも、哲学の道は長かった。 銀閣寺の拝観時間は夕方五時まで。あと一時間近くで全部を回り切れるか…。 「速度上げるか?」 「うん。そーする」 人気スポットなだけあって、哲学の道は人が沢山居た。二人は仕方なく手を離して、走りやすいようにする。 「また後で」 蘭紗 の名残惜しむ気持ちを察したかのように、紂王が囁く。 蘭紗 は返事の代わりにヘの字口を作った。目をぐるりと回し、大きく瞬き、やがて短く微笑む。 「後で、ね。ハイハイ」 その言葉を合図に、二人は走り始めた。 時折は少しだけ変わる周りに目を向けながら、たわいのない話を織り交ぜ、道の端を走る。 目的地に近付くように、この人に近付けるだろうか? 紂王の背中を見ながら、 蘭紗 は考え続けた。
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