1:憂いの感情を誤魔化すように How should I know?




 殷王朝は紛う事なく宗教国家である。
 時として、血生臭いまでに。
 そうやって永きに渡り、繁栄して来たのだ。


 王子受は黙考している。
 従者は固唾を呑んで見守っていた。目の前に在る亀の甲羅には、奇妙な亀裂が走っているが、生憎と従者にはその亀裂の意味が判らなかった。
 卜占(ぼくせん)というものである。
 一種の占いだが、これが殷王朝ではとても特別な意味を持っていた。何か重要な行動を起こそうとしよう。それならば、亀や蟹の甲羅を使って神霊にお伺いを立てなければならない。どうしたら良いのでしょう、こうしようと思いますが如何でしょうか…。
 ああ、もう。
 受は、自分で占っておきながら、嫌気が差すのを感じた。
 結果は悪く、止めておいた方が無難であろう。我慢しろと思う自分と、良いではないか、行ってしまえと思う自分がいる。
 幸い、今日は祖伊が居ない事だし。この従者では吉凶の判断はつくまい。受はゆっくり目を開き、
 「危険は少ないようだ。正し、北は良くないと出ている。…やはり西に行く事にしよう。日程は予定通り、二日後だ」
 従者に見届けをさせ、報告に行ってもらう。これで、あとは教育係の聞仲さえ適当にあしらえば、晴れて自由が満喫出来るというもの。
 一人になった部屋で、受は全身の力を抜く。
 「遊ぶぞ〜!」
 久方ぶりの休みなのだ。毎日コツコツ勉学、武道、それとは別に王子としての公務をクリアして来た甲斐があったというもの。
 晴れ渡った春の日だった。
 受は明後日の天気を思う。天気が気になっても、卜占をしようという気にはなれなかった。この国の王子失格だろうか?
 天気一つに神様に伺いを立てているようでは、実は、人の上に立ち指導をする王たるもの、それこそ失格ではないかとさえ思う。はずれたら神様のせいにするのは何とも情けない話だ。
 父の背中を思い出した。最近会っていない。
 きっと、政に夢中なのだろう。仕事熱心で、神様との会話が大好き。父には、この国の王であることは、これ以上ない天職なのだろうと思った。
 子供では、父の感じる神様に、到底敵わない。
 神への些細な反発心は、そんな思いから来ているのかもしれないと分析。
 「明後日は、そんな事は忘れよう」
 次は、そんな言葉をわざわざ口にした心理を分析し始めた。



 受は体を動かす事が好きである。武術にしても、遊びにしても。だが、一番の好みは、狩りだった。
 今日は狩りを楽しむ為に遠出の許可を得た。供に学友の祖伊を連れて。後方にも数人従者がいたが、この際気にしない事にした。
 (聞太師め…。余計な気を利かせてくれたもんだ)
 心配されているのは判るが、もうそんなに子供ではないと思っている。王子という自分の立場も判っている。しかし、不満だった。
 いや、違う。集中しなければ。今は狩りの真っ最中なのだ。
 神経を聴覚に集中させる。ひたすら待つ。
 僅かに。
 僅かに、葉擦れの音がした。
 段々音が大きくなりーー…。
 受は槍を投げようと構え、隣では祖伊が弓をつがえた。
 獲物が茂みから出てくる前に、鳴き声が聞こえる。
 「デルッ!」
 「!?」
 受と祖伊はその鳴き声に驚きはしたが、人の気配ではないと判断し、受は茂みに向かって槍を投げた。
 同時に、獲物が茂みから飛び出てくるが、すかさず祖伊が放った矢を紙一重でかわした生き物。
 「…何だ、この生き物は?」
 「殿下、御下がり下さい!」
 祖伊は受の前に飛び出し、獣に立ちはだかった。
 「待て、口に何かくわえているぞ。…丸い…ボールか?」
 受は、獣が睨むのも、祖伊の静止も聞かず、興味津々に赤と白にカラーリングされた物を見つめた。
 「ボールにしては堅そうな材質だな。石細工か? 珍しいなあ。これといい、この生き物といい……。お前は何だと思う、祖伊?」
 「…さあ、私には判り兼ねます。てゆーか、下がって下さいってば! 御怪我でもされたら大変なんですから!」
 「ああ、判ってるよ。犬っぽいな、しかし」
 「判って無いし!!」
 獣は躊躇しているように見えた。攻撃的な顔つきだが、冷静な判断力を持ち合わせているのだろうか。じりじりと後退する獣に合わせて、受もじりじりとにじり寄る。
 低く唸る獣を存分に観察して、受は肚を決めた。
 「良し、こいつを捕獲するぞ。ペットに欲しい」
 「はあ?!」
 驚いて弓矢を取り落としそうになった祖伊とは正反対に、受は顔を輝かせた。
 







夢始 


*2006/01/29 英字タイトル追加。