REPORT5:思い出に眠るかつての想い 2 「イワーク…」 ひんやりとした空気の中、イワークの静かな息づかいがシゲルの耳に届く。 シゲルは窓もカーテンも全部開けて、窓から身を乗り出した。久々に見るイワークだった。あの、五歳の時の記憶と共に、押し込めていた気持ちがよみがえる。 いまだ残る、恐怖。 シゲルは、恐怖を克服したいと思っている。また、ポケモンと遊びたいのはやまやまなのだ。 その一歩を踏み出すキッカケは、今。 「ただいま、イワーク」 懐かしい、と思う気持ちと一緒に、自然と笑顔で話せた。 「イワーク」 「どうしたんだい、こんな遅い時間に…」 「イワ、イワーク」 「え? えっと…」 イワークが何を言いたいのか分からない。距離が近くなったところで分かるはずもないが、シゲルはさらに窓から上半身を出す。イワークは頭を垂れて、合図した。 「乗れってこと?」 イワークがうなずいたので、シゲルは戸惑いながらもイワークの頭に乗ってみた。落ちないようにがっしりとしがみつくシゲル。イワークはそれを確認すると、ゆっくりシゲルの部屋から離れる。 イワークが向かったのは、庭の奥の方だった。 シゲルもイワークも無言だ。 話したい事は、たくさんある。シゲルは中々口がきけない。さっきのように、もう一歩を踏み出せば良いだけなのに。 知らないうちに、ずいぶんポケモンとの距離が出来ていたようだ。 いや、知らないうちなどではない。思ったより、が正しい。 あれからもう、三年は経つというのに、まったく治っていなかった心の傷。 ポケモンを拒むことで、距離を取ることで、逆に自分で傷口を広げていたのだ。 気づいたシゲルはがく然とした。 別の恐怖も生まれる。 同じ痛みを繰り返して、今日まできてしまった。 この恐怖は取りのぞけるのか? という、恐怖。不安。 ひやり、と感じたのは、空気の冷たさ以上だった。 やがてたどり着いたのは、森へと続く道。入り口手前に、みずポケモンが住む、庭一大きな池がある。 池に映る満月の中に、マリルがいた。その周りからはコダックが二匹、コイキング、トサキントが出て楽しそうに泳ぐ。さらには最後に出て来たシャワーズがあわをはき出し、その泡はシゲルめがけて飛んできた。 とっさにいわタイプのイワークのことを心配したが、次に出て来たピジョンに気を取られてしまう。ピジョンはかぜおこしで泡の軌道を変えた。ピジョンの後ろから飛び出したのは、エレブーだった。 「エレブーまで? 一体何なんだ?」 驚きを隠せないシゲルをよそに、ポケモンたちは次々と出て来て一仕事していく。 エレブーは電撃を出して辺りを明るく灯す。その光が泡に反射して光り、ルージュラの放ったふぶきで泡は凍った。茂みから跳び出してきたドードリオとオニドリルのみだれづき、ニャースのみだれひっかき、スピアーのミサイルばり、カラカラのほねブーメランで氷の塊となった泡を打ち砕く。 ピカチュウとライチュウのコンビは、じゅうまんボルトの電撃で再び辺りを照らし出した。 「…きれいだ…」 シゲルはきらきら光る氷の破片をその身に浴びながら、ほうとため息をつく。 まだ終わりではない。 輝きの欠片が消えないうちに、ナゾノクサ、クサイハナ、ラフレシアがそろってはなびらのまいを使った。 ラプラスは威力の弱いしろいきりを出して、幻想的な雰囲気を作り出す。マダツボミとフシギソウは、つるのムチで霧と花びらを拡散させ、効果の範囲を広げた。 そんな中、プリンとプクリンの歌声が響き渡る。合わせて、ラッキーにナゾノクサとその進化系も歌い、踊った。 さらに盛り上がったのは、霧を吹き飛ばしたかえんほうしゃやほのおのうずの共演だった。ガーディとポニータのコンビが頑張りすぎて、シゲルとイワークの近くスレスレを通りそうになる。 シゲルたち見ているものがあっと驚いた時、ビリリダマとマルマインがひかりのかべを作った。 そして、炎をサイコキネシスで操り、輪投げの輪っかのようにしてしまったのはフーディンだ。その輪をめがけてとっしんして来たのは、サイホーン。 見事、サイホーンは炎の輪をくぐり抜けてシゲルとイワークの前に着地する。サイホーンッ! と、成功した喜びの声を上げた。 「…もしかして、これは、僕の帰りを歓迎してくれている…のかな?」 シゲルとイワークの周りには、たくさんのポケモンが集まって、喜びの声を上げていた。みんながシゲルの帰りを待っていたかのように。 「…みんな、ありがとう。すっごく、嬉しいよ」 シゲルは集まったポケモン一匹一匹を見る。 「そして、ただいま!」 シゲルが笑顔で元気良く言うと、ポケモンたちの歓声が響き渡った。 オーキド・ユキナリは、自室でメールを読んでいた。コーヒーカップに口をつけた時、湯気と共にコーヒーの良い香りに鼻孔をくすぐられる。しばらく香りを楽しんだのち、贈り物である高級コーヒーの味わいをじっくりと確認。 「うむ、美味い」 「フーディン!」 「うわ?! …びっくりしたのう。どうした、フーディン?」 急に部屋に現れたフーディンに、ユキナリは何事かとイスから立ち上がる。 フーディンはテレパシーで今研究所の庭で起こっていることを報告した。 「そうか、そうか…。うむうむ、良かったのう。これでお前たちも、もう寂しくないのう」 「フーディン!」 ユキナリは笑顔のフーディンを見ながら、昼間に交わしたポケモンたちとの会話を思い出す。 ポケモンたちの世話をする時、研究する時にも暇さえあれば、ユキナリは世間話をしていた。ポケモンの研究のことも話せば、人間たちが起こした事件、楽しいイベントの話、時々訪れる友人や後輩が持ってくるお土産のことなど…。 いつものように庭の一角でくさポケモンたちと世間話をしていた時、イワークとサイホーンが通りかかった。フーディンから三年前に起こったことのてんまつを聞いていたユキナリは、二匹を呼び止めて、夕方にはシゲルが帰ってくると告げる。 「今度は短い休みではないからの。もう、ポケモントレーナーとして旅立つ日までは、ここで暮らすじゃろうな」 その一言を聞いた二匹は、驚きと喜びでユキナリに殺到した。潰されかけたユキナリだが、イワークとサイホーンがあの事件のことを気にしているのを知っていたから、一緒に喜んで二匹の体をなでてやった。 部屋の時計を見るとまだ八時。しかし、八歳の子供が起きているにはそろそろ問題だと思う。それに、まだ秋口とはいえ、丘にある研究所一帯は寒かった。 「あと一時間したら、迎えに行こうかの。フーディン、お前も楽しんでおいで。そして、シゲルを頼んだぞ」 「フー! フーディン!」 フーディンは張り切った声を残して、テレポートで去っていった。 ユキナリはコーヒーの残りを飲み干しながら、愛しい孫とポケモンたちの間で、再び時が動き出した喜びをかみしめていた。 結局、迎えに来たユキナリも交えて、シゲルの歓迎パーティは続けられた。ほのおポケモンたちが、キャンプファイヤーの要領で組み立てたまきに火を点けていて、暖には事欠かなかった。 はしゃぎ疲れたシゲルは、ユキナリにおぶられたところまでは覚えている。その後の記憶は、朝までない。彼は夢の中でさえ、ポケモンたちと一緒だった。 十歳のシゲルは、暗闇の中で天井を見つめている。一通り思い出した記憶のせいで、不覚にも涙が出そうだ。 泣かない、決して泣かない。 何の涙なのか、分からないから。 シゲルはきつく目を閉じて、頭からふとんをかぶる。もう闇は見たくなかった。 静かに息を吐いて、吸う。落ち着くまで深呼吸を繰り返した。 実際に目に見える闇よりも、こうして目をつむっている方が暗く感じる。けれど、深呼吸の効果もあってか、闇の中で落ち着く自分がいた。 闇は、恐くない。 もう、恐くない。 自分で作り出した恐怖なんかには、負けない。 ポケモンはただ恐いだけの生き物ではないのだから。 自分が今まで旅をしてきた中で見たものは、彼らの優しさ、温かさ、そして、力強い生命力。 力は間違った方向に使えば、ポケモンでなくとも十分な恐怖を生む。進歩してきた人間の科学力だって例外じゃない。 その科学力ですら、ポケモンに及ばないこともあるけれど。 寝返りをうつ。まだ眠れない。 ゴローニャの外皮の固さについて考える、オーダイルのあごの威力について考える、レアコイルが持つ磁力について考える、カクレオンの擬態についてー…。 もっと眠れなくなった。 通路側へ体を向けた時、シゲルのふとんに入ってくる何かがいた。もぞもぞとした動きに驚くと、目を開いたシゲルの前に、赤い瞳が現れる。 のコラッタだった。 「コラッタ…。いや、ララコットか…」 ララコットは無言でシゲルの鼻先にすり寄った。 「くすぐったいぞ。どうしたんだ?」 鳴き声ひとつ上げないララコットを抱いたシゲルは、目の前の歯は何故一生伸び続けるのかと考える。 いや、今はよそう。明日のために寝なければ…。 「そういや、お前どうしてー…」 シゲルはあわててふとんから出た。 は、ララコットを出していなかった。勝手に出て来たのかとも思ったが、 が仕掛けたのでは、と気づく。 案の定、 は起きていた。その隣ではヒノアラシのピノがあくびをした。 「 さん…」 「眠れないの?」 はベッドの端に腰かけて、シゲルを見ていた。 「ただの勘だけど、眠れないのには訳がありそうだったから」 ピノを抱き寄せ、シゲルの元に行く。 「きっと、近くに体温や鼓動があると安心して眠れると思うの。ララコットやピノと一緒なら、寝つきが良くなるんじゃないかな。…余計なことだったら、ごめん」 は、ピノで顔を隠しながら言った。自分の勘には少しの自信があるが、シゲルの心に近づくのが恐かったのだ。 シゲルのため、と思ったけれど、余計な世話と思われては悲しい。 考え出したら、こういった距離の取り方は、何人と出会って過ごしても慣れなかった。 始めのうちは、恐い。 大切に想う人だからこそ。 「ありがとうございます、 さん。少し、考え事をしすぎました。僕、ダメなんです。ポケモンの不思議を考え始めたら止まらなくなることが多くて。でも、眠れない時は、眠れるまで考えてしまったり…」 「私も一緒よ。研究が進まない時は、特に」 当然のことながら、言わないだけでポケモンの研究のことではない。 はポケモンのことは、まだ本の中の知識程度しか持ち合わせていないのだから。 はかつて、ある狂科学者の元で研究の手伝いをしていた経歴がある。 ピノを手渡した は自分のベッドに戻った。 静かにおやすみ、と言う に口を開きかけた時、シゲルはララコットの視線に気づく。その先には、マスターの 。 ララコットと を交互に見て、ララコットの意図をくみ取る。シゲルの視線に、ララコットが気づいた。 このポケモンは、人間の心の微妙な動きを察することが出来るようだ。 シゲルはララコットに笑いかけて、ひとつうなずく。 「 さん、ピノはお借りします。でも、ララコットはあなたと一緒にいた方が良さそうだ」 「…どうして?」 「ララコットが、心配していますよ。 さんが、何だか不安そうに見えるみたいです」 はララコットを見る。暗闇の中でも光る瞳は、 の心などお見通しのようだ。 は今にも泣きそうな顔になった。ララコットがシゲルの腕から飛び降り、 の元へとかけ寄る。 「おやすみなさい、 さん」 「うん、おやすみ。ピノも、ララコットも」 「ヒ〜ノ〜」 ピノはあいさつを返し、ララコットは に抱きつく。 も抱き返し、ふとんにもぐった。 その後は、二人と二匹、すぐに眠りに就く。 子守歌よりも確かな安眠のもと、生き物の鼓動と温かさは、今のシゲルと には絶大な効果があったようだ。 頭も体も、心も軽い。シゲルはまだ寝ているピノを放し、ベッドを抜け出す。カーテンの後ろから薄明かりが見えた。ポッポのさえずりも聞こえる。目覚まし時計のアラーム時刻より、早く起きてしまったようだ。 カーテンを開き、窓を開ける。少しだけ。朝の空気は冷たく、 たちを起こしては申し訳ないと思った。 あの日、あの一歩を踏み出していなかったら、今頃どうなっていただろうか。 あのままで、ポケモンマスターを目指していた? 朝日はとても、まぶしい。 世界もとても、まぶしい。 そのまぶしさの中を、僕は進んで行く。 時には、手の平で光をさえぎりながら。 まぶしさに立ち止まっても、その先へ。 ずっと先へ。 まだ迷いがあって、進む先が見えないけれど、道しるべなら見つけた。 思い描く光の先へ、突き進んで行くだけ。 一匹のポッポが、優雅に羽ばたいて飛び去って行くのが見えた。 シゲルの背中に羽根はない。 でも心ひとつで、希望の地へ飛んで行くことが出来る。そう願う。 朝だ。戦いの始まりの、朝。 今日は選考会である。二百人余りの参加者が、予選リーグへ進める四十八人に絞られる。一戦たりとも気は抜かない。 シゲルはこのシロガネ大会にすべてを懸けていた。 これからの自分の行く先に、道しるべの先までたどり着くまでには、いくつか選ぶ道もあるだろう。その選択肢を広げるも狭めるも、自分次第。 ここが正念場だ。 今あるシゲルのすべてを懸けて。 「僕は必ず、勝つ」 シゲルの小さな呟きは、実は、シゲルよりも早くに起きていた だけが聞いていた。
|
|||