桜華別路之禍梯第壱話「






 時刻は俗に云う丑三つ時。
 千年以上の長きに渡り日月の光を浴び続けた巨岩があった。大地のパワーをも吸収し、その巨岩に、異変が起こる。
 
 ある満月の夜。大地のオーラが集まり、蓄えられた巨岩から石猿が生まれる。しかし、産み落とされたのは一つではなかった。二対の、生き物。大地の土色の髪に黄金の双眸を持つ男の子と、夜の漆黒の髪に同じく黄金の眼を持つ女の子が、生命を分け与えて砕けた岩の中でしかと照り輝く満月を視た。

 男の子には、
 生まれて初めて視たそれが、
 何なのかも判らないまま、
 ただ焦がれて見詰めて、
 眼が離せないものだった。




 男の子は、次に隣をまじまじと見て、にっこり笑った。
 女の子は、前を見たまま気付かない。首にペンダントのようなものが付いていた。
 暫くすると、男の子は女の子の腕を掴んだ。やっと女の子が男の子を見る。金の眼が交わり、互いを映す。存在を確認するように、二人は抱き合った。
 優しい笑みを浮かべる男の子とは対照的に、女の子は無表情だったが、人肌の温度に目を細める。

 なんかとくんとくんしてる。
 おんなじふうに。
 なあに? これ。
 わかんないけど、きもちいい。
 おとがひとつになって、きもちいい。
 そう、これ、は、きもちいいんだ。

 自分が生まれたと唐突に自覚する。急速に拡散し、収束し、体積、浸透していく感覚に、幼女はゆっくりと眼を開けた。金色に輝く光の塊を睨み付け、焼き付けるように見詰める。
 抱き付いている男の子にも、黄金の光が宿っていた。少し身体を離し、彼女は彼の瞼に自然と接吻をする。もう片方にも。



 天界で観測された、災いの落とし子を保護する任を仰せつかった恵岸行者は、今し方一仕事を終え、こっそりと溜め息をついた。思いきり溜め息を吐いて、盛大に舌打ちをするのはもう少し後まで我慢しなければならない。
 何故なら、まだこれから厄介で気の進まない仕事が残っているからだ。保護した幼児を、今の我が師、観世音菩薩に届けねば。
 そして、前を行く一人の神に気後れを感じているのがもう一つの理由。
 釈迦如来から受け取った子供二人を横目で見ながら、長い廊下を憂鬱に進んだ。

 肝心の観世音菩薩は、まだ謁見の間に来ていなかった。





 今日は久々に夢を見た。
 思い出したくもない夢の内容だった。出来るだけ考えないようにと、いつもより早く仕事を始めたのに。大して仕事も片付けないまま、金蝉童子は散歩に出掛けていた。
 退屈だ。非常に退屈だ。いつも感じている事が、今日は殊更頭をもたげる。
 
 何時聞いたのか、誰が云ったのかも覚えていないが、こんな時に必ず思い出す言葉があった。

 『退屈は人を殺せる。』

 天界の人間ではない。下界の人間が云った言葉だ。
 金蝉が住む天界には、死がない。
 自ら手を下さない限り、殺されない限り、緩やかに死を迎えるという事はない。
 いつまでもいつまでも、こんな腐った状態で生き続ける苦痛。
 退屈が人を殺せるのなら、人は何を殺せるのだろう。
 同じヒト以外で。
 天界と下界では違うのだろうか。
 ああ、退屈だ。

 煩雑な下界とは隔絶された、平和なこの土地。過ごしやすい穏やかな気温と、咲いては散りゆくはずの儚さをまるで無視した桜の樹の数々。止まってしまったかのような時間。繰り返し、繰り返し……。ただ、それだけ。何もない。変わらないものばかり。
 心だけが緩やかに、死へと向かっていく感覚。ゆるゆる、ゆるゆる…。

 意識が溶けて。このまま、身体も溶けて。
 全身の力が抜けて、固体から液体になる。
 誰かが燃やしてくれたら、この空気に溶ける。
 気体なんざすぐ空気と混じって、
 そして俺は残らない。

 痛みすら麻痺寸前の、生ける屍。変化に期待もしていなかったのに。

 退屈の終わりが告げられ、新たな出来事の、予感。
 厄介事だけなら御免被る。夢、を見た。
 思い出すな、思い出すな。
 フラッシュバックのように蘇る闇の中の男、少女、少年。金色の眼、白髪、小さな手、赤い頬、後は…。後は?
 金蝉は大きく頭を振る。自分の金髪が数本頬に掛かった。もっともっと濃い金色の瞳が四つ、金蝉を見ていたのを思い出す。
 輝く黄金の宝。
 まるで、あの太陽のような…。
 手で陽射しを避けながら、金蝉は立ち止まる。長くは見ていられない、強烈な光なのに、多少の痛みは我慢して近付きたくなる程の魔力。
 足音だ。駆けてくる軽やかなステップ音に金蝉は疑問を覚える。視界の端に、塀から飛び降りた小さな影を認めた。桜の木の枝をクッション代わりにして、派手な音をたてつつ地に降り立ったものは。
 艶やかな黒真珠を思わせる髪と、大振りのインペリアル・トパーズを嵌め込んだかのような双眸。新雪の肌に、頬は夕日がさっと差し込んだような朱色をし、赤い果肉を連想してしまう、ふっくらとした唇の、子供だった。
 金蝉は声にならない悲鳴を上げ、脈が早まったのを感じる。
 夢の中の、子供だ!
 少女は金蝉を一瞥して、すぐさま脇を通り抜ける。金蝉は付いて行けず、思わず振り返って見送る事になった。
 「ま、待て! 子供がこんな所で何をしている!」
 金蝉の制止の声にも耳を貸さず、子供は走る。追い掛けようか逡巡した時、突風が吹き荒れた。
 枝葉も桜の花弁も、容赦なく音を鳴らす。花弁は大量吹き飛び、金蝉と少女を包み込んだ。少女は足を止める。一身に花弁を受けつつ、まだ舞う桜吹雪に見入っていた。
 金蝉は何とか追い付き、少女の前に立つ。暫し無言で見詰め合った。
 「お前は誰だ?」
 「私はわたし。貴男誰?」
 か細い声だった。だが、声の響きが良い。
 「俺は金蝉童子」
 今度は優しい風が吹く。少女の髪と肩に乗っていた花弁が、はらはらと舞い落ちた。無表情同士はそのまま喋らず、やはり見詰め合うだけ。少なくとも金蝉の方は、目が逸らせないでいる。
 何を聞こうか迷い、それでも口を開きかけた時、少女は一瞬目を伏せた。さっと金の眼を再び見せ、小さく呟く。
 「さよなら」
 「! おいっ」
 一方的に別れを告げて、少女は元来た方へと走って行く。並の子供のスピードとは思えない速さだ。
 「何だってんだ…」
 すっかり散歩の気分ではなくなった金蝉は、自分の館へと帰って行った。



 金蝉が館に着くと、仕事部屋の机に、否応なしに溜まっている書類の束が目に入る。退屈だ退屈だと思いながら、いつものように、緩慢に仕事をこなした。
 飽きていい加減脳味噌が溶けそうな気持ちになっていると、挨拶もなしに不遜な態度で、不敵に笑う人物来襲。
 観世音菩薩、と呼ばれる人物だ。
 上半身丸見えの薄衣を纏っただけの格好に、赤いマニキュア。
 胸の膨らみからして女性だと思うものが大多数であろうが、観世音菩薩はどうしてか両性具有である。
 現代で観世音菩薩といえば、ちょっと違うが困った時は110番のノリに近しいものがある。一心に観世音の名を称えれば、災難からの救済、大抵の願いは聞き入れて下さるという、ありがたあーい菩薩様なのだ。畏れ無きを施す者、安心を与え続けてくれると謂われている。
 しかし、よくある話で現実は異なるのが常。
 甥の金蝉をからかうのが趣味のような性格をしているのだ。まともに付き合っていると、胃に穴が開きそうになる。付き人の男は、完全に胃痛に悩まされていると聞いた。
 そんな観音が大層面白げに口元を上げ、金蝉を誘う。
 下界から連れて来られた、金の眼を持つ動物を見せてやる、と。



 予感がしたのだ。
 名を持つ少女と、名を持たぬ少年が夢に出て来たから。
 奇妙な闇の塊が、少女を預けると言ってきた。少女の名前も言っていた気がするが、とんと思い出せない。
 金蝉は要らねえよと怒鳴ったが、闇は勝手に消え去り、金蝉の元には、顔のよく見えぬ子供が二人残る。はっきり判るのは、金色の双眸。
 困り果てた時、急に目が覚めた。寝起きの気分は勿論最悪だった。
 下界という単語に反応しつつ、その動物に興味を覚えた金蝉は、観音の後に続く。
 あの大きな金の眼の少女に、また会えるという期待。
 この時は、後悔するなんて思ってもみなかった。
 騒擾な日々の始まりが、金蝉を飲み込むのはもうすぐの事……。













**やっとやっとやっと! 第壱話…。これ、原形作ったの2002年の終わり頃とかで、何で今もう2005年なの? とか、せっかく外伝休載時にパチこいたもん(嘘モノ・偽物)を書いちゃろー!! と思っていたのですが。
 嗚呼時が経つのは本当に早い。もう連載再開じゃないの(嬉しいです)!
 ていうかお前の時間感覚が可笑しいんじゃ! と自ツッコミ。半年掛けて1話書いた回もあるくらいなので……(望遠)。
 本当は全34話書いてからアップしようと思っていたのですが、再開に合わせて慌ててお披露目。半分くらい書き直しました。ああん、あと3話分出来ていません。無事終われる事を祈祷。
 長い話ですが、お付き合いの程を宜しくお願い致します。

*2005/08/16up





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