ドリーム小説

 事件簿一の伍

 
それでも人は息をする。





 今朝は小雨が降った。お陰で、水やりの手間が省けた、と坂田銀時は内心喜んだ。
 草むしりをしたり、剪定・整枝の作業に没頭した。今日は蛾又家正門を飾る枝垂れ桜の手入れもして、色づく蕾に思わず、ふっと、訳も判らない感情が生まれて笑ってしまった。
 太陽光は暖かく、風もそよ風。気持ち良い。
 「って、何庭師に染まってんの俺?! ってゆーかあ、現実逃避!!? このばてれんちっくな、えげれずちっくな洋館に桜ってそもそもミスマッチなようでそこがイイんじゃね? ああでも、夜に壁や柵についてる色とりどりネオンが点いたら明らかに悪趣味!」
 蛾又の家に居られるチャンスは今日と明日。逸る気持を抑えるために「冷静になれ!」と自分に言い聞かせた結果がこれだが、ある意味成功はしていた。
 「チクショー。どうだ、どうすりゃいい?」
 今朝寄った金虎寺で、 は銀時の願い通り大人しくいていた。鑑爺和尚にも、 が出歩かぬよう頼んでおいた。そして、鑑爺は独自の情報ルートで蛾又の裏庭にあった、あの怪しい装置が何であったかを調べてくれている。戌威族と蛾又の関係についてもだ。
 銀時は昼食時、いつも通り屋敷の食堂で賄い食を食べている。今日は他の使用人に世間話がてら桜の話、バラ園の話を経由して、裏庭の手入れがどれくらいの間手つかずなのかを聞き出した。
 「え、一月からずっと?」
 「ああ、確かそれっくらいだなあ」
 「雑草伸び放題じゃないの」
 「ちげーねえ」
 口ひげの濃い、熊似の男は豪快に笑った。銀時はカレーをかき込みながら、渋面を作ってみせた。
 「そりゃーいかん。俺の中の庭師の血が騒ぐぜ!」
 「あら、でも、駄目よきっと。裏庭の手入れは愚か、近づく事すら許されないもの」
 恰幅の良いメイドルックのおばちゃんが、銀時のコップに水のお代わりを注いでくれた。
 「サンキュー、おばちゃん。それは俺も言われてるけど、もう明日で伯父さんの代わりは終わりだし。最後にこうね、ちゃんと仕事をしたー! と思いたいワケ。裏庭の掃除するのに、何か良い口実はないもんかね?」
 銀時の期待に反し、二人は首を振った。
 後々面倒かもしれないので庭師の爺さんには申し訳なく思うが、銀時は強行突破を試みる事にする。たらふく昼食を摂った後、用具室に駆け込み準備を整えた。
 鑑爺和尚が調べている情報が来るまで手荒な事はしない方が良い、とも思った。自分も情報収集に当たった方が効率は良いのではないか。手にしたチェーンソーで煉瓦小屋を壊す想像をしながら、銀時は息を吐く。
 「初回の仕事からこんなんで、この先だいじょぶか、俺…?」
 思わず、独りごちた。
 弱音を吐きながらも、諦める気は毛頭ない。
 「よし、行くか」
 使用人口から出た銀時は、聞こえた鈴の音に思わずチェーンソーを取り落としそうになった。
 振り向けば、黒スーツ男が居た。銀時は男の名前を思い出す。鷹頭(タカトウ)。
 「あれえ、鈴の音が聞こえたと思ったら、貴男でしたか」
 鷹頭は銀時を目に留め、無言で歩いてくる。銀時の横を抜けて屋敷に入ろうとした。
 「え、あれ、シカト?」
 銀時は鈴の音の出所を特定するために、必死で耳を澄ませた。手ではない。スーツのポケットだ。
 「そういえば、昨日庭に居た時、鈴の音が聞こえていた気がしましたが、あれは鷹頭さんだったんですね?」
 銀時が何食わぬ顔で言えば、鷹頭は低い声で否定した。
 「あっ、黒猫をお探しでしたっけ? 猫ちゃんの鈴? 結局あれから見かけませんでしたが、居ましたか〜?」
 「いいや。見かけたらすぐに知らせるんだ」
 「判りました。でも、いくら広いとはいえ、屋敷の敷地に居れば見つかりそうなモンですけどねえ。鉄門の隙間から逃げちゃったのかな? あ、餌! 餌はどこに置いてるんですか? 庭は止めて下さいよー。お行儀良ければ汚す事はないでしょーけど」
 銀時は内心必死で鷹頭を引き止めたかったが、鷹頭は銀時とのお喋りには全く興味がないようで、無表情のままその場を去って行った。
 「畜生…」
 鷹頭の部屋を調べる面倒が増えた。奴の部屋に鈴が置かれるのなら取り戻しようもあるが、蛾又の部屋となると少々凝ったセキュリティを突破しなければならなくなる。
 この事を に話そうか迷った。特徴ある鈴の音なので、聞こえ辛かったがほぼ彼女のあの葵紋の鈴で間違いないだろう。
 言えば、 は取り戻そうとする。その想像は容易い。
 鈴の音は敵に居場所を教えてしまう。始めは蛾又達の注意を自分に引きつけるために鈴をつけたまま屋敷に来たのだろうが、途中で鈴をどこかに隠した。恐らく、 の事だから見つけ難い所に隠したはずだ。
 それをどうしてか鷹頭が見つけた…。
 銀時は鷹頭の後をつける事にした。



 夕方に、銀時は再び金虎寺に立ち寄った。
 夕陽に照らされる境内で、黒猫・ は銀時を待っていた。
 「おう、ただいま」
 銀時の家ではない事は百も承知だが、 が自分を待ってくれていたと思えたから、ただいまと言った。
  は応えて鳴く。
 「朗報あったのか?」
  を抱いて、銀時は寺務所へ入って行った。
 ブーツを脱いで、大声で鑑爺にあいさつをする。微風に運ばれて、多少嗅ぎ慣れた白檀線香の香りがした。
 「爺さん、どうよ、情報は?」
 鑑爺は正座をして仏壇に手を合わせていた。
 「ニャア」
  が鳴くと鑑爺がようやく振り向き、銀時を見た。
 「朗報、訃報、二つある」
 「ふほー?」
 頭の中で訃報と結びつかなかった銀時は、間の抜けた声で返した。
 「まずは朗報…とも言えんが、戌威族の事じゃ。織川、蛾又と繋がった。猫たちがなぜ狙われたのかも、判った」
 「聞かせてくれ」
 銀時はあぐらをかき、鑑爺の後ろ姿を見据えた。鑑爺は銀時を見ない。
 戌威族が開発した汎用小型兵器の試作品が完成したという噂は、正月明けから一部の闇商人の間などで広がっていた。
 小型、といっても実物は大人の手の拳大ほどもある。しかし、それは二つの球からなる物体で、左右に分ける事が出来た。そのうち、右の爆発エネルギーを溜める役割を果たす球体が行方知れずとなった。
 「それは、ある猫の体内に吸収されてしまった」
 「吸収?」
 「元々の大きさからして猫が丸飲み出来る大きさではないが、どういう訳かある猫の中に入っていってしまったそうなのじゃ」
 「…まさか、 の中に?」
 銀時は隣で丸まっている を見た。 の耳が振れた。
 「なぜそう思う?」
 鑑爺の問いかけに、銀時は言葉を詰まらせる。
 「いや、何か、コイツの不思議さからしてそんな事になっててもおかしくないかな、っつーか」
 「幸いな事に、 様ではない。 様のご友人…ご友猫? の体内じゃ。前に 様が案内して下さったじゃろ、暹羅家の令嬢の」
 「ああ、パーマン」
 銀時のボケに、すかさず の猫キックが入った。
 「ぶぼぉあ!」
 「真面目に聞け」
 「真面目だったよ! つか、痛い、痛すぎるよ さん!」
 銀時の抗議などものともせず、 はまた畳の上に丸まった。
 横腹をさすりながら、銀時が訊く。
 「猫が狙われる理由はそれで判ったが、釈然としねー事が多いなァ。それに、肝心のバーマン猫はどこに居やがる?」
 「判らん」
 「判らんて…」
 あっさり言った鑑爺に、銀時は疲れた声音で返す。しかし、その目は鑑爺の背を睨みつけていた。そのまま視線の鋭さを衰えさせず、 も見た。彼女は反応しない。
 「怪しーな、お前ら」
 銀時の呟きには、応えるものは居なかった。仕方なく銀時から口を開く。
 「で、どうすんだ、アンタは」
 「儂は調査を続けるし、暹羅家の猫の捜索・保護にも手を回す。元々お主が引き受けた仕事は、猫探しじゃろう? 蛾又の家からは手を引くが良い。ちと事が事じゃ。関わらん方が身のためじゃろ」
 銀時にしてみれば、確かに依頼として引き受けた事だけこなせば問題はない。無理をしてこの事件に関わっても、良い事はない気がする。だが…。
 「色々気に食わない事が多すぎるが―…、ま、そうするわ。でもあと二日、庭師のじーさんの代わりに蛾又んトコで働くぜ。バーマン探しに専念するのはそれからだ」
 「ああ、そうしろ。暹羅家の猫が見つかったら、連絡しよう」
 「そりゃ助かる」
 銀時は言いながら の首下を見た。相変わらず首輪だけははまっている。
 「最後に一つ聞かせてくれ。今の話、 が昨日聞いた話か?」
 鑑爺はやっと銀時に向き直った。
 「その質問には答えん」
 「いやいやちょっとー、それ認めたも同じじゃね?」
 半笑いの銀時は、鑑爺の真剣な表情に驚いて笑いを引っ込めた。
 「な、何だよ、急に?」
 「もう一つの話をせねばならん。お前の捜し人の事じゃ」
 重々しい鑑爺の声音に、銀時は息を呑む。訃報、と先に言われていた事だったが、「彼女」の事だとは思いもしなかった。
 「 が…見つかったのか?」
 あえてそう訊いた。
 「 、享年二十四歳。攘夷テロに巻き込まれ、死亡が確認されておった」
 鑑爺が言い終わる前に、銀時は鑑爺の胸倉を掴んだ。
 「ふざけんなっ!!! 嘘つくんじゃねえよ!」
 銀時の激昂に鑑爺は多少怯んだが、落ち着いた態度は崩さなかった。
 「嘘ではない。確かな事じゃ。 家はこの金虎寺が布教している宗派を昔から信仰しておってな。お主から聞いた時はぴんとこなんだが、ここで葬式を挙げておった。儂の…死んだ息子が取り仕切った式じゃった」
 鑑爺の話はなおも続いた。けれど、銀時の耳には半分も入ってこなかった。
 茫然自失の銀時を現実へ戻したのは、 の鳴き声だった。
 「…
 身体をすり寄せる を見ながら、銀時は自分の血が再び巡る心地を味わった。
 「万事屋、今日はもう帰れ。そしてゆっくり休め」
 銀時は返事もせず立ち上がった。めまいで足元がふらついたが、何とか座り込まずに済んだ。
 「邪魔したな…」
 それだけ言って、銀時は境内へ出た。
 小さな足音が銀時の後をついて来る。いつもなら鈴の音もセットになっているので、 だと判り易いのだが。
 ああ、そうだ、鈴の事を言うべきか―…。
 「 、お前、あの鈴どこへやった? バラ園か? 椿園か? 桜の辺?」
  は銀時を見上げるだけで反応をしない。
 「あれ、全部ハズレ? 近かったら頷いて。えー、使用人通路? 実は裏庭?」
 他の思い当たる候補もつらつら挙げたが、 は頷かなかった。
 「……ワリ。独りにしてくれ」
 銀時の口から、辛そうに紡ぎ出されたその一言。
 彼が に背を向け歩きだした。
  は鳴く。
 鳴く。
  の声を聞きながら、銀時は振り向かずに進んだが、最後のひと鳴きが、彼の心臓に衝撃を与えた。
 「銀ちゃん」
 そう呼ばれた気がした。
 慌てて を見たが、もちろん、その場には だけしかいない。 は猫だ。見たままの、黒猫。喋らないはずの、喋れないはずの、猫なのだ。
 「…そういやあ、お前に初めて会った日も、こんな風に心臓がバクバク鳴って、跳ねて、不整脈起こしてたっけ」
 そして直感した。 を捜す手掛かりがある、と。
 「確かに、 には辿り着けたけどな」
  は銀時に向かって歩いた。
 銀時はしゃがみこんで待つ。かゆくもないのに、右手で頭を掻いた。
 「 が死んだと聞かされて、俺はこーやって平気で喋ってる。家にもフラフラと帰れるだろう。晩飯を大家にたかる気分じゃないにしても、何か食って寝て、朝になったら起きる。… の居ない朝を、また、始める」
  の前脚が、地面を向いていた銀時の視界に入った。
 「何て人間てのは上手く…ふてぶてしく出来てんだろーな。死にそうな気分だが、死にゃしねー」
 「ナーゴ」
 「この目で見てない。実感出来ない。死体を見れば満足なんかな…」
 かつて、戦争で仲間の最期は嫌というほど看取った。地雷で吹き飛び、その死を実感出来ないものから、切りつけられ銀時の腕の中で息を引き取った者も居た。
 どんな人の死を見ても。
 あの人の、師であったあの人の時以上の衝撃はないものだとどこかで思っていた。
 「全然信じらんねえ。俺は認めねえ。 は、きっと、まだどこかで生きている」
 「ニャアアアー」
  が切なそうに鳴いた。
 「 、駄目なんだ。俺ァ、俺の心臓を信じる」
 銀時は頭を上げ、 の金の瞳を見た。
 「 に助けて貰ったこの心臓が、あいつはまだ死んでないって叫んでんだよ!!」
 息荒く言ってしまった事を多少後悔し、銀時は の頭を撫でた。 に八つ当たりした気分になった。
 「もう帰るわ。またな…」
  は銀時の膝に右前足をそっと乗せた。
 「ニャア」
 「ああ」
  が離れ、銀時は立つ。
 立てる。
 歩ける。
 喋れる。
 いつもと一緒。
 死にそうでも、死なない。
 自分に嫌気と苛立ちを覚え、鈴の事は に言わないまま、銀時は寺を出た。










*2008/01/24up