7:僕の為に for me 4 一夜明けて、 は早速聞仲に付き、宮廷暮らしや王子のお供としての仕事内容を本格的に学んでいた。 自然、 と受の距離が開く。一緒に過ごす時間も減る。受は不満を募らせていた。 それが十日も続くと、理不尽な怒りとは思いつつも、つい苛ついてしまい、 に文句を言ってしまった。 「ンなこと言われても、これやんないと暮らしていけないじゃない。って、まあ、大袈裟だけど、必要なところは押さえておかないとねー。正式にお供になったら、沢山一緒に居られるよ」 「正式も何も…。もう、なっているよ」 「誰にも文句言わせないくらいに、よ。後顧の憂いは断っておきましょー」 「不満」 「だからさ、今こーして逢ってるじゃない。あたし、けっこー疲れてて眠いんですけど。もう、怒ってばっかなら帰っちゃうからー」 は片頬を膨らませ、受から視線を逸らした。 「だ、駄目! もう少し居たい!」 受は慌てて言った。 の正面の席から、隣へ移る。石の椅子は、冷たい。 中庭の休憩所で、蝋燭の小さな明りだけを頼りに互いの顔を見る。月は、雲に隠れてしまっていた。 「明後日は、また一緒に行動出来るね」 「そうね。来週になれば、聞太師は一度大邑商に戻られるでしょう? お帰りになる間は、私に筆頭護衛を任せて下さるそうよ」 「そうか、それは良い! の護衛職デビュー?」 「でびゅーって…。まあ、そーっすね」 「お祝いしようか」 「大袈裟な子ねー。いいわ、気持だけありがたく頂きます」 「残念。来週の予定何だっけ?」 はそこで、人工的な笑みになるよう意識して、微笑んだ。三日月目の自分を想像する。 「東の…姜へ」 本当は「東のお姫様のところへ」と言ってやりたかった。 「え、姜?」 「そう。というか、最大の目的は、泰山や南方への巡視。干の叔父上様が、途中まで迎えに来て下さるかも」 「そうか、そうだったな」 干の叔父上とは、受の父の弟である。干と謂う邑を治めている人物だ。かなり大回りとなるが、殷の都より遥か北東にある干の近くを通り、現王が企む武力制圧の下見をするようなものだった。受としては、下見の更に下見、くらいの事だったが。 「楽しみ?」 「…叔父上と会うのは久々だから、うん、楽しみだ。遠出は余り出来ないし」 の上辺はいつも通りであるし、怒っている風ではない。微塵も、ない。しかし、受には、背骨をむんずりと掴まれているような奇妙な感覚があった。これが焼きもちなら、良い傾向だ、と思う事にした。 一方の は、はっきりとこれは嫉妬だと気付いていた。それでも、受の気持ちを無下にした手前、そんな感情はおくびにも出さないように努める。 受と共に、長く居たいのは山々だが、例えば十年も居たのなら、受のお嫁さんを見る羽目になるかも知れない。 (うっわー、誰に向けてかは判んないけど、殺意!) 随分と我が儘な考えではあるが、それはそれで気に入らないのだから、仕方ない。 跡取りでも出来ようものなら、袖も枕も涙で濡らすだけでは済まないだろう。多分、引き千切り、燃やして消し炭にする。 は己の内に烈火の気性を秘めていた。 「でもまずは、明後日の城下と河の視察を無事済まさないとね。聞太師もご一緒なんでしょ? 河には私も連れて行って下さるそうだけど、礼楽の講習で合格点出ないと、無理かも…」 側仕えの者たちの仕事は一通り学ぶ事になった は、聞仲の意向で沢山の体験学習をしていた。 「そんなもの、後でも出来るのに。聞仲の奴…」 受は必ず も連れて行くよう、聞仲に言う決心をした。 次の日の朝、執務室。聞仲が顔色ひとつ変えず、いつもの鉄面皮で受の前に立っていた。 「それは駄目です」 きっぱりと言い放つ聞仲に、受は不満の表情を作って見せる。 「どうして?」 「一つ一つ、必要な事を、必要な順番で学ばせているからです。城下の視察は、再来月にもあります。河の視察には、途中から合流させても良いですが、 は護衛としてだけでなく、宮廷作法も学び、子受様にお仕えする事を望んでいるのです。少しでも早く一人前になるよう、子受様も会うのは我慢して下さい。全く会えない訳ではないのですから」 「そうだけど…。じゃあ、いい。河の視察への同行は、許してやってくれ」 「はい」 明日の打ち合わせをして、聞仲は の待つ礼楽室へ向かって行った。 「…なーんであんなに頭固いかなあ」 側近の祖伊に愚痴を零せば、祖伊は笑いを堪えて言う。 「子受様は本当に さんにご執心ですね」 「うん。祖伊にだから言うけど、本当は護衛じゃなくて、嫁に欲しいんだ」 「…………よっよよよよよよ、嫁?」 「うん、嫁。奥さん。妻。ワイフ。愛眷」 同じ意味の単語を並べ立てる受は、反応を返さない祖伊を訝しげに見る。 「どうした、口開けたまま」 「…どうもこうもありませんよ! そ、そんな、よよよよよよよ嫁って…!」 「そんなにどもらなくても…。驚くのも無理ないけど」 平然と告げた受は、これまた平然と続ける。 「どうしたら良いと思う? どうしても、 が良いんだ。今のままだと、やっぱり一緒になるのは困難かな…」 祖伊は受の気持ちを汲み、考えた。 「聞太師が仰っていたように、必要な順番、というものは確かにあります。踏むべき手順を間違えなければ、 さんと一緒になれる確率は上がるはずです。…完全保証は出来ませんが」 「協力してくれるか」 「はい、勿論です」 にっこり笑う祖伊に、受は彼が居てくれて本当に良かったと思った。 祖伊の一家は、殷王家に長年仕える名門貴族である。学は勿論、武術、馬術など王や王子に側近く侍る為に、色々な技術を身に付けていた。祖伊は、取り分け弓が巧かった。 武術、馬術も は問題なくこなせる。そこで宮廷作法など、この邑独自の事は必死で覚えなければならない。特に、呪術が盛んなので、占いに関しても膨大な知識を詰め込む必要があった。火に炙られた甲羅のひび割れの吉兆結果なんぞ、 にはこの上もなくどうでもよい事であるのに。 そうもいっていられないのが、現実。 が自分で選んだ受の近くに居る方法は、途方もないものに思えていた。 しかし、頭を抱えて毎夜復習に励む に、祖伊という味方が出来た。 彼はとても判り易く、卜占について解説をしてくれた。多忙な受も、夜会う時は惜しまず協力をした。 結果、 は、誰もが目を見張る成長を遂げる事になる。 更に日は過ぎ、いよいよ明日、 は受の筆頭護衛として任ぜられる事が確定した。 恒例の勉強会に祖伊は欠席をし、いつも通りの中庭の休憩所で、久方振りの二人切りの時間だった。 「 は凄いな! あの聞仲が勉強で褒める事って、滅多にないんだ。常に精進、勉強あるのみ、って感じで。ほんのちょっと、くらいなら僕も褒められた事あるけど」 「そうなん? うん、でも、聞太師に認めて貰えたのは、嬉しいな。受と祖伊君のお陰です。ホント、助かった! ありがとね」 は、パンっと小気味良い音をたて、顔の前で両手を合わせた。 「いいや、 の覚えが良いからだよ。……気になってたんだけど、 って、本当は何者?」 「まあ、普通のオンナノコ♪ っつっても、最早説得力の欠片もないと思うけど、ええとねー。うーん」 そのまま口をもごもご動かし、眉間に皺を寄せた。腕組みまでして、考える。 「…色々あり過ぎで説明が面倒です。庶民の生まれですが、その後の育った経緯がちょっくら尋常じゃありません。以下、略歴」 呻くように言った に、受は好奇の目を向けた。やっと、彼女の事を知る事が出来る。 「……幼少時、イキナリ誘拐同然にお空の上に連れて行かれたり、良く判んないお経を取り戻しに河越え山越え谷越え砂漠越えしてみたり、超格闘系の専門校に身代わり入学させられたり、祖国の風土豊かな隠密職業についてみたり、任務で内乱中の国にほっぽり出された揚げ句人身御供前提の女神に仕立て上げられたり、狂科学者に弟子入りしたり、世界の頂点に立って人間を殺すとか意味不明な事ゆってる陰陽侍一族相手にしたり、女の墓場とか牢獄とか謂われているお城で猫になってみたり、糖分過剰摂取気味な人と一緒に宇宙人と戦ってみたり、ラブリー携帯獣がわんさか住んでる世界に落とされて巨悪と対決してみたり以下省略―…ってゆー特殊環境を生き抜くと、こーゆーのが出来上がる」 「猫?」 「オーイエス! キャーット! っとかいう冗談は置いといて」 「冗談!? 今の全部冗談?」 受には物凄く突込んで聞きたい事が沢山あったが、当の がへらへらと笑うだけなので、むっとした顔つきになった。 「 の事は、何でも知りたいのに」 「何でも、は、無理。てか、嫌」 「 は、僕の事知りたくならない?」 「…アンタって結構狡猾ね」 「そう? …初めて言われたよそんな事」 ここでにっこりと微笑まれたら、 は「受! 恐ろしい子!!」と思うと同時に「そんな黒いところも好みかも」と評価する。 しかし、受は極めて心外であったようで、益々不満げな表情になった。今にも突き出されるかのような唇に、 は一瞬だけ目を走らせる。 「嗚呼、こんなに可愛いのになあ」 「…は?」 「いや、ごめん、でっけー独り言。思わず口から出ちまったい」 こほん、とわざとらしい咳をした は「ともかく」と言って受を見る。 「そこそこ前科があるのですよ」 「何それ、どういう事?」 「そうか、前科じゃ完全に語弊があるな。当たり前か。えっとね、ホント言うと帝王学とか宮廷作法って、大抵共通してる事があるから、そこいら辺はあんまし問題じゃないの。祖国のとか習得済み。礼楽も、そこそこ似通ったの習った事あるし。武術馬術、この邑のとは系統形式全くもって違えど、呪術も専門範囲だったりするしね」 はあっさりと言った。 「あとは興味の問題だ…。卜占ってちょっとよくワカンネ。遠出の時、わんこの血が必要とかいうのも、悪いけど私には理解不能。郷に入っては郷に従えという慣用表現がありますが、そんな処世術信じらんない。今までも、土地土地の風俗・習慣・宗教に慣れるのにけっこー苦労したけど、今回の殷は、最大級だわ」 受は、 が馴染めないのも無理はないと思った。自分とて、他邑の神々とは相容れないと思っているからだ。 「でもさー、それをクリアせんことにゃ、先へは進めんのよー」 「無理はしないで欲しい」 「………う〜〜〜〜〜」 机に突っ伏した は、そのまま両腕に顔を埋めた。 慣れるには、相当の価値観変更を強いられる。今よりも約三千年後の時代を生きる にとって、古代中国の生き方を―…特に必要な殷の文化を取り入れる事は「じぇねれーしょんぎゃっぷ!」と、心の中で叫ぶくらいではどうにもならない程受け入れ難かった。 受は、顔を上げない に手を伸す。少し迷ってから、思い切って の髪を撫でた。 「無理に染まらなくて良いんだよ」 「でも…」 反論しかけて、 は続ける言葉を迷った。 「無理に殷に染まったら、もっと は苦しむと思う。見過ごせずに、反対したくなる出来事が、きっと沢山ある…。今ですら、容易に想像がつく事が幾つかあるから。それでも、 の型に嵌まらない思想・思考は、きっとこの邑には必要だ」 はゆるゆると顔を上げた。受の優しい双眸とかち合う。 「邑より何より、僕に必要なんだよ」 「受…」 の髪を撫でる手はそのままに、受も机に顎を乗せる。彼女と同じ目線でいたかった。 「だって、殷にも僕にもない、新しいものを は沢山持っているじゃないか。良いものは、こっちが欲しいくらいなんだから。 の力を借りる事は、何も、護衛の事だけじゃないんだよ」 型に嵌まらないとか、新しいもの、と言われても、 には何の事を指しているのか判らない。ただ、それらのものは受とは生まれた時代が違う が言うから、目新しいように映るだけだろう。 思想や文化は個々への影響もあるだろうが、個人の人格としては時代も、世界も、時空すら関係ないと思っている。現代日本と他の世界を行き来してきた はそう考える。 「私に、他に受の役に立てる事がある?」 「勿論」 「嫁っていうのはナシよ?」 微笑む に、受は頷いて見せる。 「僕を輔けて欲しい。 と一緒にしたい事が、山ほどあるんだ。遊びも仕事も…」 恋も、という言葉を受は飲み込んだ。 「うん。手伝うよ」 「ありがとう。ねえ 、渡したいものがあるんだ」 「指輪は受け取らないわよ?」 あくまで受の求婚を拒否する に、受は苦笑いした。どういう勘の良さだ、という疑問も飲み込んだ。 「そう言うと想った…。だから、こんなの作ったんだ。貰ってくれ」 受が着物の懐から取り出したのは、絹の包みだった。 包みを開くよう促された は、何が出るかと恐々手を付けた。受の「そう言うと想った…」発言の意味を推し量りながら、包みを開く。 は絶句した。 貝だ。貝の中でも、殷では特に重宝されている、子安貝。 「何で…」 小振りの子安貝を一枚戴いた指輪―…を銅か錫の珠と組み合わせ、麻の紐で繋いだ首飾りだった。 子安貝はペンダントトップとも思えるが、 にはどう考えても指輪が紐で括られているようにしか見えない。 (これを、受け取れと?) 躊躇する に、受はにっこり笑って言った。 「 が筆頭護衛になったお祝いだ。一日早いけど、明日は二人切りになれるか判らないから、今の内に渡しておくよ」 受の笑みは、悪意の欠片もないように見えた。それはそうだろう。「悪意」ではないのだ。見付けられなくて当然である。 は頭を抱えたくなった。 「本当はお守りの意味も込めて、玉にしようかと想ったんだけど」 「止めて! それ聞太師に怒られそう何か!」 受の言葉を遮り、 は小声で叫んだ。 「うん。僕もそう思った。だからね、結婚指輪は、奮発して玉にするよ」 「もーいー加減、諦めてよその話題…」 「やだ。ぜーったいに諦めない」 はげんなりした顔で虚空を仰いだ。半眼の目は焦点をわざと合わせていない。少し喜ぶ自分を叱咤し、きつく目を瞑った。勢いを付けて顎を下ろして、受を睨む。 「あのねえ」 「大変な思いまでして、落ち込んでまで、僕と一緒に居てくれるのは何故?」 今度は受が遮る番だった。 は臆せず答える。 「ずっと一緒に居られない理由を話したでしょう」 「僕とは、ずっと一緒に暮らせるかも知れない」 「無理よ」 は大きくかぶりを振った。 「それならばもし、 が帰っても構わない。先の悲しみを避けられなくても、僕は と過ごす今を諦めたくない! 別れた時の傷が浅くたって、君を忘れられる訳じゃないんだから」 受はいつの間にか の両肩を掴んでいた。 の大きな瞳は、驚きに満ちている。映っている自分の姿に、受は余計切なさを覚えた。 「 も諦めないで」 (諦める? 何を?) そう、諦めていた。別れの恐怖から、 は諦めていた。何を、と自問自答する。回転数の落ちた脳で、必死に考えた。 「僕の為に」 受の為に。 それは、 自身の為。 「受とは結婚はしない。でも、貴男の側を離れるつもりもない。貴男を護る約束も、違える気はないわ。一緒に居られる間は、何にかえても、全身全霊を賭けて、絶対に」 「 、それじゃ前と変わらないじゃないか」 「これが私の精一杯」 「……判った。今はまだそれでも良いや。今日は引き下がるよ。でもさ、これは身に付けて欲しい」 受は首飾りを手にして、 の後ろへと回った。 「付けてあげる」 うきうきした調子の受の声に、 はくすぐったいものを感じる。そのまま、抵抗する事なく、大人しくしていた。 「明日も付けてくれよ」 「うん」 「ああ、良かった。似合うよ、 」 は自分の胸元を繁々と見つめ、受に礼を言った。 「さっきの話だけど、早速明日から の力を借りる事になる。護衛の任だけじゃなくて、もっと、政治的な色々に」 「何があったの?」 「第三王子の王位継承権の話が、表立ってきた」 受は声を抑えて言った。 「…明日、から?」 「干の叔父上は、啓兄様が良いと思っていらっしゃるようだ」 第一王子の啓が王位を継ぐのなら、何の問題もない。しかし、王位の座に近いのは受である事は、 だけでなく宮廷人の誰もが知るところである。 「王位争いに勝とうとは思わないし、啓兄様が僕をどうにかするとは思えないけど、自衛はきちんとしないとね。それに、前に言った通り、僕なりの方法で殷を守りたいと思っている。幾つかアイディアはあるけど、 の意見も聞きたい」 そう言われても、と は困る。困り顔のまま、受を見上げた。 受は の視線を受け、彼女を後ろから抱き竦めた。すぐさま は身を固くしたが、続く受の台詞に暫し考える羽目になる。 「 の自由な発想で良いんだよ。この邑にはないものが、僕にもないものが、あると思うんだ。思考、生き方、常識、知識、パワーとか の全部、僕にくれる?」 は返事をせず黙りこくった。受に一度呼び掛けられて、ようやく反応した。 「やっぱしあんたって子は、狡猾よね―……」 「え、何処が?」 (うっそ自覚ないの? 天然???) 受の疑問の声に、 は再びげんなりした気分になる。 「まあ、良いところは全部、勝手に持っていって。何が良いか、判んないから」 言いながら、受の腕を解いた。受にもう少し、とせがまれたが、 は片頬を膨らませて、鋭い視線で牽制をした。
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