桜華別路之禍梯第拾壱話「月」 何がある訳ではないけれど。 日常の中でも、気付く。 私の太陽。 ああ、それは、何があっても変わる事はないだろう。 悟空。 ただ一人。 二人だけで、夜の外に出掛けるのは久々だ。 「天界はつまらないわ。ずっと春なんだもん」 「でけー月だなー。見ろよ、 」 「月…。下界の秋は素敵よ。紅葉にススキに月見団子…」 「だんご?!」 「そう。お月様を見ながら食べるお団子」 「美味いのかなあ? 天界には無いんかな?」 「……秋って季節がないけれど、あるんじゃないかな。他国のものでも、ここ、大抵のものは揃うから」 眼前には大きな月。下界で見た時よりも、遥かに大きな…。 月がある方へと歩いて行って辿り着いた岬には、古代樹と謂って差支えない大木があった。悟空と は易々と登り、月鑑賞の真っ最中。 「あとね、カエデ…モミジって植物があるの。その葉っぱの形をしたお菓子で、紅葉饅頭って謂うのもある…」 「饅頭かー。それも喰いてーッ」 暫くの間、 の和菓子知識の披露(主に二郎神の影響)と、悟空の「ウマそー」と「喰いてー」が連呼された。そうこうしていると、月に懸かっていた雲が消える。 今宵は満月。 二人が生まれた日に視た、まあるいお月様。 燦然と輝き、夜に光をもたらす、黄金。 地上ではミルク色の弱い光と感じた事もあったが、光に包まれると肌に染み込む感じがして、 は好きだった。天界で視る月はどうか。 輝く黄金色に、金蝉が重なる。 悟空は未だに、あの時見た惑星を太陽だと思い込んでいるけれど。 あれは、紛うことなく月だった。 漆黒の空間に現れて闇を炙り出す光。強い光に見守られて生まれた。 生まれて間も無い 達の目に、心に、焼き付いた色彩。 「なあ、あれがウサギかな?」 「……ね、そう見えない事もない」 「ウサギだってー。絵本にあったもん!」 悟空は、絵本で月を見た。月に住む兎を。あんな大きな月に、兎は一匹だけでいるのだろうか? 「…一匹で餅ついてんのかな?」 彼は月を見上げたまま呟く。彼女も月から目を離さない。 「…一匹にしか見えないね」 「ずっと餅ついてんのかな?」 「さあ?」 「寂しくないのかな?」 「…さあ。好きで居るのなら、そう寂しくないかもよ?」 悟空が両手を差し出し、月を隠した。 「俺は一人じゃ寂しいよ」 彼が小さな手で幾ら月を遮ろうが、当然のように光は差し込む。 指の隙間から漏れる光が 悟空の身体を 照らす。 「裏に、居るかもね」 「裏?」 悟空は手を下ろし、 を視た。 「月はほぼ丸い球体なの。飴玉あるでしょう? 思い浮かべてみて。あれが、空中に浮いている。今、目の前にあるとして。私達が見ているのは、見えているのは、一所だけ。他のところには、まだ居たりして」 「そうなの?」 「可能性として」 兎模様に見えるのは、クレータと海の所為である事、他にも色々な見え方があるという事は言わないでおく。 「私と悟空が背中合わせに立つとする。悟空の正面には座った金蝉が居る。金蝉は、悟空しか見えないわ。それと同じ。金蝉が私の前まで回り込めば、今度は悟空が見えなくなる。ただ、月の裏側を見る事は、この地球からではとても無理だけれど。それでも、月は自転といってとてもゆっくり回っている。他のところを、見せてくれている。私達が、見ている金蝉の為にくるりと回って入れ替わるという事。…いえ、無理。もし、見えたとしても表面の六割りくらいだった。私達の居る地球も一緒に回るから。まあ、何にしろ、見えない部分には何があるのか判らない、というお話。判った?」 「………何となく」 悟空は期待した。自分は一人が嫌だったから、 が自分の側に居てくれるように、あの兎にも誰かが居るかも知れない。 居たら、良いな。 「一人は寂しいよなあ。一人だとさ、沢山餅食えるけど、ずっと一人で食ってると、きっと、あんま美味くなさそー」 食べ物の話を交えて寂しさを表す悟空に、 は思わず苦笑した。 「そうね」 「俺、 とずっと一緒に居たい」 「…そうね。私も」 「ここに居ても、ずっと一緒に居られるよな?」 悟空の心配顔を見て、 は思いを巡らす。ほんの、一瞬。 流れ星が消えるより短く。 「ねえ、聞いて。私には、悟空が太陽で、金蝉は月。温かくて真っ直ぐキラキラ太陽と、哀しいくらい綺麗で、夜の牙に負けない月。うん、譬え話だけどね、まだここに居る理由は、悟空と金蝉と一緒に居たいから。それだけ。居られなきゃ、困る」 掠れた声で呟く の言葉を聞いて、悟空は驚いた。 (俺が、 の太陽?) その意味を、考える。太陽を想う理由は、自分と同じだろうか? 「キラキラ…」 「そうよ。貴男は、キラキラ光り輝いている。自分では、判らないと思うけど。でも月は、月そのものは光っていないの。発光しないのに輝くのは、太陽の光を反射しているからなんだって。太陽と月…。不思議ね」 「…俺、俺にとっては金蝉が太陽だし、 は月だと思ってる。今日天ちゃんが教えてくれたんだ。月は昼でも顔を出してるって。だから尚更」 「月…ねえ」 「いつも一緒」 にへへ、と笑う彼に向き直り、 は言う。 「そうね。そうなると、悟空はこの地球なのね」 「そうなる、のかな?」 「というか、私が月で良いの?」 「? …俺、月が好きだし……。うーーん、えっとね、だって、…視てると、何か心臓のへんが痛くなる」 それは も同じ事。 太陽に、月に、面影を重ねて、切なくなる。 力が沸いてくる。 泣きたく、なる。 (貴男が見たあれは、太陽じゃなくて月なんだってば。言っても聞かないだろうけど) 夜風に吹かれて、葉擦れの音が鳴った。二人の腕にちりちり触れる葉っぱのお陰でくすぐったい。 互いの眼に、互いを映して。 時々、言い様もないほど恋しくなる魂の片割れ。 胸が苦しくなる。 それが良薬であるかのように、声を風に乗せた。 「 」 「悟空」 身を寄せ合って生きていく。どんなに綺麗事でも。 離れたら、息も出来ないかも知れないとさえ思う。 「上手く言えないんだけど、 と一緒に居て、 視てて、感じた事が月見てる時と一緒だったからー…。 の静かで、そんで強いトコとか、ああ、あーー!! 駄目だ! 全然上手く言えねえ!!」 真剣に考えれば考えるほど、伝えたい事とは遠くてもどかしい。もっと、自分が みたいに、天蓬のように、言葉を識っていれば…! 伝える術を知らないのは も同じだから、二人は足りない言葉を補うように、肩を寄せる。 触れる熱だけでは足らなくて、悟空は に抱き付いた。 はゆっくり両手を上げ、優しく悟空を抱き締める。 何度も繰り返してきた行為。 とても、落ち着く。 安らかで、綺麗な時間。 これは、何だろう? は自分が生まれた時の事を良く覚えている。 自分の鼓動を覚えている。隣に息づいた、鼓動の事さえも。 の眼が、黄金の月を捉えた。 (悟空の譬えだと、金蝉からの光を受けて、私は、光れる?) は、月でも良いかと思い始めていた。 悟空の月なら。 悟空の大切なものだからこそ、月に譬えられたのは複雑な思いではあるものの、嬉しさが勝る。 私は。 悟空という太陽の光を受けて温めてもらっていて。 その悟空の光で光る、月の金蝉に見守られて。 私は生きている。 眩しい太陽が、私の事を月に譬えた。 生まれた時一緒に見た月を思い出す。 決して、悟空の中ではあれは月ではなかったとしても。 私が悟空の月で良いのなら。 柔らかなミルク色の光で、地に立つ悟空を包んであげられたら…。 そんな月に、なりたい。
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