桜華別路之禍梯第拾参話「慮」 今日も今日とて、天真爛漫。動けばお腹を空かせ、食べては寝る。笑って、跳ねて、走って、くるくるくるくる……。 大地の申し子、悟空と は天界の異様な動きなど感じる事なく、至って平和に過ごしていた。大好きな人たちに囲まれて。 しかし、それもある日までの話。 不自由が全く無いとは言えないが、 は天界での暮らしにも慣れていた。住めば都、という言葉があるそうだ。地獄も住み家、という言葉もあるらしい。 少しでも慣れぬ事にはこの先、生きていくのが辛くなるだろう…。 の頭上で、桜の花弁が舞い落ちる。 薄紅色の、ハートの形。 散り、落ちる。 地上から天界へ連れて来られたあの日の事、忘れていない。 不安はあったが、悟空と一緒なのだからと、冷静でいられる事が出来た。 清い光の人ー…、金蝉に出会い、今の暮らしがあるのは彼のおかげだと痛感する。金蝉が居なければ、自分は悟空を誘ってこんな所はとうに逃げ出していただろう。 どこへ逃げても、例え闇に逃げ込んでも、あの光を知ってしまえば、引き寄せられるように近付いてしまう。 静謐な光へと。 いつかは、別れが来るものだとしても。 から、離れるのだとしても。 (私は、金蝉の側に居たい) 今は、そう思う。 寿命について考える。天上人は、基本的に不老。 力ある神になれば、更に不死がつくらしい。不死であると確認された事実は書物にない。老いはなくとも、いつかは、金蝉にも死が訪れるはず。本人も肯定した。 自分にも。幾ら大地の結晶たる でも、不死はあり得ないと思われる。 そんな「いつか」に脅える気はさらさらないのだけれど。 今頃下界では、沢山人が死んでいる。 「那咤太子が出陣した」 そう聞いたのはつい三日前。詳しい事は捲簾から聞いた。 妖怪が、人間同士を煽って乱を起こさせたー…。 事実確認がなされた後、那咤が討伐隊隊長に任命された。彼は素早く隊を整え、出陣したという。闘神と名高い彼には、いつも要らぬ期待が付き纏う。 那咤と出会った日の事を思い出してみる。 には、不老のメカニズムは良く判らないが、彼は自分たちとそう違わない年齢だろう。刻を止められるには、些か早いと思う。 同じ子供。 には、出来ない事を、彼はしている。 楽しそうに笑っていた那咤に、軍人としての顔は見えなかった。今の には想像もつかない。 那咤が。 大勢の人を引き連れて。 大勢を、殺している…? 信じたくはないが、現実である。 は、争いというものの全てを、否定する言葉を持たない。 理解していないからだ、と感じる。 闘神とは、単なる二つ名ではない。 無殺生が謳い文句の天上人の中で、唯一、殺生を許された人物なのだそうだ。 そうでもしなければ機能しない天界なんて、とっとと滅べばいい。 偽善にも、許される偽善があると は考える。例えば、今まさに行われているであろう戦の後、犠牲になった人たちに手を差し延べる人たちが居れば、偽善であっても「善」にはならないだろうか? 純粋な善ばかりではなくとも、少なくとも、助けられた人たちには善と映る。 自分が手を差し延べる立場であったとして、その悲しみも辛さも知らないで、手を延ばすのならば、それは偽善。 実行しないよりは良いだろうか。悪意はないと、断言出来る。 天界で行われているものは、善には成り得ない偽善としか、 には思えない。那咤を祭り上げて、人殺しをさせている。対象は、この場合妖怪だとしても。助けられた人間が居るなら、その人たちには善かも知れなくても。 ああ、これでは、主観的過ぎる。 許される偽善? それは誰の判断? 許された殺生? ああ、嫌になる。 には、確固たる考えが未だない。知識も感情も追いつかなくてもどかしくすらある。 人も妖怪も殺した事はない。答えは単純明快。殺されたくないから。とっても普通の理由から。 どうして生命を奪ってはいけないの? 殺されたいの? いいえ、殺されたくない。まだ死にたくないわ。 それならば、殺さない事よ。 殺さないと生きていけなくても? 殺さない方法があるはずよ。安易に先走っては駄目。 殺らなきゃ、殺られるの。 ――…。 執着しているの。諦めていないの。絶望していないもの。 絶望…。 殺してだって、生き抜いて見せるわ。 それは力が足りない事に起因しているのね。 力だけでは切り抜けられない時が、必ず来るわ。 それでも、殺したくないし、殺されたくないもの。 解決しないわ。 ……まだ私は、人が死んだところを見ていないから、哀しみが判らないのね…。 それくらい、想像したら? …不快だわ。 那咤が同意の上でしている事ならば、文句は言えないだろう。お互い天界に庇護されている身なのだから、この天界で彼が生きて行くために必要な事なのでは、とも思う。 彼は、自分のしている事を、どう思っているのだろうか。 那咤に出会わなければ、知らなかった事かも知れないし、無関心だったかも知れない。そして彼女の自問自答は終わりが見えない。 生と死。 生きる事も、殺す事も、容易ではない。 失われた生命は、元に戻せないものだから、尊いという定義。 何より人類の繁栄のため、そして、自分の身の保護のため。 生きるという事は、生命の終わりへの歩み。 生命が続くうちに放たれる光が、美しいという認識。 歩みを止めない者には、自分でも、見る事が出来るかも知れない輝きだ。 はそれが、見たい。 「俺が悟空で、ねーちゃんは !」 彼が帰って来たら、会いに行こうねと、悟空と約束した。名前を教えようね、と。 もう、無関心ではいられない。懸命に、考えたい事が出来た。 那咤に会いたい。 那咤の輝きも見てみたい。 悟空と那咤と三人で、どんな光になるだろう。 想像が、楽しい。 思い立って那咤の家に行ってみたが、教えられない、との事だった。 判らない、ではなく。帰還の知らせがあっても、一般人に、否、異端児には教えたくない、という感情だろう。 今度会えるのは、一体いつの事になるのか。 会うためには、どうしたら良い? 会って、どうしよう。 呼びたい、と云ってくれた名前を教えて、それから? 遊ぼうと約束をした。 つまらない事は忘れて、遊べるだろうか? 遊びたい。怪我をしていないと、良いけれど。 三人で笑って過ごせたら、どんなに素敵だろうかと思う。 が想像をしているだけでは希望は叶わないだろう。 それを叶えるために、最初の一手を考える。 求める先へと歩を進め、終わりへの道筋を予測。困難だらけだ。まずは、何としてでも会わなければ始まらない。 は深呼吸を繰り返す。落ち着いてから、息を止めた。 那咤と話す事柄をまとめてみる。 幾つもの話題の中で、最後に尋ねてみたい事があった。 きっと、実際には、訊かない。 貴男は私を人形みたいだと云ったけれど、ねえ、それは果たして私だけ―…?
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