桜華別路之禍梯第拾肆話「請」 会う日を楽しみにしていた。 とても。 でも叶わず、彼はまた戦火の渦中へと行ってしまった。 彼の名は、那咤。李那咤。 会いたくても会えない状態に、我慢ならなくなった が提案した。 「待ち伏せよ」 「まちぶせ?」 「そう。埒が明かないもの。那咤の家なら、何時帰るとかも、早く判るかも知れない。でも、昨日訪ねた感触では、親切に教えて貰えそうにないから…張り込み捜査開始よ」 彼女は、至って真面目に呟いた。 は神経質ではない。寧ろ、考えるだけ考えても、運任せにしてしまう事がある。地道な捜査のつもり。が、しかし、その実那咤が帰って来たかどうかなど、捲簾か天蓬にでも聞けば良い事である。 の本音では、読んだ本の影響が第一であった。 最近のお気に入りは、「DEKA KIZOKU」シリーズだ。 彼女は、思い込みが人より激しいのかも知れなかった。座標が一つ決まると、一直線。余程那咤に会う事が重要なのだろう。思考重視の彼女らしいとは言い難い、とも思えるが。 帰って来た事が判っても、会えないのではどうしようもない為、今回の待ち伏せ作戦を決行することにした。 作戦の粗は大きいものの、準備だけは怠らない。 「何やってんだ?」 小さなナップザックにお菓子を懸命に詰め込んでいる最中。 例え金蝉に尋ねられても、平静を保って「遠足」と、言って退ける。 迷ってはならない。先に悟空が答えてしまえば、良く判んないけど張り込み捜査、などと言うに決まっている。 「ウ、うん、遠足行くんだ、二人で」 えへへ、と悟空が笑えば、金蝉は納得したのか大して興味はなかったのか、あっさり仕事部屋に戻った。 寝室にて準備を進める悟空だが、ふと気になって訊く。 「なあ ? 張り込みって、遠足なのか?」 「仕事か、遊びかの差? いえ、違うわね…」 「???」 姉の小暴走に、弟は事態を飲み込めないまま巻き込まれた。 悟空が の提案を 受け入れなかった 事は、余りない。今回も賛成して、彼女の先頭に立ち、李家へと向かった。 李家の入口付近には、巨大な桜の樹が何本も植わっている。それこそ、子供二人ぐらいは楽に隠れられる程の。 だからといって、泊まり込みは出来ないが。 金蝉にどやされる事を考えれば、夕飯時には帰らねばなるまい。 はたと気付く。 「そうだ…。張り込み捜査の意味がない……」 は愕然と呟いた。 「え?」 木の幹から落ちないように、座り直した直後。姉が呟くのを聞き逃さなかった悟空は、聞き返す。 「や……、ごめん、なんでもない」 心なしか語尾が尻すぼみになってしまった だが、今日一日は、様子を見ていようと決めた。 (ゴメン悟空。今やってる事、無駄に終わるかも…? いえ、私一人でも残れば良い) 喜々としてスナック菓子の袋を開ける弟を見遣りながら。 私の馬鹿! と、心中呻く だった。 果たして、那咤の情報は掴めるのか? 暴走? から立ち直った は、明日からはどう動くかを計算し始める。けれど、自覚していた事だが、思考の切り替えが悪い時があった。今正にその時。 どうやって、どうやって? どうやって? 以外、浮かんでこない。自身の愚行を責める余り、プチパニックに陥るのだ。脳髄まで、ハテナマークで埋め尽くされる。 焦りを感じても、表層上はいつものまま。 そのはずだ。 「 …?」 「うん…。ごめん、考え中」 違いを見付ける事が出来るのは、彼だけ。 「何か、変だぞ?」 「うん、知ってる。私、今、おかしいわ」 「……。」 応答は出来る。声音もいつもの調子。問題ない。 けれど、悟空が判断するのは、そんな処ではない。 知ってる。そんなのじゃ、なくて……。 見つめれば、真っ直ぐに心が射貫かれる。 こと自分に関してだけは、 は自信があった。 悟空が見るのは、感じるのは、私の上辺ではないの。 この子はいつもそう。私以外でも、目に見えるものだけではない「何か」で、判断を下し、接しているように思える。 巧く隠しているつもりでいるのは、私だけなのだろうか。 ご く う。 虚無を悟る者。例えば、今この金眼から逃れて上を見上げれば、青空が見える。そら。 目には見えるもの、見えないもの。 見えない筈のものを、五感ではなく、知識でもなく、心でみる人。 何かを、見分けている。 書物を通して学ばずとも、道理が解っているかのよう。 貴男と同じものが見えたなら―…。 金眼同士の呪縛は、悟空が先に解いた。ふわり、と を抱き寄せる。 いつもと、逆。 僅かながらに戸惑いはあったが、 は身を任せる。 「 は、ずっと怯えてる。何が怖いの?」 ぎくり、とするものがあるのに、彼女はおくびにも出さない。悟空の温かさに、目を閉じた。 「…初めは自分の論理の無さが。今は、…見えない事が」 暫し、 の言葉を自分の中で反芻してみるが、悟空には判らなかった。 「……ごめん、よく…わかんないや」 「へいき。もう、平気だから。大分落ち着いたわ。…悟空、お願いだから、私がおかしくなったと思ったら、遠慮なく止めてね?」 「うん、今みたいにすればいい?」 「……っははははは! うん! そうして!」 「そんな所で花見か? ふん、いい気なもんだな」 「!??」 突如地上から掛けられた声に、二人は慌てて下を見る。そこはかとなく見覚えがある顔に悟空は。 「あ、あ、…あ、えと、だ、誰だっけ?」 「私達を此処に連れて来た人」 そっかー、という悟空の呑気な声に顔をしかめたのは、観世音菩薩の弟子、恵岸行者だった。 「此処は私有地だ。今回は見逃してやるから、早く金蝉童子様の処へ帰れ」 「私達、那咤を待っているのです。貴男は、李家の方ですか?」 の金眼を、何の感情も映さず見返す恵岸は、心持ち那咤に似ていなくもない。 「……那咤。あれは、私の弟だ」 「おとーと? あ、俺と一緒だ! そっかー、アンタは那咤の姉ちゃんなんだな!」 「悟空、それ違う。男の人だから、那咤のお兄さんよ」 「…ふん。多分な」 多分…そう付け加えた恵岸に、妙な表情が張り付いた。憎悪のような、嘆きのような、哀れみのような、悲しみにも似た感情だと、 は分析する。 義兄弟。その可能性が浮かぶが、多分とは言わないだろう。余程下世話な可能性もあるが、 は考えを取り止めた。小説を鵜呑には出来ない事もある。 「なあ、那咤が何時帰ってくるか知ってる?」 悟空が尋ねる。彼は、樹から落ちんばかりに身を乗り出した。 「奴なら、そろそろ帰ってくるさ。ここに居てもすぐは会えんぞ。まずは天帝に御報告せねばならんからな…」 「そうか…。ありがとうございます。早速行ってみます」 「ありがとお!! そっかー、那咤今日帰ってくるんだー」 うきうきしだした彼らに、恵岸は更に付け加えようと口を開く。迷っている間に、異端児達は地に降り立った。腹に力が入らない錯覚を覚えたが、何とか声に出す。 「那咤は……いち早く戻ってきた者が言うには、大怪我を負ったそうだ。本当なら帝にお会い出来るかも判らん。…どうしても今日会いたいのなら、保証はしないが中で待っているといい」 「那咤が怪我!!?」 悟空が恵岸に近付く。 の中で、カチリ、と音がした。彼女は、自分の中で確かに音を聞いた。 「……お言葉に甘えさせて頂きます」 「おう! ありがとな、おじさんっ!」 暴走の止まった の脳が、徐々に回転を速めていった。 落ちた桜の花弁の上を歩いて行く恵岸の足取りは、しっかりしたものだった。けれど、 は、恵岸の心は揺らいでいるように思える。ただの勘だ。 先程の表情が段々気になってきた。 異端児二人を招待した意図は、何だろうか。 彼は観音の弟子なので、悪い方には転ばないと思いたいが、天界人は災厄の象徴に優しくない事を、忘れてはいけない。 「…入るか?」 恵岸行者は、重い扉を開け、振り向きもせずに尋ねた。
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