桜華別路之禍梯第拾漆話「集」 「奴は反対しているのか? はっ…。今更何を迷うのか」 「……ですが、普賢様が不参加となりますと、少々不味い事になりましょう。何とか、天帝にご説得して頂くように……」 「構わん。文殊が居れば何とかなる。…問題は、釈迦如来だ。何処まで同志と思って良いのやら。どう思う、李塔天?」 「恐れながら……釈迦如来様は早々に切り捨てられた方が宜しいかと存じます」 李塔天の一言には、流石にその場に居た誰もが息を飲んだ。 「とはいえ、相手はあの釈迦如来。簡単には参りませんし、そんな事をまともにすれば、我々とてただでは済みません。具体的な案は、未だ練っている最中ですが、近い内にお気に召して頂けるだけのものを用意して御覧に入れます」 「判った。お前に万事任せよう」 未だ続く、天界上層部の、それも限られた者だけの密会。 末席で聞いていただけの恵岸は、父の顔を盗み見た。ニヤリと厭らしく歪められた口元。どす黒いだけの瞳。あれが自分の父親だ。 思わず、目を逸らす。その理由は、考えない事にした。 「ねえ、金蝉。あれ何?」 が金蝉の服を引っ張って、窓に導く。窓の外の喧騒に、何事かと不思議に思った。 「服引っ張んな。…明後日ある、祭りの準備だろ」 「お祭り?」 「そーだ。単に天帝の誕生日を祝うだけだ」 「おまつり?!」 聞きつけた悟空が金蝉に飛びかかる。 「どっから現れた、テメエはっ」 「おかえり、悟空」 「ただいま !」 「無視るな」 悟空は遊びに出掛けていた。 も誘われたが、読んでしまいたい本があったので、金蝉の仕事部屋で静かに読んでいたのだ。 「なあ、金蝉、ハラヘッタ〜〜」 「もうすぐ夕飯ね」 本を閉じ、 が金蝉を見る。 「まだ早えよ」 金蝉は新聞に目を戻す。悟空が帰って来た事で、新聞を静かに読むどころではなくなるのだが、無理にでも神経を集中させようとした。 「……那咤、元気になったかな?」 姉にもたれ掛かり、悟空がぽつりと呟く。 「…行ってきたの?」 「うん、でも、会えなかった。まだ、安静にしてなきゃ、駄目なんだって」 「そう」 容態が悪くなったのだろうか? の胸に、不安が過る。同じく不安気な弟を、労るように、そっと抱きしめた。 「………げ。…あーーーー〜〜〜〜っ!!!」 悟空が驚きの声を上げ、 の方を掴む。 「せ、せっかく付けて貰ったのに!」 その一言で、理解した は呟く。 「今頃気付いたの?」 「だって〜〜!!」 まだ諦め切れない悟空は、今にも泣きそうな勢いで嘆く。 「煩せえぞ、黙れこの猿!!」 切れた金蝉は、悟空の頭をはたく。「痛い!」と悟空は頭を抱えた。 「その切れ易いの、どうにかしたら? 金蝉…」 悟空の頭を撫でながら、金蝉に非難の目を向ける。確かに煩いと思う時はあるのだけれど。 はとうの昔に慣れている。下界で会った子供を数人思い出した。 子供なら、このぐらい良いではないか、と、子供の は思うのだった。 「 〜〜。どうしよう、俺達、結局那咤に名前教えてない!」 悟空の嘆きは、最もだ。 しかし、那咤が元気になるまで、待つ。総ては、それからだ。 も悟空も、那咤を想いながら、会える日を待ち侘びた。 そして、天帝の生誕祭当日。 生命の華を咲かす、運命の五人が揃った。 は金蝉の隣から離れたかったが、しっかりと手首を握られているので、それは叶わず終いだ。 初めは悟空と手を繋いでいたのだが、肝心の弟は、いつの間にやら の手を離れていた。こんな人込みの中で、全く。彼女が密かに溜め息を吐くと、金蝉が腕をきつく掴んでくる。 「もう一匹は?」 聞かずもがなだ。答えるのが少し厭になった。正確には答えずに、「観音が居る所で待ち合わせにしない?」と言った。その台詞が、金蝉の機嫌を更に悪くする。 (怒ってないで、手を放してよ。というか、力、益々籠ってる…) が顔を顰めても、金蝉は手を放さなかった。苛ついた声で、告げる。 「てめえまで迷子になられちゃ敵わねえんだよ」 「私なら、上手く見付けられるけどな。貴男面倒臭がりそうだと思って。……あっち」 悟空の気配を探って、 が彼の居る方向に顎をしゃくった。 無言で金蝉が歩みを進める。次第に争う声を聞き付け、更に が気を探ると、天蓬と捲簾の気があった。三人が揃えば、まあ、騒動の一つくらい起こっても不思議ではないと思う。加えて、この人の多さだ。 金蝉が見ればまた切れかねないが、仕方ない、仕方ないと、思っておく事にした。 「あれか」 背の高い金蝉が、悟空を見付けたらしい。見上げると、彼の目が片方細まるところだった。 (うわ、機嫌悪) は、こっそり溜め息を吐く。 「…天蓬も居るな」 「何があったのかしら」 「ロクな事じゃねえさ」 金蝉が理由を聞くと、悟空ははっきり言った。 「だって! あいつらが金蝉の事馬鹿にしたから…。 の悪口も言ったんだ!」 悔しそうに、眉を怒りの形に変える。 悟空の前で、大切な二人を嘲笑された時、「ヘンクツ」や「ロリコン」とか「オチゴシュミ」等、意味の判らない処もあったけど、自分の中で怒りが弾けた。馬鹿にしているのは判ったから。 蹴り付けたら、殴られそうになった。そこを助けてくれたのが、天蓬だった。更に、騒ぎを見付けて面白そうに加わったのは捲簾。 どんどん騒ぎは大きくなり、この事件で各方面から目を付けられる事になった。 今は金蝉の館。 騒動を理由に、金蝉は帰って来た。こんな事でもなければ、絶対参加の行事なので、丁度良いといえば丁度良い。 天蓬と捲簾さえ居なければ、もっと良かったと断言出来る。 「何で居るんだ貴様等は」 険の籠った声で尋ねてやる。仕事の続きをしようにも、気が散って仕方がない。 「良いじゃねえか、悟空も も喜んでるだろ?」 答えたのは捲簾大将。愉快そうに笑うこいつとは気が合わんな、と思う金蝉。畜生、とっととどっか行け。 「わーい!」 悟空は捲簾に抱っこされて、ぶんぶん振り回されている。腕に痛みが走るが、もう少し頑張れ俺の腕、と捲簾は心中呟いた。 「でね、 。小野妹子が言うには…」 天蓬はといえば、 に下界の講義中。誰だそれは、と突っ込む気力もなく、ただひたすらに に変な知識を与えるなと思う金蝉だ。天蓬に目を向ければ、楽しそうに、倖せそうに話している様が映る。 (ふざけやがって。ここんとこ の口が悪くなってんのは、皆テメエの所為だぞ!!) 自分の事は棚に上げて、金蝉は天蓬を睨んだ。勿論天蓬は気付かない。 続けて始まった傍迷惑な野球を止めさせ、半時経った頃、我慢の限界が来た。 「いい加減、散れ」 腹の底から搾り出されたその声に、金蝉以外の動きが止まった。 「金蝉?」 不思議そうに尋ねる悟空を、ギンッと睨み付ける。 「うわ、怖っ」 隣に居る に、思わず抱きついて隠れる悟空。 は、まあ、怒るのは当たり前だけど……と、思いつつ楽しんでいた。 「良いじゃないですか、静かなんですから」 あははと笑う天蓬は、睨まれても平然と受け流す。 「そーだぜ。いーから、モデルは大人しくしてな」 人の悪い笑みを金蝉に向けたのは、鉛筆を走らせている捲簾だ。 何をしているのかというと。 悟空が突然言い出した。 は絵が上手い。でも自分は、金蝉の似顔絵が上手く描けないというお悩み(?)相談が始まりだった。 ではお手並み拝見という事で、 が仕事机に向かっている金蝉を描き出す。悟空もクレヨンを持ち、喜々として絵描きに臨む。 それを見ているうちに、じゃあ僕も、俺もしよ♪ と、残りの大人が加わる。 逐一会話を拾っていた金蝉の耳は、脳に要らぬ情報を送り、心乱すだけだった。 と悟空が描くまでは良い。未だ許してやる。だが天蓬と捲簾が加わるとなると話は別物。何が哀しくて、この二人にじっと見つめられなきゃならん!! 短い造りの堪忍袋の尾が切れ、金蝉は怒鳴り散らし始めた。 「逃げよ」 は悟空の手を掴む。 「おう!」 「待たんか猿ども!!」 立ち上がった金蝉に、捲簾が待ったを掛ける。が、彼は聞く耳を持っていない。そこへ追い討ちを掛けるかのように、天蓬の絵が完成した。にっこり笑い、ぴらりと紙を見せる。 「どうです? 良く出来てるでしょう? 金蝉」 そこには、それはそれは良く似た、鬼の形相の金蝉が居た。天蓬もたまには悪乗りをするらしい。止め役をしない天蓬の態度と、あまりの似顔絵のそっくりさに捲簾は腹が捩れるぐらい笑い出した。 「テメエ等纏めてぶっ殺す!!!」 屋敷中に響いた金蝉の怒りの声は。 悟空と には、鬼ごっこの合図にしかならなかった。 「何賭ける?」 がぼそりと訊く。 「んとっ、明日のおやつ!!」 ウキウキと悟空が答える。 「オッケイ」 走り回る二人と、早々に館を出て行く捲簾に、くすくす笑いながら本気で走る天蓬。そして、天蓬の似顔絵から抜け出でてきたかのような、金蝉―…。 怒濤の鬼ごっこが、スタートを切った。
|
||