ドリーム小説

桜華別路之禍梯第拾玖話「





 金蝉の仕事がない間は、 が仕事机を使うようになっていた。別段、ノートを取る訳ではないのだが、本を読むのに座り心地の良い椅子を使えるのが有り難かった。
 彼女はとうに漢字も含めた読み書きを一通り覚えていたので、悟空の様に天蓬の所へ通い詰める事はなく、大人しく金蝉の館に居る。
 今、彼女の愛読書は「こど●の科学」だ。ひたすらバックナンバを読んでいる。その中に交じって数冊、生物学と思しき本もあった。
 眼に痛みを覚えたので、暫く休む事にした。息を吐いて、ゆっくりめな呼吸をしてみる。痛みは落ち着いたが、目を開けずに思索に耽り、背もたれに身体を預けた。
 那咤の事が気に掛かる。
 この数日というもの、こればかりだ。あれから悟空が李家を尋ねたが、面会謝絶と医者に言われたそうで、門前払いをされた。ちゃんと医者に見せてくれただけでも有り難いと思うべきか。否、本当に医者に見せてくれたのか……。
  達が言っても、埒が明かないかも知れない。金蝉か、観音に頼んでみようか。
 いずれにしても、那咤が重体である事には変わりがない。 が素人目に診た限りでも、左脇腹の傷は、相当酷かったからだ。他にも重度の傷を負っていたが、脇腹が一番血の止まりも悪かった。
 あの傷は、一ヶ月そこそこで治るか…。無理だろう。 は直ぐに否定する。神様は、治癒という奇跡くらい、起こせないのだろうか?
 那咤のお陰で、この天界の威厳は守られているというのに。
 暖かな常春のような気候で平和と、安寧と、穏やかな刻を顕している外見とは裏腹に、腹の底は冷えきって荒んでいるらしい。
 何が天帝だ。
 何が争いの無い天界だ。
 嘘ばっかり。
 金蝉達は違うと頭で判っても、何だか哀しくなった。
 私は、いつか此処を出て行こう。
 金蝉と離れるのはとても辛いけど、この天界に住み続けるのは居心地が悪過ぎる。花果山に帰り、悟空と一緒に走り回って過ごせれば、それで良い――…。
 きつく目を瞑って、彼女は呟く。

 「嘘ばっかり」



 天蓬元帥の自宅では、あるじ不在のまま大掃除が行われた。勉強前に部屋の片付けを手伝った悟空は、労働の後の水羊羮で一服している。同じく、捲簾もお休み中。彼はとっくに食べており、煙草を吸いながら天上を見つめていた。途中で用があると出掛けてしまった天蓬は居ない。
 「なあ、ケン兄。那咤は元気になったかなあ? 俺達、まだ那咤に名前を教えてないんだー」
 「さあな。何でも、結構な重症らしいじゃねえか」
 「うん。ねんかいざぜつなんだって」
 「………おま、それを言うならメンカイシャゼツだろが」
 捲簾は呆れた声音を出す。
 「それそれ! 良く判んないけど、会えないって言われた」
 シュンとなる悟空に、捲簾は笑いかける。元気印の小猿が、何時までもこんな顔をしていてはいけない。
 「大丈夫だろ。なんっつても、あの闘神・那咤太子だ。お前にはそうは見えないかも知れないがな、あいつはあれでも、相当強いんだから。直ぐに良くなって、また遊べるさ。めげずに会いに行ってやれ」
 「……ん。明日、 と行ってみる。……そうだ、ケン兄も一緒に行こーよ!」
 良いアイディアだとばかりに目を輝かせる悟空は、机から身を乗り出して提案した。捲簾はニヤリと笑んで賛成。那咤の事で、少々気になっていた事もある。良い機会だ。…決して、李塔天には遭いたくなかったが。
 そこに、ふらりと天蓬が顔を出す。
 「僕も行きますよ。…一緒にお見舞いに行きましょうね、悟空」
 「天ちゃん! うん!!」
 煙草を片手に、天蓬がにっこりと微笑む。捲簾は半眼で、天蓬を睨み付けた。
 「……何ですか?」
 「水羊羮は貰ったぞ」
 「ああ…あれ。賞味期限何時でしたっけ?」
 「四日前。ま、大丈夫だった」
 「悟空にそんな物食べさせないで下さいよ。貴男の胃はともかく、デリケートな子供の胃には、何があるか判らないのですから」
 天蓬が咎めるように言えば、「この猿の胃がそんなにヤワなもんか」と捲簾は全く悪びれずに答えた。悟空の「猿って言うな!」という抵抗は無視される。
 「で? 成果は?」
 機嫌悪く捲簾は呟く。理由は天蓬にも良く判っていたし、自分とて同じ事。感情のシステムの内、怒りを制御しなければならない。いつものように、手早く集めて切り捨てる。天蓬は灰皿に灰を落とし、ソファに座った。
 「悟空、アンパ●マンの続きは見つかりましたか?」
 急に話し掛けられて、少し戸惑う悟空だが、直ぐに頷く。
 「うん。ケン兄ちゃんが見付けてくれた」
 「ちゃんと棚に戻しておいたぞ。あっちで読んでこいよ。俺等は大事な話があるから」
 取り敢えず、悟空を遠ざけて捲簾と天蓬は話を進めた。
 「天竺ー…大雷音寺の情報に因ると、事態は芳しくはありません。尻尾を掴めた訳ではありませんけどね、どうやらきな臭いなんてもんじゃないみたいです。此処は此処で腐り切っていますが、向こうも大差ないようですよ。此処最近の軍の頻繁な出動と、妖怪達の反抗。活発化している妖怪達は、異様な力を手に入れた為に、大暴動を繰り返している様なんです。気になるのは、その力の出所――……」
 「俺等じゃどうしようもない展開だなそれは」
 捲簾は顔を引き攣らせて呻いた。同時に、目の前の男の情報網の広さに感嘆する。
 (大雷音寺だと?)
 もしかしたら諸悪の根源であるかも知れない場所にも、目と耳を持っているらしかった。
 「ですが、知っておくに越した事はありません。深く関わり過ぎれば、矛先は僕らにも向いてしまいますが。……もう遅いかも知れませんし」
 呟いた天蓬の表情に、捲簾が読み取れるようなものは何も無かった。
 二人が吐き出した煙草の煙だけが、何かを表現するように、その場に漂っていた。



  は思い付いて、金蝉の仕事机の引き出しを漁る。白い紙なら何でも良いが、便箋だとなお良かった。
 しかし、適当なものは見つからない。
 金蝉が誰かに手紙をしたためるー…余り想像出来ない事だ。話す事が苦手という訳ではないし(とっても相手が限定されるが)、いちいち気持ちを文字にして表すよりは、直接言うだろう。基本的に面倒臭がり屋だと思う。
 仕事用だと思われる、高そうな紙は使いづらい。本人は何時帰ってくるのだろう。また溜まっていた書類を、観音の元へ届けに出掛けてから、一時間ほど経っていた。
 お茶でもご馳走になっているのだろうか。観音や二郎神はよく にお茶を振る舞ってくれた。が、金蝉相手に、観音はそうするだろうか。金蝉も、要らねえよと言って帰って来そうなものだ。
 表面上は、金蝉は観音を嫌っているように見える。 には、口で言っている程嫌っているようには思えなかったが。
 適度な距離で二人は過ごしている。
 決して、仲が良いとは言えなかったが、悪くもないと思う。 が思っても、二人には何の影響もない。ただ、そんな距離の関係も、悪くないと思っただけの事。
 彼女は意を決して、観音の城へと出掛けた。

 「おお、どうした?」
 「 ? 何かあったのか」
 いざ来てみると、普通にお茶を飲みながら話していたようだ。 が目をやったテーブルの上の書類らしきものは、印章が押されていなかった為、新しいものだと判別出来る。また大層な量である。
 「こんにちは。特に何もありません。ただ…」
 彼女は一度言葉を切る。
 「便箋があったらなって」
 「便箋? 何に使うんだ」
 聞き咎めて、金蝉が尋ねた。
 「うん、ちょっと」
  は言い淀む。観音に目を遣り、訊く。
 「何でも良いのだけど。二、三枚頂けないかしら?」
 観音は少し考える。
 「俺はふっつーのがあったと思うけどな。何処だか忘れたなあ。ああ、二郎神の奴なら、持ってそうだな、他にも」
 観音は大声で二郎神を呼んだ。
 お盆に急須を乗せて、二郎神が部屋にやって来た。彼は、次は鉄観音だと言って、新しいお茶を淹れに行っていた。
 「はいはいもー。そんなに慌てても、良いお茶は入りませんよ? て、 ?」
 「こんにちは」
 軽くお辞儀をして、戸口に立っていた彼女は道を開ける。
 「ああ、彼女の分ですね?」
 「それは後で良い。お前、便箋持ってるだろ?」
 「え、ええ。それが何か?」
 観音の問いの意味が判らず、曖昧に頷く。
 「私が欲しいのです。……那咤にお手紙を書きたいの」
 まあ、そう隠すような事でも無いと判断し、目的を告げる。
 「ラヴレター?」
 「違います」
 観音の横槍を、間髪入れずに否定する。顔も見ないで。
 「何だよ怒るなよー」
 意地の悪い笑みを浮かべながら、主に に言う。主に、というのは、ラヴレターという単語に反応した、保護者と世話好きの神も対象としていたからだ。
 「そういうことなら……。ハート柄の、良いのがあるぞ?」
 身体を屈めて優しく微笑む二郎神に、 は無表情で言う。
 「違いますって」
 驚いた事に、二郎神は多彩な便箋のラインアップを披露してくれた。彼の自室にて、コレクションのような数の便箋が登場する。
 この人なら、手紙を書いている姿も、想像出来なくはない。いや、寧ろ似合っている。
 「いやー。私は昔から文通友達がいてね。色々な便箋を集めているんだよ。どれでも好きなのを持って行きなさい」
 「ありがとうございます」
 軽くお辞儀をして、 は選定を始める。二郎神の部屋を借り、早速手紙を書きにかかった。
 彼女が選んだ便箋は、薄いパステルブルーの紙に黄色と橙色のマリーゴールドが印刷されているものだ。
 文面は考えてあったので、すらすらと書いてゆく。今の の精一杯の気持ちを書き綴り、ぴったり二枚で仕上げた。
 封筒に入れ、しっかりと閉じる。満足した は、手紙を届ける為に席を立った。
 「おっ! 出来上がったのか?」
 観音の部屋の前を通る際、呼び止められた。
 「ええ。今から届けに行くところ」
 「丁度良い。俺も帰る。邪魔したな」
 それだけ言うと、分厚い封筒を抱え、金蝉が立ち上がった。
 「行くぞ」
  を置いてすたすた行ってしまう金蝉を横目に、 は別れの挨拶を告げた。
 「はーい。またね〜」
 「おう。また来いよ」
 二人は気軽に へ手を振った。



 「あ、 〜〜!! 金蝉っ」
 外へ出て直ぐ、悟空の声が聞こえる。 と金蝉は立ち止まらず、悟空が居る方向へ進んだ。悟空は笑顔で駆け寄って来る。
 「何なんだ、てめえ等」
 「悟空…。書き置きを読んだのね?」
 「うん」
 さっと の横という、定位置に納まる悟空。
 「これから那咤の所へ行こうと思うの。貴男も来る?」
 「! 行くー!」
 此処でようやく捲簾と天蓬が追い付く。
 「あははは。悟空は足が速いですねえ」
 「短い足であのスピードは大したもんだぜ」
 金蝉は厭な顔をしたが、何も言わず黙っている。
 「こんにちは、金蝉。僕たちも一緒に行くつもりだったんですよ。那咤太子のお見舞いに」
 「ふん。勝手にしろ」
 「てか、手ぶらは寂しいねえ。オニーサン、お金持ってないの?」
 捲簾がニヤリと笑って尋ねる。
 「うるせえ」
 大人組とは関係なしに、子供組はどんどん歩いて行く。
 「おてがみ?」
 「うん。また会えないかも知れないけど、手紙だけなら預かってくれるかなって」
 意識が回復していたら、直ぐ読んでくれるかも知れない。 には、那咤がどの程度まで回復しているのか、見当もつかなかった。
 「んん? ラヴレター?」
 話を聞き付けて、捲簾が尋ねた。またかとは思いつつも、おくびにも出さず否定する
 「違う」
 「??? らぶれた? 何それ」
 「良いの気にしなくて」
 溜め息を吐きそうになり―…彼女は代わりにかぶりを振った。
 「どうよ、オトーサン」
 捲簾は馴れ馴れしく金蝉の肩に手を掛ける。その手を振り払って、金蝉は呻いた。
 「知らん」
 「まあ、何だって良いじゃないですか。どのみちとーっても微笑ましくて」
 天蓬の微妙な台詞と微妙な笑みで、大人組は沈黙した。
 桜舞う道を、五人は進む。
 ようやく李家へと到着したが、あっさり門前払いをされた。天蓬と捲簾が食い下がってくれたが、にべも無かった。
 「何だってんだあ?」
 不機嫌さを隠そうともせずに、捲簾が吠える。
 「無駄ですよ、捲簾」
 天蓬は言いながら、新しく煙草を取り出す。
 「……仕方ないよ。手紙は預かって貰えたから、良いわ」
 「残念だったな、
 「まあね。また来週にでも来ようね」
 「そうだなっ」
  と悟空の平和的妥協でもって、一行は帰路に着いた。
 「…………お前等自分の家へ帰れよ」
 食卓にまで居る軍人二人に、金蝉は怒りを抑えた声で呟いた。
 「御馳走になります」
 「結構いいモン食ってんじゃねえか」
 笑顔で宣言した天蓬と、聞きもせず食卓を見渡す捲簾。金蝉は顔を顰めた。
 「いーじゃんか。皆で食べようぜ! な、金蝉!」
 喜々として云った悟空を見て、金蝉はそれ以上は何も言わなかった。 は一人黙ったまま、食卓の中央に飾られた花を見ている。
 (もう枯れただろうな、あの花)
 また那咤の事を考えてしまう。手紙は無事に、那咤の手に渡っただろうか。談笑が始まった回りを余所に、嫌な予感が の頭の中で広まって行った。ゆっくり、じわじわ、得体の知れない予感。
 まるで、夜中に急に目が覚めた時の、ひと呼吸目の後。
 視界が闇夜に慣れていくような感覚に、少しだけ似ている気がした。



 「またあの子供達? しつこいわねえ」
 李家の当主、李塔天の愛人は冷めた顔で門番から手紙を預かった。李那咤へ、と書かれた封筒の裏を見る。
 「 ? ふーん。ませたガキ」
 ゴミ箱へすとんと落として、彼女は自室に戻った。
 その様子を見ていたのは、先程まで広間に居た恵岸行者だった。別の入り口に立ち止まって、女が過ぎ去るのを待っていた。顔を合わせたくなかったからだ。
 彼は黙って、ゴミ箱の中から手紙を拾う。淡い青は、ささくれそうになった気持ちを不思議と落ち着かせてくれた。
 ふと、少女の涼やかな顔と理知的な金の瞳を思い出し、彼は自分に呆れつつ、那咤の部屋に向かった。











**ねんかいざぜつにしようか、ねんかんざせつ=年間挫折にしようか迷ったり。
 そんな事で迷うなら、話を進めろという感じ。
 つ、次こそは、またちょちょっと進みます。恵岸と再会。

*2006/04/20up