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桜華別路之禍梯第弐拾話「





 喜悦満面、とは、この事だ。
 李塔天は喜びを噛み締めながら、機嫌良く笑った。目の前の天帝も、笑う。
 西方浄土の纏め役、そして、この仏教界最高頂点に君臨をする釈迦如来がやって来るのだ。本来ならば、こちらから参じるのが礼に適った事。だが、彼の釈迦如来は御自ら脇侍を率いて尋ねたい、そう申し出てきた。
 李塔天は考える。釈迦如来がわざわざやって来るその意図を。こちらに頭を下げるような事は考えられないし、対等どころか、当然の如く雲の上の遥かな高みにおわす方。歩み寄り、ではないだろう。
 油断のならない奴だと思っている。
 ただでのこのこと、ある意味敵地である東方に来るはずがない。
 本当に釈迦如来の考えなのか。他の誰かの入れ知恵だろうか。まさか、普賢真人辺りの…。
 憶測だけではどうにもならないが、警戒を怠らず、李塔天は当日を待つ事に決めた。長男の金咤に探らせたかったけれど、彼の頼りない顔を思い浮かべて、すぐ止める。それに、普賢に勘付かれると不味い。
 天帝の話を適当に聞き流し、李塔天は己の計画を見直し始めた。



 「ええ〜?! 何で? また那咤居ねえの?」
 「ああ、早速次の仕事を任されてな」
 「人使い荒いのにも程がありますよねえ?」
 不機嫌な悟空に、うろんげな瞳で返すは捲簾。アハハと笑う天蓬に、無表情な は大きく瞬いた。彼女は今まで、金蝉と静かに本を読んでいた。
 「ねえ、どうしてケン兄と天ちゃんは怪我をしているの?」
  の尤もな質問には、「な〜いしょ♪」と、悟空が答える。
 金蝉は認めたくないが、悟空と 目当てで軍人二人は頻繁に仕事場に訪れるようになった。そして居着いている。
 天蓬は考えが読めないし、煩くはないが的確に急所を突く毒を吐く。
 捲簾は馴れ馴れしく、更に煩い。悟空とつるめば、騒音甚だしい。
 (とっとと散れってんだ、暇人共!)
 内心毒づく金蝉だが、今は喋るのも腹立たしい。
 どうやら悟空をも巻き込んで、捲簾と天蓬は一騒動起こしたらしい。
 一様に口を閉ざし、何があったのかを喋らない三人に、金蝉は何故か苛立ちを感じる。悟空に聞いても、進展はない。
 「……那咤の怪我は、絶対に、まだ治ってはいないはずなのに」
  がぽつりと呟いた台詞に反応出来たのは、悟空だけだった。
 「 ……。うん、きっとそう」
 「…………許せない」
 そう言い残して、 は寝室へ行ってしまった。取り残された四人は、溜め息を吐く事すら出来ない。
 僅かな沈黙を挟んで、悟空が疑問を口にする。
 「……そいやさ、 のお手紙に、返事来ないね」
 実際に、既に二週間も過ぎていた。李家からの…那咤からの音沙汰は皆無だ。
 悟空は毎日のように訪ねているが、 は四日前から行かなくなり、一人で動き回っているようだった。悟空も、詳しくは知らない。ただ、那咤に会う為にしているのだと感じたから、何も聞かなかった。
 「僕らが直接口出しをしても、天帝までが那咤に頼りっきりですからどうにもならないでしょうね……。那咤本人に拒否権はないでしょうし」
 天蓬は、悟空の手前『頼りっきり』と表現したが、実際は頼るというより、使いっぱなしが正しいと思う。実に面白くない事だが。
 未だ傷の完治していない那咤太子を派遣するのも、理由があっての事だ。だからといって、そんな事態を見過ごせないで口出ししてしまった自分の上司が自業自得、とも片付けられない。
 その上司を辞めさせまいと、天蓬は李塔天に直訴し、結果傷を負った。確実に天界上層部を敵に回した。これらは全て結果でしかない。この次も、また自分たちは止められないのだ。那咤の出陣を。
 そう、どれもこれも面白くない。きっと、捲簾も同じな筈。
 那咤の為もあるが、悟空や の為に此処まで口出ししたものの、事態は悪い方向に向かっただけだった。
 後悔はしていないが。
 「なあ、金蝉。那咤のにーちゃんがさ、那咤は仕事をしているんだって、言ってた。好きでしてるんだって。俺には、どーしても、そう思えねーんだ」
 机の上に両肘を付き、顔を埋めるように悟空がうな垂れた。
 「……そう感じたのか」
 「……うん」
 「じゃ、そうなのかも知れんぞ」
 「… 、怒っちゃった」
 「あいつは、……あいつで、那咤の身を案じてるからな。真剣過ぎる気もするが、 は優しい奴だから」
 「うん」
 悟空は顔を上げず、金蝉はそれ以上は言葉が見つからない。
 大人三人は、心の底から思う。
 この子供達に、こんな寂しそうな顔をさせたくないのに……。
 「ま、次帰って来た時が、ある意味チャンスだぞ? 悟空、 連れて、謁見の間に乗り込んでやれ!」
 極めて明るい声で言った捲簾の台詞に、漸く悟空が笑った。
 そう、見ていたいのは、笑顔。
 場が和みかけた途端、寝室から が出て来た。静かに、静かに扉を開けて。
 「ちょっと出掛けてくる」
 言うが早いが部屋を飛び出して行く。金蝉の制止の声も聞かずに。
 「何だあぁ?」
 捲簾が誰に言うとでもなく、疑問を口にする。呆気に取られた残りの四人は、後を追い掛けるタイミングを逸してしまった。



 (恵岸さんは、もう一度会ってくれるだろうか?)
 恵岸に会っても、きっとどうしようもないとは感じつつ。 は李家のある城へ急いだ。
 彼は、那咤を弟と認めていないから。
 もしかしたら、少しは希望があるかも知れないけれど。
 そう、あの人は那咤の名前を避けていた―……。
 弟の名前を呼ばない。それはもう、 には理解出来ない。自身の弟を思い浮かべれば、尚更。どうしてそんなことが出来るだろう……!
 名前なんて必要なかった。
 けれど、それは何も判っていない頃の自分。
 呼ばれて応える事を、知らない頃の自分。
 (金蝉が付けてくれた訳ではないけれど、悟空も金蝉達も、私の事呼んでくれるもの!  って!!)
 きっと呼ばれる事には意味があるから。そして彼女が皆を呼ぶ事にも意味があるから。
 意味があるなら。
 この口は、その為にある。
 大好きな人たちの名前を呼ぶ為に。悟空以外には言いづらいけど、大好きって、言う為に。
 那咤の事は大好きか解らない。しかし、嬉しかった。本当は。また遊ぼうって、云ってくれたから、それだけで――……。
 少し変かも知れない。でも、今走るのを止めたら、那咤の笑顔が見えなくなりそううで怖いから。そんなの嫌だから。
 (私から近付いて行くの)



 「恵岸さん、お話したいのです。お時間、ありますか?」
 恵岸行者は、最近観世音菩薩の元を離れ、父である李塔天の元に居た。実家に強く呼び戻されては、恵岸は拒否し切れず、観音もまた無理に引き止めはしなかった。
  は知っている。恵岸の意図を、観音は見抜いている事。恵岸行者は、完全には父親に与している訳ではない―…。かといって、観音サイドの味方ということもないようだ。
  はそれを聞き、幾つか仮説を立ててみた。何処まで話してみようか……。
 「…那咤の事か?」
 「はい。貴男が一番真面目に聞いてくれますよね?」
 恵岸の目を見つめて。彼女は確信を持って言った。











**ヘイゼルにゃー、やられた。
 と、思いました。名前を呼ばない件。先にやられちゃった感満載。コレ'03の秋頃〜冬頃に書いていたので。
 心底嫌いな場合って、名を呼ぶのもおぞましいって事があるんじゃなかろーかと思うのですよ。(←経験者)
 あああまたもや短い…。

*2006/05/01up