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桜華別路之禍梯第弐拾壱話「





 李家の手前で恵岸と会えたのは幸運だった。主人の命を全うするしか能のない門番達と無駄な時間を過ごさなくて済むから。主命に忠実なのは良い事だ。だが、李家の人間達にはほとほと辟易していた。
 恵岸は思ったよりすんなり家に通してくれた。自室に通され、なんと彼自らお茶まで淹れてくれた事に、 は内心驚く。
 (この人は、とても律義な人なのかしら?)
 毒物の可能性はないだろう。目の前で淹れたのだ。それに此処で を殺しても意味がない。
 「言っておくが、私の愛用の茶だ。苦味は覚悟しておけ」
 「……いただきます」
 苦い、と聞いて は怯んだが、それでも出されたものに一度も口を付けないのは非礼と思い、飲んでみる。
 が、口内に広がる苦味に耐えられず、顔に出てしまった。
 「……本当に苦いですね…」
 何の意味があって、お茶が苦いのだろうか。彼女には判らない。
 「それで、用件は何だ?」
 思考を切り替えるのが一瞬遅れたが、それでも、 は恵岸を見据えた。
 「率直にお聞きします。貴男は、弟君の那咤をどう思っていらっしゃいますか?」
 「お前には関係のない事だ」
 身も蓋もない恵岸の突き放しように、 は二の句に困った。此処で怯むのは良くないと思い、未だ苦さの消えない口を動かす。
 「この間お会いした時に私は違和感を感じました。貴男の那咤に対する態度。冷たい、と言えばそれまでですけれど。仲の悪い兄弟も居るという事くらいは、私も知っています。でも、貴男は那咤の名前を避けていた。必要以上には呼ばなかった。これは、とても意味のある事に思えたのです」
 恵岸は同じ事を兄から指摘されていた。だが、直らなかった。どうしても避けたい心理が働いてしまう。
 「差し出がましい事をお聞き致しますが、それほどまでに、那咤の事がお嫌いなのですか? 彼が、貴男に、兄弟の不仲を促すような事をしたのでしょうか?」
 恵岸は僅かに目を伏せる。大きなお世話だと、一喝してやっても良かった。 はもう少し、クールで割り切った考えの持ち主だと思っていたのだが。
 目を覚ました那咤に 達との関係と聞いてみたところ、友達ではないと否定した。けれど、それが嘘である事くらい恵岸は知っている。違います、と否定してみせた那咤に、そうかとだけ言って部屋から離れた。
 その後も。
 茎の短い、萎え切った黄色い花を何時までも取り替えさせないくせに。
 自分の弟には、こうして、執着してくれる人が居るのだと、心配をしてくれる友が居る事を、複雑な気持ちで認める。
 崑崙山で修業していた頃の事を思い出し、溜め息を吐いたものだ。師匠と、友たち。若い頃の自分は、ある意味別人だと思う。
 「奴が生まれた事。その事自体が既に迷惑だ」
 冷徹な台詞は、慎重さを伴って恵岸の口から紡がれた。真実には変わりない。
 「その所為で母は狂乱し、一家は脆くも崩れた」
  は思い出そうと思考回転数を速めた。そう、あの時は確か、母親は病に臥せっていると云っていたはず。
 「お母様は、何故?」
 「化け物を産んだ覚えはないと云い続けた。そして、自分の肉体が忌まわしくなったそうだ。何度も自分を傷付け……自分を人間とも思わなくなり、発狂した」
 「!」
 「ははっ。流石にこれには驚くか」
 何を言ったら良いのだろう。 には言葉がない。此処までの情報は得ていなかった所為もある。
 あの那咤からは暗い過去など、影も形も見当たりはしなかったのに。
 それだけ那咤が隠していたのか、気にしていないのか、それとも乗り越えたのか。或いは、傷が深過ぎて?
 (私が気付くだけの機微を持ち合わせていなかった所為かも知れない。いえ、あの言葉…。自分は何の為に居るのか、と彼は私に訊いた。でも、それだけでは、ここまで飛躍させられないな…)
  は完全に乾いた口を動かす。
 「那咤は、その事を知っているのですか?」
 自嘲的な顔を直ぐに引っ込め、恵岸は頷く。
 「勿論。誰も憚ったりはしないさ。あんな化け物に」
 「化け物だなんて云い方止めて下さい。那咤は普通の人間だわ。…いえ、厳密には人ではないのですよね、天界人、神と呼ばれる、貴方達と変わりがありません」
 「何も知らぬくせに大きな口を叩くな。那咤は化け物以外の何者でもない。お前は妖怪のくせに、自分の仲間も判らないのか? 感じないのか? あの禍々しさを!」
  の知る、初めて会った時の情けない印象の恵岸とは違い、気が鋭くなっていると感じた。
 恵岸を冷静に観察しながら、 は言葉を選ぶ。
 「那咤から禍々しさなんて、微塵も感じません。どんなふうに蔑まれようと、那咤の心は穢れもしないわ。それが、彼の強さ」
  は自分が妖怪だ、化け物だと云われるのは構わない。そうであると思っているし、嫌でもないから。けれど、那咤が化け物と言われるのは許せなかった。例え、彼の兄上でも。
 「お前は気が読めるか?」
 「! ……少しは。…貴男が仰ろうとしている事は判ります。ヒトのチャクラ以外のものが、交じっているとも感じますから。でも、彼は天界人です」
 恵岸の質問の意図は、判る。人間と妖怪と、そのどちらでもない者。それぞれに発する気が違う。
 「氣」というものを纏うのは何も生き物だけではなく、自然界に存在する全ての有機物に流れ、留まっている。
 更に、人間を含む天界人や、妖怪、動物には、魂魄がある。魂があるか、無いか。有機物と無機物の違い。
 生命のオーラを感じ取るのは、 には容易い事。何せ彼女自身、オーラの塊のようなものだから。
 その が断言する。
 「那咤は紛れもなく天界人です」
 彼女の言葉を聞いて、恵岸は自分が制御し切れなくなった。彼は立ち上がり、 に怒りをぶつける。
 「何が天界人だ、この妖怪め! あれが天界人だと云うのなら、奴は一体何処から現れた!? 母上は、母上の云い分通り、那咤を産んではいないのだぞ! 妊娠すらしていなかったのだからな!!」
 今度こそ、 は驚愕で思考が停止した。
 息も、止まった。



 「っは! はあ、っは、あ……。早く、帰りてぇ。あいつらに、会いてえ」
 呼吸が整わない。制御出来ない荒い息をしている少年は、願望を口にした。
 彼は傷を負いながらも、妖怪の親玉を追い詰める為、獲物を構える。
 「下界の王はこの俺だ! 牛魔王ごときを倒したからといって、調子に乗る餓鬼にはお仕置きだ。敵わぬ相手の居る事、教えてくれるわ!!」
 目の前の生き物が口を開いてるのが見えた。何か言っているようだ。
 妖怪の遠吠えも聞こえない。
 周りの音も聞こえない。
 ただ聞こえるのは、あいつらの声。
 「早く、帰らなきゃ」
 那咤は唸されているように呟いて、俊敏に動く。そして、いともあっさり、妖怪の胸に斬妖剣を突き立てた。
 妖怪の断末魔が途切れるのと同時に、那咤の後ろから天界兵が現れる。素早く動き、妖怪が絶命している事を確認した。
 「那咤太子。お疲れさまでした」
 義務感だけで声を掛けた兵士は、那咤に一歩も近付こうとはしなかった。返り血を浴び、何百体も妖怪を殺した不浄の生き物を、恐れていたから。
 那咤は聞こえていなかった。何も言わず妖怪の城を後にする。
 彼の通った後には、夥しい血が続いていた。

 視界が血で霞んでも、
 耳が血で詰まっても、
 両手が血で染まっても、
 口が血で固まっても、
 あいつらだけは見える。
 あいつらの声だけが聞こえる。
 あいつらの手だけを探す。
 あいつの名前だけを呼ぶ。

  。それが、あいつの名前なら、早く呼んで言ってやりたい。
 「 ! 可愛い名前だなッ! 手紙アリガトな! 返事書けなくてゴメン。お詫びに、これから、遊びに行こうぜ。楽しい所へ連れてってやるよ!」
 と。



 脳が酸素を求めて、 に信号を送ってきた。想像の範囲内の事だったが、恵岸から直接聞くと、やはり驚いてしまった。漸く呼吸を再開させ、彼女は感じたままを恵岸に伝えようとする。
 李家の嫁は妊娠などしていない―…。
 それならば、尚更、 のある考えに正解の確率が増える。
 さあ、ここからだ。恵岸を追い詰め、怒らせ、喋らせなくては。
 「私が那咤を天界人と判断したのには、ちゃんと理由があります。これは私の感じ方なのですが、私や悟空、そして下界で出会った妖怪達とは、違う気があるからです。彼の肉体に流れているのは、れっきとした天界人のもの。ヒトのチャクラです。そんな事ぐらい、貴男にも判る筈です。ただ、一つ。那咤が他のヒト達と違うもの…それは魂魄でもない…肉体そのものです」
 見た目はどんなに人間や天界人と同じでも。初めは匂いで判った。魂魄と気の器が、綺麗過ぎると。
 彼が子供なら、ありえない事ではないのだ。子供の内は、特別な事をして肉体を浄化せずとも、穢れは付きにくい。
 しかし異常なほど、彼は綺麗だった。
 肉体という器も、魂魄も、気も、全てが。
 初めて会った時には、気付かなかった。その意味に。てっきり、心が…魂の純潔さが原因だろうと思っていた。
 金蝉とは違う清さ。
 「あの清らかさは、この天界に住んでいるとはいえ異様だと思います。でも、人間臭さも残っている…。貴男、鼻は利く方ですか?」
 「……ふん。そこまで判っていて、なおあいつをヒトだと云い張るのか? 愚かだな」
 「那咤の身体がどうなっているのかに興味はありません。でも、言えるのは、彼の身体は、人肉が基本になっている。チャクラの匂いと、他の匂い。ヒトではない部分も、確かに彼は少し持っている。それだけの事。那咤を構成するのは、ヒトのものでしょう? なのに何故人間ではないのですか? 妖怪なら良いと貴男は認めるの? 彼が私達みたいに、何かの化身だとでも?」
 貴男、本当は何を知っているの?
 見上げてくる の視線が、恵岸には疎ましかった。彼自身は多くを知らない。が、那咤には拒絶以外の感情が思い浮かばない。母親の事がある。決して円満な家庭ではなかったが、それでも、母が居てくれたから支え、支えられるという事を覚えた。
 ささやかな幸せを壊したのは那咤だ。
 何よりの原因は父の李塔天だという事も、良く知っている。
 「あいつは化け物だ。人なんかじゃない。ただの…ただの操り人形なんだよ!! いいか? 那咤は、我が父が造り上げた、機械人形なんだ!!」
 恵岸は激昂した。
 たかが少女相手に、本気で。












**すっかり那咤出生の秘密を忘れていたので、一部書き換えました。
 この話を書き始めた頃には、もう原作の第十三話を読んでいたはずなのにー。肝心の、軍の中で真しやかに流れているあの噂については、キレーすっぱり切り取るように忘れ去っていた情報でした何てこったい。
 コミックス二巻目出てくれて、涙出るほどありがたく思います。

*2006/05/09up