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桜華別路之禍梯第弐拾参話「





 行動を起こすというのは、結構な労力が要る。どう動くか作戦を考え、予測をし、シュミレートを繰り返し、覚悟を決めて動く。
  には知らない事が多かった。
 人の生活様式、形態、歴史、感情の推移。基本とされる一般常識。花果山で暮らしている分には大して必要とも思わなかったものだ。
 必要以上に人間と関わるようになり、まず、知識が足らないと感じた。だから知識を欲した。書物を愛した。
 純粋に知識を自分に取り入れたかったというのが第一。次に、他の人に負けないように。邪な感情で近付いてくる人に、大切なものを奪われないようにと。防衛行為でもあった。
 それを攻撃に転じさせる時が来た。
 防いでいるだけでは、やられてしまう。だから、攻めて行こう。

 本当に何も失いたくないの。
 その為に、考えたんだから。
 いっぱい、いっぱい、考えたんだから。
 大丈夫。きっと、上手くいく。
 私は私の欲しい未来を手に入れる。
 だから闘う。
 そんなものよね、生きてくのって。
 全ては我が儘の為に。

 ああ、此処に連れられてこなければ、考える事もなかったのかも。



 「 ! 何だよ、どういう事だよ?!」
 悟空が の掛け布団を剥がす。憤慨した様子で、姉に詰め寄った。
  はもう目が半分閉じていて、まともに口をきく気にはならず、そのまま抱きついて黙らせる。
 「…………誤魔化されないぞ!?  ーー!!」
 「…だって眠過ぎるんだもの。寝かせて。明日にして」
 「むーー! …絶対だぞ? もう絶対だぞ?」
 「うん」
 姉弟の会話を聞いていた金蝉は、仕事椅子から立ち上がれないままだった。
 明日までに作らなければならない書類は書きかけのまま。
 手に付く筈がない。
 金蝉の脳裏に、出て行くと言った の顔が浮かぶ。
 どうしてそんな必要があるのか。原因は、那咤? 今までの事からすると、それしかないと思う。出掛け先は、李家だったのだろう。
 (俺の周りで、何がどうなろうと関係ねえ)
 本音で思う。
 しかし、気に入らない。悟空といい、天蓬達といい。今度は だ。彼女までが、金蝉の居ない所で何かをしている。
 本来なら気にするような事ではない筈だ。誰がどんな意図で動こうが、金蝉に影響はないのに。
 影響はないのに。
 気に掛かる。このままの状態で放っておけば、後悔しそうな、予感。
 この数ヶ月間感じてきた騒がしい毎日が消えてしまいそうな、予感。
 退屈な毎日に、戻ってしまうという事。
 未だ、粟立った肌の感覚が残っている。 が居なくなる?
 そんな事は、させない。
 「もし、出て行く時は俺に言ってからにしろよ。勝手に出て行く事は許さねえぞ」そう言ったのは、金蝉だ。 は約束を守った。
 何をしようとしているか知らないが、止めるべきか止めないべきか、金蝉は迷う。
 悟空と の戯れる姿が思い出される。
 自分はそれを眺めるだけ。少し離れたところから見ているのが好きだ。
 のんびりと。
 二人を見ている事が。
 とても当たり前の日常。
 笑い声が、消える?
 嫌だ。
 素知らぬ振りも、傍観も、限界に来ていると痛感した。



 「何だ。お前一人か?」
 心底残念そうに、観世音菩薩はぼやいた。
 「…悪いかババア。 なら飯喰ってすぐ、悟空と出掛けたぞ」
 「何だよ、オトーサンは置いてきぼり? 情けねえなあ」
 「意味判んねえ事言ってんじゃねえよ…ッ。それより、こんなアホらしい書類なんざ、俺に回すな」
 金蝉は持って来た書類の束を机に叩き付ける。甥っ子の無礼な態度はいつもの事。気にするほど堅物ではない観音だ。むしろニヒルに笑って見せる。
 そんな事より、気になるのは。
 「何で直接持ってくる? 俺の顔なんか見たくねえって、いっつも言ってやがるくせに? 今回のは、疑問点なんかなかったろう」
 それでも最近は を伴ってやってくる事が多かった。わざわざ持って来る必要のない時は、他の者を使っていた奴がだ。
 大方 が出掛けるというので、一人は心配なのかのこのこ付いて来ていたのだろう。余計な心配をせずとも、金蝉のようにおもちゃにしたりはしないのに。多分。
 ニヤリと含みのある笑みで見遣ると、金蝉は憮然としていた。いつもより、機嫌が悪いようだ。
 「………」
 「言えねえような事ならー…」
 「 の奴が、居なくなるそうだ」
 遮って、金蝉が言った。観音の顔を見ずに。
 金蝉が冗談など言える性格でない事は、誰より観音がよく知っている。驚きを隠さずに、観音は聞き返す。
 「あん?」
 「だから、 が、俺の側を離れると言ってきた」
 意味を頭の中で反芻するまでもなかった。
 何語だこれは?
 「あぁん?」
 心底訝しげに、観音はまた聞き返した。
 お茶を用意してた二郎神は、何となく扉の外で話を聞いていたが、堪りかねて勢い良く扉を開ける。
 「どういう事ですか、金蝉童子様!?」
 驚いた金蝉が後ろを振り返る。すぐ後ろに、急須の乗ったお盆をしっかと握り、二郎神が迫っていた。ほぼ変わらない身長の為、真正面から睨まれる。
 「やめろ、二郎神。落ち着いて、金蝉の話を聞け」
 観音がいつになく真顔で窘め、二郎神は自制心を働かせて後ろに下がった。
 金蝉は、二郎神の焦りように驚いた。 が世話になっていたと、今更のように思い出す。あの娘が居なくなるなど、我慢ならない人物が此処にも。
 「……俺にも、良く判らない。昨日の事だ。ただ、急に迷惑を掛けるからと……」
 「迷惑?」
 観音は金蝉を凝視する。
 「多分、那咤太子の事だ」
 「はーん…。っていうより、李塔天だな? あいつ、 にまでちょっかい出しやがったのか? 懲りてねえな、馬鹿は。…いや、違うか。 と那咤が関わるならば、李塔天と謂う障害は避けて通れない。 の敵になる」
 「李塔天?」
 「ああ、知らねえか?」
 事情を聞き、先日の捲簾達の怪我の意味をやっと知った。
 金蝉は益々不愉快になったが、 の話が先だと思い直す。
 「李塔天が相手なら、俺は――……」
 「馬鹿かお前? 俺の甥っ子ってだけで、確かにお前には大した地位なんざねえさ。だがな、金蝉。地位だけで守れるものなんざ、たかだか知れているぞ」
 政治の中枢に居る相手に少し弱気になったのは確かだった。金蝉は、必要以上の事以外は興味がないものと決め込んで生きてきた。だから、護るものがある戦い方など、どうしたら良いか判らなくて。
 けれど、どうしても手放したくないものがある。護りたい人が居る。
 それだけで…。
 脳裏に浮かぶのは、あの笑顔。
 桜の下で確かに視た、春の光のように柔かな。
 金蝉は無言で観音の城を出て行った。
 「観世音菩薩……」
 二郎神が指示を仰ぐ。
 「心配すんな、二郎神。俺も行く」
 金蝉や李塔天の事は手出しをしないでおこうとも思った。
 見守ってやる事しか出来ないだろう。
 だから見届けてやるしかないだろう。最後まで。
 観音自身には直接関係のない事であったし、口出しをするのは筋違いになる。しかし、このままでは後悔しそうな気がする。
 今日は那咤太子が帰還するらしいと聞いていた。多分、 と悟空はそこに居る。



 騒つく城内を余所に、悟空は一人隅に座り込んでいた。
 キョロキョロと回りを見回して、見知った顔を探すが、未だ現れない。
  に言われて、天帝の城で捲簾と天蓬を待っていた。
 「 は何してんだろ……」
 この頃、 の考えている事が判らなくて、哀しくなる。時々、自分と同じ金の瞳が、ずっと先の事しか見ていないようで。隣に居る悟空の事を、忘れてしまっているような気にさせる。
 だから、そんな時は寄り添う。此処に居るよ、と。
 忘れないで、と。
 そんな時、 は決まって微笑んで抱きしめてくれた。
 判っているわ、とばかりに。
 体温と鼓動は二人にとって、欠かせないものだった。
 互いを感じている為に。
 「 ……」
 膝を抱えて呟いても、彼女には届かないのに、口にせずにはいられなかった。
 「お、アレ悟空じゃん」
 招集が掛かった為、やって来た天帝の城。
 捲簾が見付けたのは、一階入り口にある長椅子に小さくなって座っている悟空だった。
 「……本当ですね。 は一緒じゃないんでしょうか? 那咤太子が帰ってくるのに」
 少し妬けるほど那咤の心配をしていた が居ない。天蓬は疑問に思い、速足に悟空に近付いた。
 「悟空? こんなところに、一人でどうしたのですか?」
 優しい声を掛けられて、悟空が顔を上げる。見れば、微笑んでいる天蓬。
 「天ちゃん! あ、ケン兄ちゃんも!」
 ぱあっと笑顔を見せて、悟空が立ち上がる。
 「 は一緒なんじゃ?」
 「うん、一緒に来た。でもココで待ってろって。天ちゃんと、ケン兄と一緒に」
 「待ってろ?」
 「って言われても、俺らは謁見の間に入らなきゃいけないしなあ」
 やや渋い顔を作って見せた捲簾は、悟空の隣に腰掛ける。
 「僕が一緒に居ましょう。悟空、 は何処へ行ったんです?」
 天蓬の問いに、悟空は困ってしまう。眉根を寄せ、天蓬を見上げて言った。
 「え〜? 判んない。とにかく、天ちゃん達が来るのを待っててって」
 最後に、軽く唇を尖らせて悟空が俯く。
 要領を得ない話に、天蓬と捲簾は顔を見合わせた。



 「ご機嫌よう、那咤」
 なんて、澄ました声音で言ってみる。
 「!! お前…ッ。……ははっ、どうしたんだよ、こんなところに」
 笑顔で走り寄る那咤は、 の瞳を覗き込むように近付いた。
 「此処でもないと、会えない気がして」
 「んなことねえって! 俺、ずっと会いたかったから。俺から行こうと思ってた」
 「嬉しい」
 二人は微笑んで、ゆったりと見つめ合う。舞い落ちる桜の花弁さえも目に入らなくなるような空間。
 邪魔者は、付き物だが。これだけで済むのなら有り難い方だと、那咤は思った。
 「那咤太子、余りお時間が……」
 戦になると付き従う側近が、那咤に声を掛けた。仕方なく から視線を外し、「判ってる。後で行くから、先に行ってろよ。早く!!」と、睨みを利かせて言い放った。側近は不満げに去って行く。
 下界に通じる扉がある場所に、子供がいる事を不思議に思いながら、彼は の金眼に気付かず終いだった。
 暫くして残ったのは二人だけ。
 「これで、やっとゆっくり話せる」
 口の端を持ち上げて、 は笑う。
 「ああ、ホントだ。あ……なあ、もう一人は?」
 「今は居ない。それから、弟の名前なら本人から聞いて? 私より、教えたくてウズウズしていたもの。手紙は読んでくれた?」
 「勿論!」
 本当に嬉しかったから、今の距離を、一歩だけ縮めて。
 「ありがとな、 !!」
 「貴男が元気になってくれて嬉しい。何よりだわ」
 「……俺も、そう言ってくれると、スッゲェ嬉しい!」
 コツンと、那咤が に額を寄せる。少し驚いたけれど、 は嫌がらずに受け止めたままだ。
 「那咤、このまま、……遊びに行かない?」
 彼女は那咤の頬に右手を寄せる。微かに、暖かい。
 今度は、那咤が驚く番だ。これから、凱旋報告をしなければならない。
 生傷は未だ癒えないままで、一応は治療を受けただけの身だけれども。先に天帝の元へ使者が走っていて、父・李塔天の耳にも入っている手筈。
 その報告会に出ない?
 このまま?
 二人だけで遊びに行く―…。
 それは、何て、魅力的な。
 小さな誘惑?
 冷たい、と感じる自分の手で、 の手首を掴む。彼女の手首には、重い鉄の枷が嵌められている。じゃらり、と中途半端に付いている鎖が音を立てた。
 この感覚と感触は本物だった。
 細くて、重い手首。
 それは、那咤なら軽く壊せてしまえるだろう。
 (あの祭りの時、父上は言った。この俺に)
  とその弟を、
 コ・ロ・セ
 と。
 天帝の祭りの時、遠くに見えていた自由に生きる人たち。
 羨ましいと思う那咤の気持ちを見抜いた訳ではないのだろう、だが、父はいつも那咤の淡い思いを壊してきた。
 いつも。そう、いつも。
 壊されてきて思ったのは、自分以外は父親に壊されてゆくという事。
 すべて。そう、すべて。
 那咤自身でさえ、本当は保証がない。保証なんてなくて当たり前なのだ。飽きたら、要らなくなったら、壊される。
 それだけ。そう、それだけ。
 だから目の前に居る仄かな人も。
 いつか。そう、いつか。
 壊される。
 そして、いつも壊す為の武器となるのは、那咤だった。
 だから、言われる前に。
 もう一度、言われる前に――……。

 那咤は、 の白い喉元に視線を合わせた。












**えー、下界への通り道、お外にもありますすみませんんんんんん。
*2006/05/17up