ドリーム小説 夢 最遊記 外伝

桜華別路之禍梯第弐拾陸話「





 悟空達が本館を出て行く様子を窺っていた は、周りに気付かれないように嘆息した。
 上手く行かないものだと思う。
 どうやら、観音に気付かれたようだ。いや、懸念通り、二郎神だろうか?
 後ろの扉から追ってくるのは観音だった。
  は、『気』の捉え方で、立体的に探るのを苦手としていた。
 遠く離れている気は小さい丸の塊ような感じで、彼女に近付いてくる気は大きな丸の塊として感じる。
 人の気配が、どんどん近付いてくる、という感覚がどうも苦手だった。
 余り人が好きではないからか、と分析する。
 便利な能力ではあるが、慣れない。
 悟空達も近付いてきている。
 (まだ、邪魔はしないで欲しいな)
 どうかな。
 間に合うかしら?
 「それで? 解決するかしら?」
 天帝達と喋りながらである事と、緊張の為に上手く思考が働かない。
 喋りながら他の事を考えるのは大した事ではないのに。
 「私なしで、解決するかしら?」
  の台詞に、天帝も、李塔天も、釈迦如来までもが黙り込んだ。
 だが、文殊菩薩は違った。
 「ああ、解決するさ。君が居なくとも、この世には影響がない様に」
 「それは違いますね。那咤の消耗が激しい今、代わりになれるのは私だけですよ。弟には向きません。この先の計画には、貴男達だけでは対処し切れない筈です」
 「では、君にはそれが出来るとでも?」
 「出来ます」
 「それは、殺生を認めると謂う事だな?」
 「はい」
  の答えに、文殊は大袈裟に溜め息をついてみせた。
 「殺しがなしだなんて絵空事、いい加減止めないから自分たちの首を絞める事になるんですよ。ご自分で一体何をなさっているのか、まさか判っていない訳でもないでしょうに」
 「何だと?」
 文殊の視線がきつくなる。右手で小さな眼鏡を上げながら、彼は威嚇するように を睨んだ。
 「貴男方で紡ぎ始めたのですから……因果応報ですよ」
 にこりともせずに、小首を傾げて告げる。
 これには、釈迦以外の三人が反応し、気色ばんだ。
 気にしないで は続ける。
 「宜しいですか? 貴男方には、決定的に戦力が足りません。那咤が居なくなったら、どうするおつもりだったの? その時の為に、釈迦如来様は私達姉弟を連れてきたのではないのですか? 金眼の異端児でも、殺しは出来ない、なんて意味だけではないはずよ。それだけならば、わざわざ観音の所に預ける意味がない……」
 「観音の所へ預ける意味……」
 天帝がぼそりとおうむ返しで呟いたが、誰も答えを返さなかった。
 それは も答えが絞り切れないものだった。が、素直にからくりを吐くとも思えなかったので、構わずに喋る。
 「結局今日は何がしたいのかと言うと、セールスの為のアピールです」
 「アピール?」
 またもや天帝が聞き返した。
 「そうです。制御装置を外さずに、何処まで闘えるのか。出来ればこの両手両足の枷を外していただきたいのですけれど」
 「何と闘う気だ?」
 「何とでも」
 李塔天の問いにこう返せば。
 この男は何の遠慮も躊躇もなしに言うだろう。

 悟空達を殺せ、と。

 「これから貴男達が敵に回す中には、牛魔王よりも厄介な敵が居る筈です。何せ、全世界の妖怪を敵に回すに等しい事をなさっているんですものね?」
 天帝が息を飲む音が聞こえた。
 李塔天は微動だにせず を注視し、文殊は彼女を睨み続けていた。
 釈迦はといえば、話を聞いているようで、どこか上の空にも見える。
 ここに集まった男達は、仏教界のトップクラスの実力の持ち主達だった。
 教祖の釈迦如来を初め、亜細亜一帯で崇拝されている人物達。
 彼らの目的は、版図の拡大だ。
 仏教を広く広める…それは異教の地を侵す事を意味する。
 単なる布教ではないと恵岸は云った。
 そんな平和的なものではないと。
 「外国の妖怪、妖げつは特殊な力を持っていると聞きました。相手は異教徒です。未知数の強敵達に、那咤だけが主戦力で勝てる筈はない。例え、計画に賛同する妖怪達を盛り込んだとしても、私ほどの戦力にはならないと思います」
 妖げつと謂うのは、長い月日を経て意志を持った動物などが人間に変化出来るようになった者の事を指す。
 自分はその類いだろうかと思った事がある。
 巨岩そのものが意志を持って喋ったりしだした訳ではないし、 は人間に化けている訳でもないので実際は見当違いなのだが。
 「そんなに自信があるのか?」
 「ええ。私の強さは……釈迦如来様にお墨付きを頂けるのではないかしら?」
 あの忌まわしいバトルが、 の頭の中で再生され始めた。怒りを心の奥深くで砕き、冷静を保つ。その証しに、釈迦に対して軽く微笑んでみせた。
 釈迦如来は と視線を合わせる事なく、頷く。
 李塔天は、 達姉弟と釈迦如来の一戦を、詳しく知らない。恵岸が何事かぼやいていた気もするのだが。
 面倒臭い仕事を押し付けられたとか何とか。
 「さて、何だか外も騒がしいようですし、場所を変えませんか? もっと邪魔の入らない、ゆっくりと話が出来る所へ……」
 ちらり、と が入った扉を見遣ると……凄まじい音をたてて扉が開かれた。
 現れたのは観世音菩薩。
 「よう、
 口元は不敵な笑みの形を作ってはいるが、いかんせん眼が笑っていない。
 その後ろには、護衛の男二人が伸びて床に倒れていた。
 かつての弟子であった観音に、天帝が持ち得る威厳全てを出して怒鳴り声を上げる。
 「観世音菩薩! ここへは立ち入り禁止にしてあった筈だ! 今すぐ帰れ!!」
 「うるせーんだよ師匠。俺は に用があるんだ。おい、 。とっと帰るぞ」
 「嫌」
 「嫌じゃねえよ。帰るったら帰るんだ! お前が此処に居ても仕方ねえだろう。帰って、俺がゆっくり話を聞いてやるから…」
 「必要ないわ。もう、必要ありません。お願いだから、私の邪魔をしないで頂戴」
 「 、聞き分けねえな?」
 「貴方こそ……。迷惑なのが判らないの?」
 暫し、 と観音の睨み合いが続いた。矢継ぎ早に紡がれる応酬に、天帝は入れもしない。自称威厳は早々と身を潜める。
 沈黙を破ったのは、釈迦だった。
 「儂は を迎えるのには賛成する」
 「釈迦如来様!」
 文殊が非難めいた声を上げるが、釈迦がひと睨みすると、そのまま押し黙った。
 「 が云う事に間違いはない。これからは、強力な戦力になる」
 「ありがとうございます」
 軽く会釈の真似事をした は、観音に向き直り、冷たい声音で言う。
 「どうぞお引き取りを。最早私の帰る場所は金蝉の所ではないわ。貴方と共に行く必要など、何処にもない」
 「本気の台詞にゃ聞こえねえぞ?」
 「それは貴方がそう思いたいからです。希望を押し付けないで」
 堪り兼ねた観音が、 に近付こうとした時、 李塔天が を背に庇った。冷笑を浮かべながら、観音と対峙する。
 「私からもお引き取り願います。観世音菩薩。この娘の云う通り、帰る場所は、貴方方の所ではない。今日から那咤の居る我が家なのですよ。そうだな、 ?」
 「はい」
 何を抜かしやがる―…。
 観音は思わず怒鳴りそうになったが、何とか言葉を飲み込む。
 「観音」
 ごく普通に、いつもの調子で。
  は観音を呼ぶ。
 それが逆に、余りに不自然で。
 観音は一瞬、息を止めた。
 李塔天の後ろから、音をたてず が歩いてくる。
 彼女が近付くのを、観音はスローモーションの映像みたいに捉えていた。
 ゆっくり流れる、目に見える映像とは違い、次のアクションは一瞬。
 視ていた筈なのに、 が突如近付き現れたかのように感じた。
 「お願い。……邪魔、しないで」
 この豹変振りは明らかにおかしい。観音の表情にそれが表れた。だが。
 まだ信じている。
 彼女を。
 何処で何が間違ったらこうなるのか―……。
 「貴方、今日は水遣りやったの? 私に構う暇があったら、お家へ帰ってあの蕾を枯らさないようにして貰えないかしら?」
 観音は、こんな時に言うような台詞ではないと思った。
 何故、今蕾の話をする?
 観音は の企みに、おおよその見当が付いた。
 (成程、俺は帰りゃ良いんだな? 後で来るって訳か)
 「……後悔するなよ。いずれ、後悔した時にはお前が枯れる事になるぞ」
 「ご心配には及びません」
 一応それらしい台詞を言って、観音は背を向けた。
 そして の次の台詞を待つ。
 「もう私は花が咲くところを見られないけれど、貴方は側で見ていてあげて下さいね。咲くところも、散るところも」
 「ああ、そういう約束だったな」
 彼女の「見られない」という台詞に引っ掛かったが、観音は思い直して、表から来ている奴等も連れて帰ろうと思った。わざと の近くを通ろうとする。彼女は少し身を引いて、道を開けた。
 「観世音菩薩!」
 天帝が挨拶もなしに、まともに帰ろうとしない元弟子に低い声で注意をした。
 「わーってるよ。向こうから来る連中を連れてくだけだ。邪魔したな、師匠。……ああ、そういや」
 奥の扉を開きつつ。観音は文殊に向き直った。
 「文殊、お前暫く見ないうちに老けたなあ〜」
 「老けるかァ!!」
 軽口を叩いて、手を振りながら、観音は出て行った。
 不老を手に入れた文殊菩薩が年を取る訳がない。観音と文殊は長い間、ずっとこんな調子だった。律義に突っ込んでしまった文殊は、我に返り、咳払いをする。
 心の中でクスクス笑っていた だが、急に開いた扉に素早く視線を向ける。ひょっこり現れたのは、また観音だった。
 何事かと思うが、観音は が瞬時に予想立てた出来事を蹴散らかすような発言をした。
 実に驚きの台詞。
 「言い忘れてたけど、その新しい眼鏡、似合ってねえぞ。思いっ切り」
 「黙れそしてとっとと消え去れこの淫猥無頼菩薩めッ!!! これが流行の最先端なのだ!」
 堪忍袋の緒かぶち切れた文殊は唾を飛ばして反論した。
 混乱の元凶は、笑い声を残して帰って行った。何をしに来たのかと思えばこれだ。 はまた現れるのではないかと冷や冷やしたが、暫くの沈黙の後は何もない。
 だが、まだ悟空や観音の気が遠ざかっていないのを感じ取った。
 (何をしているの?)
  は段々嫌な予感がし始めていた。このままでは破綻してしまうのではないかという予感。
 不安は、先を読める筈の眼を覆う。
 信じられるのは自分のすべて。躊躇ばかりしていては、駄目だ。急に細波が立ち始めた心を静めようと、 は笑顔の自分を思い浮かべる。
 このイメージは、事が終わった後にある筈のもの。
 辿り着くのは、そこだ。
 もう決心をした筈の心を叱咤し、 は顔を上げた。
 「気を取り直して、話を進めましょうか。邪魔が入る心配がなくなった事ですし」
 「良いだろう。まずは、お前の戦闘参加についてだが…早速西方の大雷音寺に来て貰いたい」
  の言葉に反応したのは釈迦だった。が、すぐさま李塔天が反発する。
 「釈迦如来様、申し訳ありませんが の行動権は私にあります。彼女は私の眷族の一員として、また那咤の片腕として働かせるつもりなのです。それを勝手に西方に持って行かれては敵いません」
  が使えるうちは、戦力として使う。用がなくなる、あるいは、那咤の身体が修復不可能になったら、新たな身体の元として使う計画がある。異端の身体は、那咤の器としてはうってつけだと思われた。
 男児の方が、そういった意味では適しているのではと思うが、悟空には殴られた恨みがある。
 そのままの姿で使うのなら話は別だが、只の肉塊レベルまで還元するなら、男女差など関係ないだろう。
 利用価値が高いのは だ。
 二人とも手に入れるに越した事はないが、どうにも、李塔天は悟空というガキを手元に置く気にはなれなかった。
 「 は私が管理致します。どうぞ御容赦を」
 「だが、こちらは戦力が心許ない。那咤の消耗が激しいのであれば、戦も数をこなせんだろう。東方は那咤に任せ、西方には を寄越してくれないか? 下界での騒ぎが一段落するまでは、力は均等に保っておかんとな。勿論、ただでとは言わん」
  は迷った。
 このまま西方に行くのはとても都合が悪い。
 だが、釈迦の意図が読めないので、迷う。
  がこれだけの情報を持ち得ているのは、誰が情報源なのか、考えるのが普通だ。一番は観音からの経路と思うだろう。だとしたら、これはモーションだけかもしれない。
 まだ は恵岸の名を口にしていない為、恵岸との間で何があったか、想像してもらう事もままならない状況だ。李塔天の息子が、異端児相手に機密を話した、その意図を。
 「……金咤さんは?」
 どちらにでもなく、問い掛けた。
 「あの方だけでは戦力にはならないとでも? 勿論、殺生を行うのが大前提ならば、仕様のない話ですけれど」
 「金咤だと?」
 李塔天は、温和な長男の顔を思い浮かべたが、奴は使い物にならない事を知っている。戦闘能力はかなり高いが、いかんせん臆病者だ。
 「はい。昨日恵岸さんと色々お話した中で、お兄様のお名前をお伺いしました。純粋なパワーでは、恵岸さんをも上回るとお聞きしましたが?」
 「ふん。どうだかな。そもそもあの二人は、兄弟揃ってこそ威力を発揮する戦い方を考えておった。昔はそれで通じたが、個々の力となると、那咤には到底及ばんさ」
 「那咤だけと比較なさらずに……。一般的な意見として伺いたいのです」
  の問いには、李塔天より速く釈迦が答えた。
 「それならば、金咤とて申し分ない。が、やはり、お前や那咤のように飛び抜けた才能はないのだ。バランスを考えたら、西に と金咤、東に那咤と恵岸を置いた方が良いと考える。何より、西方は東方と違って、直接キリスト圏やヒンズー圏と争わねばならない事を忘れるな。妖怪の反発は東方が多くとも、それ以上の危険が西方にはある。闘える状態に無理がない は適任なのだ。李塔天よ、気持ちは判るが、お主はまだ約束を果たしていないな?」
 釈迦の言葉に、李塔天はグッと詰まった。
  はすぐに、恵岸の台詞を思い出す。
 釈迦達西方に対し、李塔天は那咤に次ぐ戦力を送ると約束をしていた。まさか禁断の汚呪を使って造り出してくれてやる、などとは口が裂けても言えない。
 この事を知っているのは、東方でも極々一部の者達。その内の一人には天帝も含まれているというのだから、呆れ果て、怒りを覚えた だった。
 那咤に近い戦力などないと心で思いつつ、しかし、西方での権力も握っておきたい李塔天は強者を探し求めていた。
 だから、本来ならば はその役に持ってこいの人材である。
 だが李塔天はそれを拒否する。
 那咤の身体の事が第一にあるからだった。
 肉体を作り出すには肉体が要る。基礎となる器。
 零から人体を作る事は、李塔天の力と知識を総動員しても無理なのだ。人間を構成する物質を掻き集めても不可能。李塔天では神の領域には踏み込めない。
 結論として、李塔天が考えたのは魂の入っていない器に、魂を呼び戻し、別の構成物を融合させる事で、新たな生き物を造り出す事だった。
 不完全な肉体を、あるものと融合させる事で、魂の入れ物を用意する。
 用意が出来た入れ物に、魂を呼び戻す、或いは人格を造り出して刷り込んでおけば、那咤のような人造人間を生み出す事は可能らしい。
  には今一つ信じられない話だったが、実際に那咤は存在する。
 恵岸の調べた事や瀬玉の推理に間違いがない限り、那咤出生の秘密は以上になる。
 そうポンポンと人体製造は出来ない。
 那咤の身体は、度重なる負傷でガタが来ているらしく、李塔天はその事で頭を悩ませているそうだ。不死身に近い回復力を与えたつもりだったが、上手く行かなかったという訳だ。
 凡人の身体を使ってもたかが知れている―…。李塔天は本気でそう考えていた。
 これを逃す手はないと、 は恵岸に頼み事をした。












*2006/09/05up