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桜華別路之禍梯第弐拾漆話「






 「う…ん」
 物が壊れる大きな音がした。
  はやっと自分が気絶していたのだと気付く。
 慌てて目を開けると、奥に大きな穴が開いていた。先程の大きな物音は、壁に穴が開いたからだと判る。
 漸く立てるようになった は、悟空の表情を見て恐怖した。
 あれは、悟空ではない。
 では、誰?
 金蝉・二郎神と対峙している悟空に呼び掛ける。
 「……悟空? どうしちゃったの?!」
  の叫びに反応してか、悟空は の方を向く。
 そして、にやりと笑い―…ギラつく金色の瞳の中に を捉えた。
 獲物が視界に入ったら、する事は唯一つ。
 悟空は無言で攻撃を仕掛けようとした。
 が、再び間に立った二郎神がそうはさせまいと三尖刀で牽制する。
 「悟空、一体どうした? 私の声が聞こえないか!?」
 大声で呼び掛けても、悟空は無表情で二郎神に向かってくるのみ。
 おかし過ぎる。
 「どういうこと…? 釈迦如来! 貴男悟空に何をしたの!!」
  は何とか立ち上がり、扉の向こうに顔だけが見えている釈迦如来へ、非難の声を上げた。





 突如として膨れ上がった異常なまでの大きさの妖気に反応したのは、恵岸行者であった。いや、恵岸でなくとも、この大きさの気には何十人もの天界人が気付いただろう。
 「――……!?? 何だ?」
  の近くには、つい先程まで悟空が居た筈だった。
 どんな事にでも対応が出来るように、恵岸は の気を読んでいたのだが、悟空の気と入れ替わるようにして現れた気の持ち主に戸惑わずにはいられない。やっと結界の張られている奥部屋から出て来た、と思ったら、余りの展開に大声をあげてしまった。
 「兄上?」
 心配した那咤が尋ねる。
 「悟空の気がおかしいぞ…」
 「ごくう?」
 那咤の問いには応えずに、懸命に恵岸は意識上で相手の気をなぞった。
 悟空の気とは、明らかに異質のもの。
 だが、全部別物になったという訳ではないようだ。
 強過ぎる気に紛れた悟空の気が、辛うじて判別出来る。悟空に、只ならぬ異変が起こったようだった。
 考えられるのは、妖力制御装置が外れた事。
 しかし、それだけの事でこうまで別人のようになるものだろうか?
 否、通常はありえない。
 ただ、二郎神と の気を合わせても、悟空の様なものの方が大きさは勝っていた。とてつもなく、強い。余り長くは感じ取っていたくない部類の気だった。
 「…… が殺されかねん」
 最悪の事態を思い浮かべてしまった恵岸の口から、ぽろりと零れ落ちた一言。
 那咤は敏感に反応を見せ、せっかく避難していた観音の城を飛び出して行った。
 慌てて後を追い掛ける恵岸だが、那咤の脚には追い付けそうにもない。
 「え、恵岸様?」
 見張りの者が声を掛けるが、恵岸は片手を振っただけだった。
 「待て! 那咤!」
 精一杯声を張り上げたが、那咤は止まらなかった。
 思い切り舌打ちをして、速度を上げる。
 このままでは、那咤にも、悟空の始末をせよとの命令が下りかねない。そうなったら元も子もないのだ。 の計画は完全に破綻する。
 那咤の仕組みを考えれば、恐らく李塔天の命令には逆らえず攻撃するだろう。那咤は、李塔天には逆らえない。
 父親だから、ではない。
 李塔天は、創造主、なのだ。
 那咤が詳細を理解していなくとも。
 頭でそうと理解していなくても、動いてしまう可能性が高い。
 李塔天は那咤を操れるという事だ。
 最近はその傾向が顕著であると恵岸は気付いていた。
 事情は良く飲み込めないが、想像出来る範囲の修羅場に、今那咤が飛び込めばどうなるだろうか。
 考えただけでもぞっとする。最悪の事態だけは避けたい。
 恵岸は、誰へともなく、祈った。
 本気の祈りなど、久しく捧げた事がなかったのに。





 禁錮を外したら、自分もああなるのだろうか? いまいち実感出来ないまま、 は素早く目を瞑った。悟空との妖力制御装置の違いを思い出す。次に、自分に出撃の合図を送った。
 目を開けると同時に悟空へ体当たりをかける。が、左腕一本で弾かれてしまった。
 今や、悟空は 、二郎神、捲簾、文殊に囲まれている。
 騒ぎを聞き付けた観音が一度悟空に向かって行ったが、信じられない事に攻防の末に力負けしてしまった。吹き飛ばされた観音は、金蝉にぶつかり、今はその金蝉に支えられていた。
 「おい、二郎神! 何とか動きを止めろ。その隙に俺が金鈷を付け直す!」
 「はい!」
 文殊は 達よりは少し離れて、釈迦如来達を守る盾のようになっていた。
 李塔天に天帝、釈迦如来は高見の見物を決め込んだようだった。李塔天に至っては、薄ら笑いまで浮かべている。
 それに気付いた文殊は、悟空達へ向き直り、少し嫌な顔をした。こういう時でこそ、釈迦や天帝を守る為に身を呈すべきではないのか。
 所詮、その程度の男だと思った。
 文殊は李塔天を認めていない。
 李塔天の野望を見抜いているから、余計だ。こんな男が天帝の座を引き継ぐなど、あってはならない事である。
 文殊や普賢が気付いている、天上界の綻びを大きくするだけだろう。
 天帝や李塔天に与する演技は、そろそろ潮時だと感じた。
 「観世音、私も協力しよう」
 文殊の申し出に、観音は目を見開いて驚きを表した。
 「へえ? いいぜ。暴れ猿に手こずっている訳にもいかねえし?」
 愉快そうに笑った後は、真剣な顔で二郎神と悟空を見据えた。
 二郎神は、三尖刀で悟空の脇腹を打つ。すかさず捲簾が悟空を捕らえようと詰め寄るが、これは悟空に腕を噛み付かれて失敗に終わった。
 「いっってえ?!」
 がぶり、と銜えられて、捲簾は膝から崩れ落ち、のたうち回る。
 「捲簾!」
 天蓬が近寄って、捲簾を戦線離脱させる。
 左腕は喰い千切られてはいないが、出血が酷い。骨にまで影響があるかも知れなかった。天蓬は急いで応急処置を始めた。
  が渾身の蹴りを放つも、悟空は軽く躱す。
 その表情は、とてもつまらなそうだった。
  や捲簾が相手では、退屈だと言っているように思えた。
 彼女は自分では勝ち目がないと感じている。
 純粋な、力対力で、 は確実に劣っていた。両手両足の枷を外したところで、今の悟空の足元にも及ばない。
 戦力に数えて良いのは、二郎神と観音、そして文殊の三人だった。
 「悟空! このバカ猿!! 大概にしとけっ!」
 観音が離れた隙に、金蝉が近付こうとしている。
 「金蝉、来ちゃ駄目!」
  が注意するが、聞く金蝉ではない。
 「馬鹿はお前だ。お前の出る幕じゃねーんだよ」
 観音の厳しい声に、金蝉は踏み出す足を留めた。
 無言でしか返せない金蝉を見て、観音は溜め息を漏らす。
 「少しの間、すっこんでな」
 言い終わると、悟空目掛けて走り出した。二郎神が丁度悟空の背中を打ち付けたところであった。
 「ぐぁ…ッ」
 悟空が血を吐いて床に倒れるが、間髪入れず起き上がろうと動きを見せる。
 何と打たれ強い…、と二郎神は半ば感心すらしながら、三尖刀を振るった。肩口に打撃を与え、動きを止める。
 隙をついて、文殊が悟空に縄を投げ掛けた。
 「縛妖索!」
 二郎神の喜々とした声が上がった。
 縄はあっという間に悟空に絡み付き、動きを封じてしまう。
  は、咄嗟に縛妖索と云うものが宝貝であると気付いた。
 悟空がもがき苦しんでいる中、観音が近付き真言を唱えると、悟空の頭に金色の輪っかが現れた。
 後はそれを嵌めるだけ。
 びくりと身を震わせた悟空は、声も出さずに目を閉じた。
 今の今まで暴れていたのが信じられないくらい、悟空は安らかな寝顔で眠っていた。
  が近寄ると、観音が身をずらして、 に悟空を預ける。
 静かな寝息をたてて眠るいつもの悟空に、思わず涙が出そうになった だった。ギュッと抱き寄せ、良かった、と呟く。
 金蝉は二人の近くへ行ったが、側へ寄って良いものかと逡巡した。
 気付いた が、金蝉に微笑む。
 「もう大丈夫みたい…。いつもの、私達の悟空だわ」
 安堵と、泣きそうな感情が混じった声で、 が言った。
 金蝉が片膝を付いて、悟空の頬に片手を触れる。
 子供体温で暖かい頬。
 口を開いた間抜けな寝顔。
 悟空の頬に触れた手は、そのまま の頬へ移動する。
 悟空とは違い、戦闘で上気した頬だ。 とあの悟空の力の差が現れているようだった。
 二人ともを掻き抱いて、放したくない衝動に駆られる。
 金蝉が触れている頬が、びくりと振動した。
 「 ?」
 「…………嘘」
 「 ?」
  は金蝉の手の冷たさを感じながら、気を読む力を再び働かせてみると、那咤と恵岸の気がサーチ出来た。信じられない思いで、 は、金蝉に悟空を預ける。
 「おい、 ?!」
 (来ては駄目よ、那咤。貴男が此処に来たりしたら……! 恵岸さん、何とかして那咤を止めて!)
 いっそのこと、自分で止めに行こうか?
  は頭をフル回転させて、選択肢を幾つも打ち出す。更にそれを絞り込み―…。
 立ち上がった。
 「……釈迦如来に聞きたい事が出来たわ。貴男、一体悟空に何をしたの? 私の頭に付いてるのを取ったら、私もああなるの?」
 全員が釈迦に注目した。文殊は戸惑った表情を向けるが、当の釈迦は涼しい顔をしている。
 「答えなさい。これは、単なる妖力制御装置ではないのね?」
  は自分の額に手を遣り、人差し指で弾いた。
 これで妖力を封じ込め、また、人間と変わらない姿にする目的で付けられた筈だ。それは嘘ではないのだろうが、兇暴化するなどとは一言も聞いていなかった。
 観音が付けた事で、普通の妖力制御装置であるとも取れるが。
 「お前達専用に、特別にこしらえたものだ。神のみが持ちえる強大な神通力を源とした制御装置……。そこいらにあるものと一緒では、お前達には効かないだろうよ」
 「信じましょう。でも、妖力制御装置を外した後の悟空の状態はおかし過ぎる。以前のあの子は、別に妖力をセーブしなくたってあんなふうに暴れたりはしなかった。あれではまるで、別人よ」
 別人、のところだけ、わざと声を低くして言ってやった。
 何を仕掛けられればあのようになるのか。
  に思い浮かぶ可能性の幾つかは、余り信憑性が高くはないものばかりだった。
 つまり、解らない。
 「答えなさい、釈迦如来!」
 「……知らん」
 「知らない? 冗談じゃないわ。あんたが何もしないで、悟空がおかしくなる筈はない。今までに一度だってあんな事にはならなかったし、暴れると知っていたら何としてでも外させないわ!」
  の激怒した態度に、その場に居た全員が驚いた。
 いつも冷静に感情を抑えた少女が。
 先程まで天界を牛耳る男達と堂々交渉していた少女が。
 「悟空に何をしたの!!」
 怒りを燃え盛らせた目で、釈迦如来を睨んでいた。
 「元々あった野性の妖力が目覚めただけだろう。儂と闘った時でさえ、あやつの兇暴さは普通の妖怪を超えていたではないか。何がきっかけかは知らんが、儂の所為でない事は確かだ。儂は何もしておらん」
 「……嘘吐き」
  はスッと左目を細めて断言した。
 この嘘吐きめ!
 悟空が兇暴に力を振るって、釈迦が得をする事とは何だ?
 戦闘機械?
 (まさか! 本来の目的は悟空だった!? ……いえ、私にも同じ仕掛けだか何だかが施されていれば、初めから私達をいいように操るつもりだったという事。殺戮マシンとして側に置く。それに……普賢菩薩は気付いていたの!?)
 問題はどうやったのかになる。
 あの時。
 恵岸がやって来て。
 釈迦如来が後からのこのこと一人で現れ、
 無様に負けたその後。
 妖力制御装置を付けられて、
 急激に頭が痛くなってから力が小さくなっていくのを感じ、
 突然、普賢菩薩が白象に乗って現れたのは覚えている。
 普賢と釈迦で何事か話している間、 と悟空、そして恵岸は黙って待っていた。あの時何を話していたかは、聞き取れなかった。
 西方組の関係構図がいまいち整理出来ない。
 恵岸は間違いなく普賢側、つまりは異教の地を侵す事に反対をしている―…であるし、金咤は文殊にずっと付いている。その文殊は、実は普賢と同意見だ。けれど、釈迦を糾弾する事もなく、積極的には協力する事もなく、互いの均衡を保っている。
 釈迦は?
 恵岸は釈迦も警戒していると云っていた。
 何故なら初めにキリスト教圏らと争うと計画し始めたのは彼だから。
 争いは愚かな事だと民衆に教え説いている彼が、どうしてそう思い立ったのかは には想像もつかない。
 解りようもないのに、それでも想像しようと考えてしまう自分の手綱を引きながら、一方で、恵岸の気が一所で止まり、那咤だけが近付いてくるのを感じ取った。
 どうやら、恵岸は那咤を止める事が敵わなかった様である。
 溜め息を吐きたい気持ちを抑えながら、那咤がこの場に入って来た時の事を考える。
 李塔天の反応を考える。
 今ここで釈迦に危害を加えるのは迂闊な行為だろう。
 どうやって収めようか?
 「俺も聞きてぇな。 が嘘を言っているとは思えない。釈迦如来、どうなんだ?」
 言い逃れは許さないとばかりに、観音は釈迦をきつく睨んだ。
 先程彼が悟空に付けた金鈷は、観音の神通力を固形化したものだった。同じ物は、普賢でも文殊でも、勿論天帝だって作れる。
 必要なのは神の莫大な神通力。
 一見した限りでは、以前悟空が付けていた物も、また今 が付けている物も、妙な仕掛けが施されているとは考えにくい。
 だが、悟空の暴走は明らかに異常であり、それが人為的なものではないと断言が出来ない。帰ったら、 の禁錮を調べてみる必要があると思った。
  と悟空とでは、同じ釈迦の神通力には違いがないのに、少しだけ輪の意匠が違っている。 の事だから、そんな事にはとっくに気付いているだろうが、どう違うのかを観音に訊いてきた事はなかった。自力で調べたかも知れない。
 観音は、一瞬だけ の後ろ姿に目を走らせる。
 悟空と
 天の封印を施された者。
 地の封印を施された者。
 一つの巨岩から天地が生まれた意味を探そうと眼を細めた。
 その側で、二郎神が感情を抑えて尋ねる。
 「釈迦如来様?」
 「僕もぜひ聞きたいですね」
 天蓬が独特の笑みを浮かべながら口を挟めば「俺もー」と、痛みに顔を歪めながら捲簾も同調した。
 天蓬達が揃って金蝉の方に顔を向けるが、金蝉は俯いて床へ視線を落としていた。

 「釈迦! 答えなさい!」

  の迫力はたかだか少女の出せるものではなく、釈迦は不覚にも、 の声と、目と、氣魄に飲まれそうになった。
 地の底の生命の息吹が、釈迦を深淵に引き摺り込もうとしているかのように。
 彼女は、今、他者が逆らい難い気品を放っている。
 睨め付けられる事に慣れていないから、戸惑ったのだと思いたかった。
 それを認めるもの随分情けない話ではあるが。
 釈迦は から目を離す事を許されなかった。
 彼女の視線が持ち得る力が、仏教の創始者である釈迦如来をも凌駕した瞬間。
 燃える金色の双瞳が釈迦の口を動かした。
 「陰陽の理を具現化したようなお前達に、聖も魔も本来は在りはしない。しかし。…しかし、聖も魔も合わせ持って生まれたならばどうだ? 混ざり合う事もせず、両極の存在を孕んだ生命。この世にあってはならない、いのち。生まれる筈のないいのち。永い永いこの地球の寿命からすれば、そのような異常事態が一度くらいはあるのかも知れぬ。だが、 、お前達は、一人では生まれてこなかった!」












*2006/09/26up