ドリーム小説

桜華別路之禍梯第弐拾捌話之弐「





 「どう思う? 普賢」
 「…どうもこうも、やっぱり厭な予感て謂うのは当たるもんだよね?」
 「さて、どーしたもんかねぇ」
 「見に行く? 決定的瞬間を、決定的証拠を掴む為に」
 「瞬間の方はともかく、証拠何てあっても大したもんにゃならんだろ」
 「そうかなあ? 結構大きいと思うよ。それにね、僕の予測通りなら、凄く意義のある事になるよ?」
 くすり、と独特の笑みを浮かべる普賢に、観音は疑問の目を向ける。
 「まだ内緒。ね?」
 「ね? じゃねえよ」
 観音は変な顔を作って見せ、すぐに引っ込める。文殊を見遣り、まずは無言で見つめた。視線に気付いた文殊は、観音の意図が解らず、段々睨み合いになっていった。
 一分経つか経たないかの時間を見計らって、普賢が漸く水を差す。
 「何やってんの、二人共?」
 のほほんとした弱ツッコミに対し、文殊は観音を指差し怒鳴る。
 「こいつが睨んでくるからだ!」
 「睨んでねえだろ?! 見てただけだ!」
 「意味のない事をするな!」
 「止めて下さーーーーい!!!」
 険悪になっていく観音と文殊の間に、二郎神が割って入り、勢いに乗って上司達に怒りをぶつける。
 「今はそんな事をしている場合じゃないでしょう!  行っちゃいましたよ! どーするんですかっ!!」
 「二郎神の仰る通りです。三人の後を追いましょう。 が危ない気がしてならないんです」
 天蓬が二郎神の後押しをする。捲簾は無言で腕の傷を撫でていた。金蝉は、一人離れた所で下を見たまま。
  の名前を聞いた悟空が、びくりと身体を震わす。
 悟空の中で、得体の知れない不安だけが渦巻いている。 も、自分も、那咤も、そして金蝉までもがその抗えない渦に飲み込まれて行く。
 笑顔が、見えなくなる。
 嫌だと思うのと同時に、心臓の辺りが軋んだ気がした。
 待っていられない。
 大人しく膝を付いたままでは駄目だ。
 行かなきゃ。
 諦めたくはない。
 立たなきゃ。
 あの の様に。
 止まってはいられない。
 まだ、心も頭も、失うことを認めていなかった。
 悟空は面を上げる。
 出来ることが残っているから。
 周りの大人が呼び止めようとした時には、もう、悟空は壁の穴から飛び降りていた。
 「ああ。……じゃ・ま、そういうことだから、失礼するぜ師匠」
 「ご機嫌よう」
 「天帝、こいつらの見張りは私めにお任せを。釈迦如来様、行って参ります」
 三人三様、好きな台詞を吐いて、歩き出す。
 悟空と を追っていった金蝉達に追い付く為に。四人は裏階段から出て行った。
 「ん?」
 勢いのある足音が響いている。正式な天帝の間の入り口の方からだ。観音は不審に思い、足早に部屋を出た。息を切らせて駆け上がってきた人物は。
 「……お前、真面目な奴だなー」
 悟空の暴走の後も、誰も来やしなかった天帝の間に、敖潤はたった一人でやって来た。
 そして開口一番。
 「観世音菩薩…。天帝はご無事ですか?」
 「―…ああ、なぁんともねえよ。あのオヤジは、な」
 観音は敖潤から視線を外し、自嘲気味な笑みを漏らした。





  は観音の城への道筋から外れる前に、邪魔な李塔天をどうにかしたかった。
 どうにか?
 殺すの?
  の自問自答が始まる。
 殺しては駄目だ。無闇に命を奪いたくはないから。
 漸く表の入り口まで辿り着くと、李塔天が歩みを止めた。近付いてくる人影の所為だ。 が前方を見ると、そこには恵岸に良く似た銀髪の男が居た。
 恵岸と那咤の母親も銀髪だった。 は、目の前の男は金咤だろうと検討付ける。
 「父上!」
 彼はそう叫んで走って来た。李塔天の舌打ちが辺りに響く。
 「那咤がどうかしたのですか? …血!? は、早く手当てを。この近くに普賢菩薩様がいらっしゃいます。あのお方なら…」
 「あの方なら、先程天帝の間に居たぞ」
 「え!?」
 道理で幾ら探しても見当たらない筈である。普賢が潜んでいた木の近くに白象が置いてあったので、何事かと心配をしていた。辺りを探しても、人気がないので名前を呼んでみても、一向に出て来ないので焦りが限界に来ていたところだった。
 「金咤、そこを退け。すぐに家へ戻り、那咤の手当てをせねばならん」
 「父上? 幾ら家の医者でも、父上でもこの傷を治すのは無理があるのでは。それに、家に戻るまでに血が足りなくなります」
 「余計な心配は要らん。この が居るから那咤は死なない」
 「 ?」
 「私が です」
 金咤からの訝しげな視線を受けながら、 は考えていた。
 計算は終わり。
 「この、…異端児の娘が?」
 「だからこそ、出来る事がありますから。でも、私がしたい事と、李塔天が求める事は、どれだけ考えても違いました」
 ぽつりぽつりと が呟く言葉に、李塔天が目を剥く。
 「どういうことだ?!」
  は李塔天の疑問は無視をし、金咤を見つめる。
 「私に力を貸して下さい。私一人では、那咤を早く連れてゆけない」
 「 、貴様!!」
 「恵岸さんから聞いています。貴男の宝貝、遁竜椿の事。無茶を承知でお願いします。私と那咤を、観音の城へ連れて行って下さい」
 日が落ち始めていた。
 少女の後ろに、血を含んだかのような夕陽が見えた。そんな夕陽を背に の陰が長く伸びている。
 金咤は少女の顔を凝視した。
 白く小さな顔と陰のコントラスト。その中で、金に煌めく眼が二つ浮かんでいる。正直、金咤は恐怖を感じた。
 異端と呼ばれるのに相応しい品格。気概。精気。自分の腰ほどの大きさでしかない少女に、異様なくらい様々な印象を感じ取る。
 この が成長したら、この世界はどうなるだろう?
 金咤は自分の突飛な発想に驚き、のどを鳴らして唾液を飲み込む。
 沈黙はそう長くなかったが、李塔天は我慢ならなくなり、金咤を叱りつけた。
 「金咤! こいつの戯言など聞かんでいい! 那咤の治療にはこいつが必要だから連れて行くだけだ。…そうか、お前の遁竜椿があったな。こいつが逃げないように拘束してくれ。金咤、お前も一緒に来い!」
 「いいえ、拘束されるのは貴男です。那咤を死なせない為には、貴男は邪魔です」
 「ッ! この痴れ者が! いきなりどうしたというんだ! お前の命を那咤に捧げる決意は何処へいった!」
 睨み合う両者の前で、金咤は迷う。命を捧げる、と謂う台詞に の顔を窺った。
 「金咤さん、決断を」
 「金咤、お前の弟の命が懸かっているのだぞ。早くこの女を拘束しろ! 殺さずに連れ帰るのだ」
 金咤は二人の身勝手な発言にむっとした。状況が読めず、訳が判らないもどかしさも手伝って李塔天に怒鳴り返す。
 「父上、私には訳が判りません! この異端児の命がどうとか、何故那咤が重傷を負っているのかとか。那咤を助けたいのなら、普賢様に頼るべきです!」
 「黙れ! そんな事は許さん!!」
  は冷たい目で李塔天を睨む。
 「もうそろそろそんな事も言ってられなくなるのでは? 本当は、私も普賢菩薩に頼るのが最善策だと思います。けれど、その後で那咤が殺されては意味がない」
 「那咤が殺される!?」
 益々意味が判らなくなった金咤が、 に一歩近付く。
 「……そんな事は私がさせん」
 李塔天は、那咤を抱いた腕に力を込めた。
  がゆっくりと右を向く。金咤と視線がぶつかる。
 金咤が無言で、びくりと身体を強張らせたのが判った。 は少し声色を変えて、優しく言う。
 「どうか、私を怖がらないで」
 身体の向きも変え、しっかりと金咤に意志を伝えようとする。金咤は恐怖を見抜かれた事に息を飲んだ。
 「貴男に危害を加えるつもりはありません。私は、那咤と生きて行きたいだけ。それが私の望み」
 彼女の目が、声が、言葉が、気が李金咤を拘束する。
 金の異端に捕らわれた金咤は、深い考えに陥る前に、一瞬で決断を下した。





 「貴男の決断に感謝します。ありがとう」
 「…………」
  と金咤は全速力で観音の城に向かっていた。この速度が保てればあと五分もしないうちに辿り着ける。既に門が見え始めていた。
 人の全速力の限界は超えているが、二人はただの人間ではない。金咤の息が僅かに上がっている。彼はそれを自覚すると、 に遅れぬように足に力を入れた。
 もうすっかり顔馴染みとなった門番が、 達を見て驚きの声を上げる。
 「お邪魔します」
  はそれだけ言うと、真っ直ぐに中庭を目指した。
 急に金咤の腕の中の那咤が、苦痛に身を捩る。呻き声と荒い息。先を行く が、気遣わし気に振り返る。
 「 、那咤はもう持ちそうにないぞ!?」
 「もう少しです。蓮池に辿り着けば、私が必ず…!」
 何の根拠があってそんな事が言えるのか。金咤には想像もつかない。が、自分には那咤を治す事など無理であるし、今は彼女に頼るより他はないのだ。
 果たしてそうだろうか。普賢の居る所へ、何が何でも連れて行くべきだったのではなかったのか?
 「お前に何が出来るかは知らないが、観世音菩薩は此処にはいらっしゃらないのか?」
 「普賢さんと一緒です。天帝の間に」
 金咤の迷いは晴れない。一度は信じたものの、嫌な予感が消えない。
 「 ―…」
 「着きました」
  と金咤、そして意識のない那咤が辿り着いたのは、観世音菩薩の蓮池。
 大規模の池に、大輪咲く蓮の花達。
 かつて、観音がこの池には七種類の蓮が咲いていると言っていた。
  はその中でも一番神気を蓄えている一輪の側に、那咤を抱えて連れて行く。
 那咤は、すっかり血の気を失っていた。細かく震えてすらいる。
  は金咤を見据えて言った。
 「金咤さん、お会いしてからというもの、こんな短い時間に勝手ばかりで申し訳ありません。でも、聞いて欲しいんです」
 金咤が無言で頷く。どうしてこの少女を信じる気になったのかを、今更のように見つける為に。目を見て、呼吸を静めて、耳を傾ける。
 「私はこれから禁忌を犯します」
 金咤の脳に響く言葉は、俄に信じられない言葉だったが、黙って聞く姿勢を続けた。
 「那咤の出生の秘密について、私と恵岸さんは一つの結論に達しました。それと同じ事をします。厳密には同一ではないですが…」
 子供一人が横たわれる程の大きさの蓮とその葉は、那咤の重みに負ける事なく形を保っている。
  は那咤を安置させると、彼の着物を上半身だけ脱がせた。これは、傷口を塞ぐ為に肌を遮るものがあっては邪魔だからだ。
 着物のその下から現れた身体に、 は軽く目を見開く。驚きは一瞬で飲み込んだ。
 一目で普通の人体ではないと判る構造美。
 絡繰人形のような彼を見ながら、 は自分の額に手を掛けた。

 「那咤の肉体と蓮の合成。那咤は蓮の精として、生まれ変わります」

 李金咤はごくりとのどを鳴らす。
  の凛とした声の響きと、神々しいまでの金の瞳に。
 彼は僅かに打ち震えた。
 目の前の、人ならざる者の姿に。












** さんの特殊さが、どんな文章なら伝わるのか試行錯誤四苦八苦七転八倒起き上がれない…。
*2007/11/12up