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桜華別路之禍梯第弐拾玖話之弐「





 移動手段は神獣だった。普賢の白象に金蝉、 、悟空が、文殊の青獅子に捲簾と天蓬が乗る。姿くらましの法術で透明化し、最速で下界へ降りる門へ行く作戦だ。
  は普賢と文殊の身を案じた。神獣の姿がばれたら困るのは、 達だけではなくなる。逃亡に加担したとして、李塔天や天帝の事だ、何を言ってくるか判らない。彼女は、白象に乗る為に背中まで持ち上げてくれた文殊を見る。相変わらずの、いつもの無表情で見たつもりだった。
 「…我々の心配なんかより、自分の身を案じろ。お前の罪は、李塔天を敵に回した事や、天帝の御前で暴れた事ではないぞ。これから奴等に捕まり、いいように使役される事だ。ましてや、那咤太子の身体の元に何ぞ、使われてやるんじゃあない。私に言ったあの生きる意志が本物ならば、お前はいつか自由に生きていけるだろうさ」
 思わぬ文殊の激励に、 は黙って頭を下げた。そして、今の台詞は、文殊も那咤の秘密を知っている事を意味していた。
 「諦めるなよ。智慧と勇気を忘れるな。それらは、必ずや 、お前の武器になる」
 そう言った文殊は、 の額に人差し指を当てた。真言を唱えると、額を通し、 の体中を文殊菩薩の力が巡る。自分を含めた神々の、欲深き業に巻き込んだ、せめてもの詫びのつもりだった。 は短く礼を言う。
 悟空が不思議そうに を見ていると、彼の前には普賢が立った。吃驚して普賢を見ると、普賢菩薩はにっこり微笑む。悟空はつられて少し微笑んだ。
 「君にもあげる」
 普賢の手元を見ていた悟空は、言葉を発する事が出来ず、じっとしているしかなかった。普賢が手を放すと、悟空は、今度はにっこりと感謝の笑みを漏らす。
 「……ありがとなッ」
 「どういたしまして。僕等が神として出来る事といったら、これくらいだし」
 観音と二郎神が打ち合わせを止め、皆に呼び掛ける。恵岸は金咤と合流し、城の裏に集まっている敵を足止めする為、急いで奥へと向かった。走り様ちらり、と を一瞥し、視線が交わる。それだけで良い。
 逃亡の準備は終わった。後は、城を出て行くのみ。
 二郎神は護衛役として付いて行く事になった。彼は自分の宝貝である孝天犬に跨がり、素早く姿を消した。次いで 達も傍目からは見えなくなる。
 「良し、行け!」
 観音の声を合図に、 達は下界への門を目指して出て行った。残った三菩薩は入り口へ続く道を見ている。沈黙を嫌った観音が、文殊を茶化し始めた。
 「まーさか、お前が にあ〜んなコトするとはな」
 「喧しい」
 「俺お前が菩薩らしくしてんの初めて見た」
 「き、貴様…」
 「ハイ、ストップ。置いてくよ?」
 仲裁に慣れている普賢は、二人を見ないで歩き出す。観音と文殊は小声で応酬しながら、普賢の後に続いた。こんな時にも仲の良さをアピールしなくても良いのに、と普賢は思う。だが、この二人のお陰で、昔から随分と気を楽にして行動出来ていた事実に独り微笑んだ。
 「さあ、僕等の責任を全うしないとね」



 賢い動物だ、と は思った。それもそのはず、何といっても、普賢菩薩と文殊菩薩の神獣だけあると感心する。二匹は観音の城へ群がる軍人を、器用に避けて進んだ。余りのスピードに、目を開けているのが辛くなるほどであった。
 殿を務める二郎神は、油断なく李塔天の気を捉え、彼の動向を探っている。仙道としても、神としても、大した力のある男ではなかったが、彼の異様なまでの権力執着にはこの天界で敵う者が居ないと評価していた。無事に門まで辿り着ける事を願う。
  と二郎神が李塔天を視界に入れた時、何事もなく彼の上を通り過ぎた。二郎神は安堵の溜め息を吐く。
 このまま、何事もなく、下界へ行ける様に…。
 一行は驚くほどあっさり下界に続く門へ辿り着いた。 は警戒を解かず、油断なく辺りを探る。誰も居ないようだ。それは、おかしい。門の両側にある、見張り台の様な所にも、その下にある小さな扉の中にも、気配が全くない。
 「二郎さん、普通、こういった要所には見張りが居ますよね? この状況はおかし過ぎる…」
  が小声で訊くと、隣に移動してきた二郎神が頷いた。天蓬が説明をする。
 「待ち伏せがあるとしたら、門のすぐ後ろですよ。あの門の向こうには、二十人ほど待機出来るスペースがありますから」
 未だ誰も神獣からは降りない。
 気配は消す事が出来る。だが、ここまで綺麗さっぱり気配がないと、待ち伏せをしていますよ、といわれているようなものだった。
 「私が先に行く。天蓬殿、捲簾殿、扉を押して欲しい」
 「判りました」
 天蓬と捲簾が位置につき、扉を開けた。少しづつ開いて行く扉の向こうに、二郎神は多少信じられない思いで天帝を見つける。二十人ばかりの直属の兵隊を率い、戦正装をして、天界を統べる男が立ちはだかって居た。
 二郎神は、頭の何処かで天帝は怖じ気づき、事が終わるまでは出て来ないと思っていたようだ。安直な考えであったと反省する。この数十年から数百年の天帝の仕事ぶりを見て、かつての威光はなくなったと感じていた。それがどうだ。今目の前に対峙している男は、天帝と呼ばれるに相応しい気構えをしている。
 天帝にはこちらが見えているらしく、二郎神と天帝の視線がかち合った。ふ、と天帝が口元を上げる。
 何か策があるな、と気付き、三尖刀を強く握り締めた。後ろに控えて居た孝天犬も何か感じ取ったらしく、二郎神の前に出てきて低い唸り声を発する。
 「二郎神」
 先に声を掛けたのは天帝だった。二郎神は隠身術を解く。
 「よもやお前までが私を裏切ろうとはな。正気の沙汰ではないぞ。考え直せ。そして、あの異端児達を引き渡すが良い」
 「お断りします。あの者たちは、下界に、生まれた場所へ帰りたがっているのです。元々勝手に危険視をして、私達天界人が連れてきただけの事。確かに、彼らは普通以上の力の持ち主です。ですが…」
 「御託はよい。もう、よい。残念だ」
 天帝は空を仰ぐ。
 「これより、顕聖二郎神君を反逆者として捕縛する!」
 双方とも、初めから話し合いで済むとは思っていなかった。二郎神は、天帝の落ち着きように不安を覚える。実力でいえば、攻撃力には自信があれど、総合力や経験で天帝に敵うまい。戦闘の算段をつけつつ、彼は天帝の右手が空へ伸びるのを見た。
 「孝天犬!」
 ぞっとする思いで犬型宝貝を放って止めようとも思ったが、咄嗟に飛び乗り猛スピードで逃げる方が良いと思い直す。
 「雷鳴り」
 天帝の声が聞こえた時には、二郎神の視界は閃光で埋め尽くされた。防御法術は間に合ったが、天帝の十八番を防ぎ切れるものではなかった。圧倒的な光量と一緒に、轟く雷鳴。
 二郎神と孝天犬は、空中から煙を出しつつ落ちる。実に呆気なく。
  達は動く事すらままならなかった。二郎神が、たったの一撃で倒されるとは!
 驚いて出て行こうとする悟空を、金蝉が必死で止める。天蓬は我に返ると、神獣に菩薩の元へ帰るよう指示し始めた。捲簾と は互いに目配せをし、二郎神の元へ駆け寄る事にする。まだ術の効果は切れていないが、足音は消せないのでどのみち意味が半減してしまう。
  が二郎神に縄を掛けている軍人を体当たりで倒し、捲簾が二郎神を助け起こした。 は体勢を整える際、天帝と目が合った。間違いなく、 を見ていた。見えている、と判断する。音で判りそうなものか、とも思うが、相手は天帝である。油断ならない。
 「見られているのが、そんなに不思議か?」
 「いいえ」
 天帝の問い掛けに、即答した。 は一秒でも早く天帝達をやり過ごしてしまいたかった。先程の雷を見て、きっと李塔天がやって来るだろう。
 「注意深く見ないと判り難いですが、貴男の目の回りの気の色が違っています。後ろの方々もそうなのですね…。姿を消しても、見破る方法はあるものです」
 「賢いな。益々、逃すのは惜しい。今の待遇が気に入らぬのなら、対等に手を組まぬかと釈迦が云っていたぞ。対等だのとは、予は反対だが、お主の能力は誠にのどから手が出るほど欲していたものだ。どうだ? 予も、出来得る限りの援助をしよう」
 「お断りします。そこを退いて下さい」
 「……何を生意気な! そんな口を叩いても、後で後悔するだけだぞ! さあ、こちらへ来い」
 にべもなく断る に、天帝は表情を険しくする。 は、こんな問答は無意味だと思ったが、良い手立てが何もなかった。力を解放し、空間爆砕で怯ませ隙を作る。その間に逃げる事は出来るだろうか。迷ってはいられない。
  の手が禁錮に伸びた時、背筋が握りつぶされんばかりの悪寒を覚えた。明らかに早い。李塔天が、来たのだ。
 「悟空、みんな! 気を付けて! 李塔天が来るわ!!」
  が言うまでもなく、悟空は気付いていた。彼も と同じような悪寒を味わっていたからだ。悟空なりに、必死にその原因である李塔天の位置を探す。
 「早くねえか、幾ら何でも!」
 二郎神を目覚めさせた捲簾が声を上げる。
 「どうやら、あの人も神獣を持っていたようです」
 「それはないだろ。まだ神獣を持てるような身分じゃねえよ」
 天帝から目を離せなかった は、天帝がほくそ笑んだのを見て思い当たる。恐らく、天帝の乗り物を貸し与えたのだろう。非常に不味い事態となった。挟み打ちである。
 仕方がないと、腹を括る。本日二度目である事と、次もコントロールが効くか判らない点、また疲れて眠ってしまわないか、と心配事が多々あったけれど。
  は天帝を睨み付け、額に手を掛ける。天帝がぎくり、としたのが判った。
 「退いて戴けないのなら、力ずくで行きますよ」
 天帝の静止の声と、 の手に力が籠ったのは同時だった。捲簾が慌てて を押え込んだのと、天蓬の悲痛な叫び声が上がったのも、また同時である。
 何事かと思い、 と捲簾、天帝も門の外へ注目した。 はすぐさま駆け出す。血飛沫が見えたからだ。

 どくどくどくどくどく

 あの血は誰のかと考える自分が嫌だった。考えている暇があったら、一歩でも早く進めば良いのに。
 悟空の雄叫びが聞こえた。金蝉の名を呼んでいる。そう、先刻、天蓬も叫んでいたではないか。
 何を、今更。認めなさい。
 あれは、あの血は、
 金蝉のものだと。












**細かい事が気になります。二郎神の方が位は上だと思いますが(そりゃそうだ)、天ちゃんとケン兄に「殿」って付けて呼ぶのかしら?
*2006/12/08up