ドリーム小説 最遊記 外伝 夢

桜華別路之禍梯第参拾話「





 何か戦う手立てはないかと、何か防ぐ手立てはないかと思案してみても、良い作戦は何も思い浮かばない。 の後ろ姿を思い出す。自分には、何が出来るだろうか。今度は、何が出来るだろうか。悟空の呼吸が無意識に止まる。
 ねえ、 。どうしよう、俺、動けない―…。
 眼前に突如として現れたのは黒い霧のようなものだった。狙いは、明らかに悟空。
 それに気付いた金蝉は、那咤を悟空に向かって投げ飛ばす。受け止め損ねた悟空は、那咤と一緒に地面に倒れ込んだ。
 非難の声を上げて金蝉を見上げた時には。
 天蓬の位置からはこちらへやって来る李塔天の姿が見えた。攻撃する際の動作も。悟空を庇うようにして飛び出した金蝉が視界の隅に入る。
 制止と避難を促す意味で、金蝉の名前を呼んだ。振り向いて、駆け出そうとした時には。
 黒い霧は槍状になり、金蝉の胸を貫いた。
 大量に吹き出した血は、悟空と那咤にも振り掛かる。
 血を霧吹きから出したような。
 悟空は頬に、眼蓋に、違和感を覚える。何かが張り付いたようだ。拭う気力もなかった。ただ、叫ぶだけ。
 今や、太陽の光は、血の雲に隠されてしまった。
 金蝉は膝を付いたが、蹲るのは両手を突いて凌ぐ。
 悟空は駆け寄りたいのに、ただ、きらきら光っていたひとの、名前を呼び続けるだけ。
 「金蝉ーッッッ!!!」
 涙が出た。やっと、動ける気がして、悟空は金蝉へ手を伸ばす。ずっと呼んでいるのに、金蝉は荒い息でしか答えられないようだ。
 胸を貫かれたままで、金蝉は前方を睨み続けた。悟空を護りたい、という思いだけで動いている。第二波に備え立ち上がろうとしたが、突っ込んでくる李塔天に、それも壗ならなくなった。
 李塔天は神獣から飛び降りざま攻撃を仕掛ける。悟空狙いで剣を突き立てたつもりだったが、失敗した。思わず派手な舌打ちをする。金蝉を貫いた剣を感慨なく引き抜いた。後ろに居た悟空は、李塔天の無表情な顔を見る。感情の映らない、よく零した墨汁の色より真っ黒な瞳が、悟空を狙いに定めた。
 しかし、李塔天が振り上げた剣は、悟空に届かなかった。天蓬が渾身の体当たりを仕掛けたからだ。
 「李塔天! 貴男という人は、何て事を!」
 天蓬の憤怒の表情と罵声にも怯む事なく、李塔天は裂帛の気合いとともに一撃を放つ。
 必死に走って来た は、目の前の光景に思わず立ち止まってしまった。
 また、血の海だ。
 本日二度目。夥しい出血をした那咤を見て、次は金蝉の胸から…。取り戻しようのない鮮血が辺り一面を染めていた。
 次いで、真っ赤な顔をして泣いている悟空が目に入る。頬が上気している訳ではなかった。顔の殆どの面積が、金蝉の血で覆われているのだ。涙と血が混じって、悟空の顎から滴り落ちていた。悟空の腕の中に居る那咤にも、かなりの血飛沫が及んでいる。
  は放心状態の悟空に駆け寄り、間近で膨張していく気の量を感じ取った。また爆発するのも時間の問題だ。
 「悟空、お願い落ち着いて! 暴れては駄目よ。金蝉を助けるのが先。私が何とかするから、貴男は那咤を連れて下がっていて」
 何とかするとは言ってみたものの、当てはないに等しい。力を解放したとしても、金蝉の瀕死の状態は助かる見込みないと思う。那咤の時の様に、蓮の精気を借りる事も出来ない。
 が、一か八か、自分の生命力を使って治療に当たろうと迷いなく禁錮を取り去った。
 たちまち辺り一帯が清浄な力に包まれる。びくっと悟空が反応を見せた。まだまだ溢れ出る涙でぼやける視界に、 の黒い髪が広がるのを認識する。もっと涙が止まらなくなった。暖かい気に引き寄せられ、悟空は の背にしがみつく。
 急に怖くなったから、ともすれば冷たく凍ってしまいそうな心を、身体ごと預けた。必死で縋り付く の背中は、今の悟空には何よりの拠り所。今 を奪われたら、自分は生きては行けないのではないかと思えて、必死にしがみついた。
 幾ら傷口を塞いだところで、どうしても血が足らない事に、 は苛立ちを覚えていた。彼女は刃物を持っていないので、自分の血を分け与える事も壗ならない。
 此処で手首を捻り潰そうか、と思い付く。小指の一本でも良い、と思い直し、気の治療を止めた。左の小指を引き抜こうと、右手で思いきり掴む。しかし、 の決断は悟空によって邪魔された。悟空が無言で の両腕を掴み上げる。そして素早く の両手に自分の両手を重ねた。
 こういう時には、互いに考えている事が何となくでも判ってしまう、不思議な意志疎通を疎ましく感じた。 は素早く息を吐き出すと同時に、悟空が正しいと思った。どこかで痛みに耐えて治療が出来ると、根拠もなく考えていた自分に気付けた だった。
 ふと、前触れもなく思い付く。血があれば良いのだ。
 「そう、血があれば良いのだわ…」
 独り言のように囁かれた台詞は、背後の悟空には十分に聞き取れた。悟空も理解した。
 血があれば良い。
 誰のものであっても。
 素手で李塔天と対峙するのには限界があった。血塗れの切っ先が、天蓬ののどを目掛けて飛んでくる。真剣を向けられては、そうそう集中力は長く続ない。天蓬は段々呼吸が苦しくなり、ついには頭痛が始まった。体力も、限界。
 たたらを踏んだ天蓬に、李塔天の容赦ない一撃が飛ぶ。しかし、それは悟空によって阻まれた。体当たりで、天蓬ごと李塔天の攻撃範囲から一時離脱させる。李塔天は不愉快そうに顔を歪め、悟空に狙いを定めた。
 悟空には、彼の目が怖かった。余り長く見ていたくなかったが、目の動きを読む事は動向を読むに等しいと判っていたので、ともすれば目を逸らしたくなる衝動を抑える。
 気合いを込めて悟空が蹴りを放った。李塔天が見切って躱した隙に、 が彼の避ける動きに追従した。彼女は李塔天の腹に掌底を叩き込む。
 天蓬は体勢の整わぬまま、音声だけで状況を判断していた。荒い呼吸の所為で、早鐘のよな心臓の音がやけにリアルに聞こえる。とても煩いと感じた。両耳の側で心臓がそれぞれに鳴っているのかと思うほどだったが、意外と他の音もクリアに拾う事が出来る。
 悟空の気合いの一声、 が地を蹴った軽い音、李塔天の小さな疑問の声、何かが壊れたような、折れたような鈍い音、最後に李塔天の呻き声。天蓬は漸く回りを見渡しながら立ち上がった。
  が踵で李塔天の手首を踏み抜いたところであった。李塔天の悲鳴なぞ心底どうでも良かった彼女は、感慨なく剣を取り上げて彼の胸を貫いた。
 顔面蒼白な天蓬は、李塔天の断末魔の叫びを聴いて余計血の気が失せる思いになる。だが、同情はしなかった。
 息が整うのを待つ事にした時、捲簾の声が聞こえた。半身を捻って振り向くと、 を狙いに銃を構えている軍人が目に入る。
 天蓬は愛用の銃を懐から引き抜き、素早くトリガを引いた。爆音が轟いた後は、血を吹き出して倒れる軍人と、安堵の顔を見せる捲簾が天蓬の視界に入る。更に、捲簾の後ろからやって来る軍人達も目に留まった。
 「何だ、お前。用意が良いなあ」
 「あれ? 貴男も持ているでしょう?」
 「判る? もーちょい、俺たち手ぶらです感を出しときたかったんだけど」
 「軍人としての嗜みですよ、これは」
 天蓬はにっこりと笑い、銃を胸元に引き寄せた。捲簾は笑って同意をする。
 「俺等二人で残りの十九人近くを白兵戦って、ちょっとキツイかも」
 「同感ですが、そうも言っていられませんね。もう、退く道がない」
 捲簾は、金蝉の事を言っているのだと察した。彼の中にも怒りがあるが、怒りで暴走しやすい天蓬と、まだ封印は解けていないようだが悟空の事がある。自分が容易く切れては綱を引く者が居なくなると思った。 に任せるような真似をするよりは、なるべく冷静で居ようと考える。
 「私に銃を向けるか、愚か者共」
 二重に取り囲まれた安全地帯から、天帝は言った。天帝の足元に、拘束された二郎神と孝天犬が居る。
 「生憎と、僕等は愚か者なんですよ。だからちゃんと、誰に銃を向けるべきかを知っているんです」
 天蓬は皮肉気に嗤った。



  は銃声を聞きながら途方に暮れていところだった。誰のでも良い筈の血だったが、血液型というものが人にはあると漸く思い至る。自分はどうとでもなるかも知れないが、金蝉に李塔天の血を使っても大丈夫かどうか皆目見当が付かない。
 (これだから私って奴は!)
 罵っても罵っても埒が明かない。
 考えろ、考えるんだ! さもないと使える筈の血ですら、使い物にならなくなるではないか! しっかりしろ、
 無意識の中、 はまた首のドッグタグに触れていた。不必要なくらいに、心臓の音が聞こえる。自分の巡る血と精気に目覚めそうになる狂気。抑制、抑制、深呼吸…。
 悟空が停止してしまった の代わりを果たそうと、李塔天に歩み寄った。彼女は考え込んでいるようだったが、目線はしっかり李塔天の手に注がれている。李塔天は息も絶え絶えに、 に危害を加えようと手を伸ばしているところであった。
 「悟空、余り血を出させちゃ駄目」
 「判った」
 ひゅーひゅーと細い息遣いをしている李塔天は、悟空に気付いて殺意剥き出しの視線を向ける。悟空はもっと冷たく昏い眼差しで対抗した。金の双眸が、彼の凄惨な感情をありありと表現している。両者は互いに、怯まなかった。
 李塔天が先に勢いをつけて を引っ掴もうとしたが、悟空はそれより素早く動く。下腹部を蹴り付けて から遠ざけた。李塔天が後ろに倒れた衝撃で、剣の柄が彼の胸から離れる。
 悟空は剣を李塔天の中に戻してやった。再び柄の根元まで埋め込まれる。李塔天の最期の罵声を聞きながら、この肉を割く感覚を、 も感じたのだなと、妙に醒めた思いだった。
 はあ、と一息つく。同時に膝が震えて地面に倒れそうになった。辛うじて膝だけで済み、震える両手を握り締めて悟空は吠えた。
  は李塔天の目線の動きを追っていた。彼が最期に見たのは、恐らく、那咤だ。悟空の雄叫びを聞きながら、漸く は李塔天の死をほんの少しだけ悼んだ。
 銃撃戦が始まったようで、轟音が響き始める。悟空は後ろの捲簾たちに目を向け、一瞬で と金蝉に視線を移した。
  が治療を再開したのだ。気になったので、彼女の近くに行きたかった。しかし、上手く立てない。足腰の力より、震える両手が原因のようだ。悟空の手には、生々しく李塔天の肉を割いて剣を突き立てた感覚が残っている。
 悟空は自分の感覚が狂った、と思った。
 あんな道具に頼らず、自分の爪で、手で、柔らかな肉の感触を楽しみたい自分に気付いたからだ。
 (ヤダよ、こんなの。 助けて。助けて、金蝉…!)
 じわり、と滲む悟空の視界には、金蝉と李塔天の血で汚れた己の手が細かく震えている。息があがる。呼吸困難。ああ、血が欲しい。
 もっと、と血と肉を求めた。
 丁度良く獲物が無防備に背を向けている。又とないチャンスだった。
 愛おしい の、血と、肉。
 自分と分け合った血肉。でも自分と違って、柔らかそうだ。
 悟空は口の端を喜悦に歪める。
 食べたら、元通りになる?
 一滴たりとも、一片たりとも、零さず残さず俺の中へ。
 戻れよ、
 突如、悟空の中に根付いていた、兇暴な人格が起ち上がる。感情の爆発、興奮の坩堝。 の背中越しに見えた金蝉の身体にも興味を覚える。死んで欲しくない筈の金蝉。しかし、真っ赤な血が美味しそうであった。
  と金蝉が居る。最高の狩り場だ。
 そう感じた瞬間、膨れ上がった狂喜は、一気に脳天を突いた。
 悟空の額から、再び金鈷が壊れて弾け飛ぶ。妖かしは盛大に猛った。












**以下、この話の為に文書ファイルを新規作成し、超絶大まかな書くべき内容を書いた時の文章。予定は未定とはよく云うわ。


「ああ、捲簾が。

だったのですが! 何と! やっと金蝉がヤられたか?!! という一文が書けましたよ。おそ。おっそ!! 半年近くも掛けてやっとそれかよ! のっそりもさ〜りしすぎ!!

金蝉の様子と、もう、今度こそ、

ああ、天蓬が。

ですよ!?                     ’04/10/02てか3日。」


 …って、オイオイ。そう、29話は半年掛けて書いたのでした。アイター。&この回でケン兄がいなくなる筈だったのですが、書けなかったのでせめて天ちゃんの死までは書こーね、という予定、
だった。
*2006/12/23up