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桜華別路之禍梯第参拾話之弐「




  には、その金属音がとても不快に思えた。次から次へと、厄介事ばかりが押し寄せる。彼女は、自分の力のなさを痛感せざるを得ない。最悪な事態の繰り返しも当然の事ながら、悟空の黒い気に触発されていく自分が忌々しかった。
 悟空を戦闘不能にしない事には、治療に集中が出来ない。 は振り向き様、突っ込んで来た悟空に掌底を放つ。この一撃には、彼女の気が込められていた。威力は通常の掌底の数倍。天帝の間では、あんなに手こずった悟空に、 は一撃で多大なダメージを与えた。
 「ぐぁあっ」
 制御装置が外れて力が解放されていなければ、これだけで終わっていたかも知れない。吹き飛ばされた悟空は、地面に倒れたまま起き上がれなかった。
  は、悟空に見向きもせずに、李塔天の死体を軽々と抱き上げた。彼の胸から丁寧に剣を抜き取り、足元に置く。念のために自分の足で剣を踏んでおいた。
 彼女が思い付いた輸血方法といえば、傷口から傷口へ血を移し替える事だった。一か八かの賭け。自分に出来る、と思ったのは、そのくらい。
 全神経を集中させて、金蝉と李塔天を の気で包む。双方の血の巡りを理解し、 の気を媒介に移動させる。赤い血の存在イメージが脳裏に弾けた。自分の気の白いイメージから、赤を包んで、綯い交ぜ、金蝉へ。金蝉の中で血に戻り、再び流れ巡る想像…。
 上手く行っているのか、 には判らなかった。他に方法が思い付かなかったから、大丈夫だと思えるまで、金蝉の顔色が良くなるまでは続けるつもりだった。
 しかし、 の必死の行動は、暴走した悟空により水泡に帰した。
 いつの間にか復活した悟空は、 に向かって、今まさに抉り取った岩盤を投げつけようとしている。
 「 、後ろを見て!」
 天蓬の注意により、 は視線だけを後ろに向ける。そこには、二メートルはあろうかという大きさの岩盤を構えた悟空が居た。
 下界へ続く門や見張り所は、堅い岩で覆われた荒れ地を拓いて作ったものだ。悟空は怒り狂い、まずは の動きを止めようとした。だが、まともに近付いては不利と見たのか、遠隔攻撃にしたようだった。
  は仕方なく金蝉と那咤を抱え、前方に跳躍する。彼女が居た場所で、大きな音を立てて岩が砕け飛んだ。
  が着地をすると、金蝉の血の匂いが鼻孔を掠める。自分の中の兇暴な獣が喜ぶのが判った。ゆっくり息を吐く暇もなく、力任せに突っ込んできた悟空を捌く。
 二人を抱えたままでは戦いづらいことこの上ないし、悟空を何時までも適当にあしらう事は出来ないだろう。何より、 の敵は彼女自身といって良い。
 気を使い過ぎた所為もあるが、 は今にでも貧血を起こしそうな自分の状態に気付く。
 ライフルの弾が悟空を狙って放たれても、彼は気にも止めずに を狙っている。 は、軍人たちが一斉に門を囲んで円形を作っている様を見遣った。取り敢えず、天蓬も捲簾も酷い怪我は負っていないようだ。一時休戦状態の軍人たちは、明らかに動揺の表情を浮かべ、顔に恐怖を貼り付けている者も居た。
 気持ちは判る。 とて、初めて対面した時には、戦慄し、恐怖を覚えたのだから。
 けれど、今ははっきりと感じる。
 自分は決して、この兇暴化した悟空に負けていない、と。
  がなまじりを決して悟空と対峙した時、金蝉が小さく呻いた。声に気を取られた隙に、悟空が飛び掛かってくる。彼女は無言で飛び退く。
 大きな岩群れに着地し、岩陰に金蝉と那咤を横たえた。腕と背中に微かに残った、二人分の体温。少し、惜しい、と思った。
  はすぐさま岩陰から飛び出し、鉛の横殴り雨を掻い潜って来る悟空に、気弾を放つ。
 一つ目は片手で弾かれたので、今度は大きめの気弾を三つ連続で攻撃した。これには流石の悟空も堪らず、一つ、二つと避ける。三つ目は避け切れず、顔面を庇いガードに徹した。
  はそれらを見ながら計算を走らせる。金蝉の生命はそう長く持たないだろう。悟空と争っている場合ではないというのに…。
 「天帝!」
 五メートルほど後ろに居た天帝に呼び掛ける。彼はすぐに応えた。
 「私が押さえている隙に、悟空に制御装置を付けて下さい!」
 この場でそれが出来るのは、天帝只一人だ。 は、固形化済みの自分の制御装置ならば、再び付け直す事が出来ると思える。事実、観音の城でやってのけていた。
 だが、悟空の制御装置はすっかり壊れてしまっている。
  の言葉に天帝は動揺を見せたが、意を決して前へ進み出た。部下の間にも動揺が走る。天蓬と捲簾も驚いた。天帝は、隊長から縛妖索を貰っておく。
 天帝にとって、神力の固形化など大した難易度を持たないが、目の前で暴れる兇獣は多少恐ろしかった。もう、随分と長きに渡り、戦闘など訓練もしていない。それでも、この事態の収拾は、 の言うように制御装置を取り付けるか、悟空を殺してしまうかになる。
 殺す方が、簡単で安全だと思った。
 だから、牽制を続ける と肩を並べる。
 すると彼女は存外柔らかい声で脅してきた。
 「妙な考えは捨てて下さいね。私は、貴男を殺す事になっても構いません。悟空を殺した次の瞬間には、貴男が絶命すると思って下さい」
 天帝の邪な保身の選択は、彼の身諸共、 の金の瞳に射貫かれた。
 ぞくり、と、天帝の背筋に悪寒が走る。彼女の言葉通りにすぐに殺されるような事はないだろうが、それでもこの近距離はとても不利だった。
 仕方なく、同意した。
 「どうするつもりだ。縛妖索を使おうか?」
 「まだありますか?」
 「ああ、あと二つ残っている」
 「…一番確実ですね。私に貸していただけますか?」
 天帝は無言で一つ差し出す。手渡した瞬間だけ、二人の視線が交わった。
 互いに感じたのは、最後の一つは、きっとどちらかが地にひれ伏す時の物だという事。
  は悟空への威嚇攻撃の手を弛めずに、彼へと近付く。
 少しは疲労の色が見れるかと思いきや、悟空はまだまだ闘志に溢れていた。 とて、威嚇攻撃くらいで疲労はしないが、自身の中の獣を押さえるのは容易でない。少しでも早く決着を付けたかった。
  が少し姿勢を低くし、体当たりの体勢に入る。すかさず悟空は の頭目掛けて蹴りを繰り出すが、 が僅かに早かった。体当たりかと思われた攻撃は、腹部に直接叩き込まれた掌低だった。身体をぴたりと悟空に合わせ、 は自分の気共々悟空の身体へ衝撃を送り込む。
 低い衝撃音と共に、骨が折れる音が聞こえた。 は遣り過ぎたと舌打ちする。倒れ込んで来る悟空の身体を支え、 はそっと縛妖索を開放した。
 あっという間に悟空は縛られたまま、 に抱えられる。 はまだ気は抜けないと思い、天帝に向き直った。残りの縛妖索で捕まってやる気は毛頭なく、害を為すなら攻撃も厭わない意志を視線に込めた。
 本来ならこんな事をしている時間すら惜しい。
 捲簾も天蓬も動けずにいた。兵士達に、一斉に銃口を向けられ、身動きが取れない状態。天蓬は捨て身覚悟で の為に動こうと思った。天帝に一発でも撃ち込めば、必ず隙が出来る。照準を合わせ、トリガに指を掛けた時、 の悲鳴じみた声が上がった。
 「金蝉っ!!!」
 元から白い肌を一層青白くさせて、彼は頼りなく動いていた。丁度岩から降りるところだ。
 「何しているの! 動かないで!」
 傷口は完全に塞いだが、無理をして動けばすぐにでも開くだろう。彼は荒い息の中、呼び掛ける。
 「 、無事か…?」
 「私は大丈夫! 大変なのは貴男の方なのよ!」
 「ご、悟空は…」
 やや霞む視界に、縛妖策で縛られている悟空が映る。意識を失っているようだった。
 「悟空!」
 駆け寄ろうとする金蝉に、 は必死で止まるように言う。だが、金蝉は聞かない。 は迷った。天帝への警戒は怠らないが、このまま二人を気にしていたら間違いなく隙が生まれる。
 彼女は自分の足をどう動かしたら早くなるのか、すぐに思い出した。軽やかに前へ出した右足は、次の瞬間に爆発的な加速力を生むステップ音を辺りに響かせる。
 常人離れした のスピードに、誰もが呆気に取られた。
 あっという間に は金蝉に寄り添う。金蝉は驚きながらも、 に嘆願した。
 「悟空の所へ…」
 「……判った」
 もう永くはないから、と金蝉の目が言っているような気がしたからだ。
  は金蝉に肩を貸しながら、ゆっくりと悟空が横たわる所へ向かう。このまま悟空を目覚めさせても、まともに話が出来る状態ではないだろう。天帝に慈悲を請うのは癪だったが、三人で話したかった。
 ほんの少しだけでも。
 天帝は無理矢理捕まえるのは得策でないと判断し、悟空たちの元へ歩みを進めた。悟空まであと一メートルの距離で、彼は止まる。 と金蝉より早く着いた。
 「悟空に妖力制御装置を付けてやる。話が済んだら、大人しく、捕縛されよ」
 天帝は落ち着いて告げた。 が頷いたのを見て、作業を始める。
 気を失っている悟空の額に片手を当て、天帝は念を込め出した。印も切らず、言葉も発せず、瞬く間に神力が固形化されて金鈷になる。
 その早業に、 は軽く驚いた。更に驚くべき事に、天帝は悟空に気を送り、起こそうとしている。悟空の半身を起こし、後頭部と背中に手を当てて気合いの声を上げた。
 「哈ッ」
 天帝の気を受けた悟空の身体が、大きく跳ねる。
  と金蝉が辿り着いた時には、悟空は目を覚まし、ぼうっとした顔つきで瞬きを繰り返していた。
 夕暮れ時の陽の光を反射し、まだ上手く開けない悟空の眼に、きらきらと光る金蝉が飛び込んで来る。
 それは、髪の色だけではなくて。
 いつか視た、大きな太陽と同じひと。
 生まれた自分達に、あの、惜しみない光をくれた太陽の。
 何故かいつも暖かく感じた居場所の中心。
 この太陽が、自分達の真ん中だと。
 何度も、何度も、大切に、大切に、想った。
 「金蝉……」
 「悟空、大丈夫か?」
 「う、うん。俺は大丈夫! それより金蝉のが大丈夫じゃないだろ?!」
 起ち上がろうとして、体中が痛みを感じる事に気付いた。おまけに、縄のような物でグルグル巻だ。
 「〜〜〜何だよ、コレ!?」
 悟空が一人で騒いでいる間に、 は金蝉をゆっくり下ろす。金蝉、 、悟空の目線が近くなった。
 「悟空、 。良く聞け」
 金蝉が抑えた声で話し始めた。悟空はピタリと口を閉じ、耳を傾ける。 も同様に、金蝉を見つめながら聞く姿勢を取っていた。
 「俺はもう持たない」
 動揺を見せる悟空に、金蝉は少しだけ微笑んだ。
 「お前たち二人だけで、下界へ帰れ。天界の事なんか忘れて、自由に生きるんだ」
 「や…ヤダよ! 何でそんな事言うんだよ!? 俺、金蝉も一緒じゃなきゃ絶対やだ!」
 (似合わない笑顔で、何てこと言うんだよ……。だって、笑顔ならもっと別の事で見たいのに)
 悟空は必死で縋り付こうとしたが、両手は自由にならない。
 「もう、みんな一緒は無理だ。聞き分けろ。お前たち二人だけで、帰るんだ」
 「ヤだったら!  も嫌だろ!?」
 話を振られた は、しかし、悟空の期待に反して首を振った。
 どれだけ嫌であっても、変えられない現実がある。
 二人だけでも逃げ切るのは無理かも知れない。
 何故なら、 は李塔天を刺殺したのだから。止めを刺したのは悟空だ。天界と天帝の威信を懸けて、全力で討伐しようとするだろう。
 もう、金蝉の言う通り、全員で逃げるのは困難極まりなかった。天帝を盗み見る。天帝は、興味なさそうに聞いていた。 は滑稽だと思った。自分の生命を諦めるつもりはなかったから、何か良い交換条件はないかと、思案に暮れる。悟空の呼び掛けに応えつつも、 は考え続けた。悟空と話している自分と、考え続けている自分を切り離す。
 「私だって、みんなと一緒が良いわ。その為に、ここまで来たんですもの。でも、でも悟空…」
 「何で?! 何とかしようよ、 !! 俺たちなら―…」
 「悟空!!」
 金蝉の一喝が飛ぶ。これには二人も、そして黙々と聞いていた天帝も驚いた。
 傷に響いたのだろう、金蝉が腹部の傷を押さえて蹲る。すぐに大量の汗が吹き出て、視界が黒ずんだ。 が金蝉の身体に優しく抱きつき、金蝉がそれに応えて彼女の髪を梳く。
 突然、金蝉が息を吸い込み、大きく咳き込んだ。何度も咳を繰り返すうち、ついに吐血する。
 『金蝉ッ!』
 双子が金蝉に縋り付こうとしても、彼の腕に阻まれて近付けない。 は事の異常さにやっと気付く。
 金蝉の傷口の周りがまるで腐食しているかのように見えた。 は唾液を飲み込む。先程治療していた時には、全くなかったものだ。
 「何、これ」
  が震える手で金蝉の傷口を撫でた。
 「どうして急に…」
 知らぬ間に弱気になったのだろう、 の声に震えが混じる。
 「金蝉、この黒いの、何?」
 悟空も泣きそうな声で尋ねた。金蝉に答はなかったが、この黒ずんだ傷口では助かる術はないと彼に沢山のものを諦めさせる。
 三人に沈黙が訪れると、天帝が金蝉の前に立つ。天帝は目を細め、告げた。
 「それは、李塔天の呪い…怨念だ」
  は息を止める。天帝は驚く者たちなど構いもせず、説明を続けた。
 「玲瓏塔。 、お前はあれの仕組みの全てを知らなかったようだな。対象物を閉じ込めたり、炎で焼いたり、死霊を操るだけではないのだ。あの黒い霧は死霊の塊。攻撃を受けた者は、須く死に至る…。そういう恐ろしい武器になるよう、李塔天が仕組んだ。奴は呪術にも長けていた。攻撃に、殺傷目的だけでは飽き足らず、通常の治癒などでは治らぬように呪いを仕掛けていたのだな」
 (何て男!)
  は心の底から李塔天を恨んだ。最早、金蝉も悟空も言葉がない。
 「天帝、お願いします。私をどんな用途に使っても構いません。金蝉を助けて下さい! 貴男なら、呪いを解けませんか?」
 天帝は必死の をじっと見つめた。いつまた逆らうとも知れない幼女を側に置く気にはなれないが、恩で縛りつければどうだろうか。
 封印が解けてなお、清冽な気を発し続ける少女に興味を覚える。釈迦に何をされたのかすら定かでないのに、多少のリスクを負ってでも、自分の元に縛りつけておけば。
 天地が覆るような驚きと興奮に、出会えるような期待。
 何故、このような生き物が生まれたのか。人と変わらぬ姿で。何処が違うのだろう。何が違えば、出来上がる? 謎を解き明かしたい、という好奇心が疼く。
 天帝の手が に伸びた。彼女は気丈にもその手を受け入れる。
 「止めろ ! 俺の事はもう構うな! お前と悟空で―…」
 「見苦しいぞ、金蝉童子。お前達にの言葉に、力はない。自分の無力さを思い知れ」
 天帝の静かな一喝に、金蝉は黙り込んだ。 が待てないとばかりに、早口で訊く。
 「解呪出来ますか?」
 「見る限り、儂では無理だ。だが、呪術に詳しい者を知っている。そいつに会うまでに、金蝉童子の体力が持つかは知らない。…賭けるか?」
 「はい」
  の返事を聞き、金蝉はこの場で自害をしようかと考えた。彼女のこれからの行く末を思うと、解放してやりたくなる。天帝なんかに、穢されたくない。
 遠くに居る天蓬と捲簾に視線を向ける。 が逃げようと決めれば、悟空と二人でなら逃げおおせると思った。どんな活路も、開いて行くだろう。
 この膠着状態を何とかしたかった。
 捲簾も天蓬も、金蝉の視線に気付いた。捲簾が天蓬に目を向けると、彼は素早く決意を固めたようだった。
  達まで、目測二十メートル弱。
 天蓬は、天帝達のやり取りに呆けている軍人達を横目に、ゆっくりと深呼吸をする。
 自分も と一緒に生きたかった。
 彼女の隣で。もっと新しい世界を感じ、安らいでいたかった。
 出来る事なら、それを彼女に返したい、と願った。
  の幸せを想いながら、悟空の笑顔を思い出しながら、天蓬は走った。












**ラスト四話。
*2006/12/28up