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桜華別路之禍梯第参拾壱話「」之弐





 しかし、普賢は冷静に対処する。空気中の水分を冷やし固めて氷を作り、即座に分解させた。氷の塊から大量の水が出来上がり、膜状に普賢を包み炎攻撃を無効化する。 の力も大したもので、作り出した水は殆ど蒸発してしまった。
 細やかな蒸気に目を細めると、 が飛び込んで来た。予測していた普賢だが、 の素早さと馬鹿力には敵わない。
 普賢は声を出す暇もなく、 に攻撃を許してしまう。懐に一撃。骨の砕ける音がした。続いて、至近距離からの気弾攻撃―…。
 「パァオォンッ!」
 危機を感じた白象が、見事普賢を救う。白象がじたばたと身体を捻ったお陰で攻撃は何とか躱せたし、 を少し弾じき、距離を取れた。
 「ありがとう!」
 痛みを感じながらも、普賢は治癒を試みる。集中力が必要な行為だが、 は待つ訳がない。金色の瞳に普賢を映した彼女は口元を僅かに上げる。
 それを見た普賢は、言い様のない危機を感じた。咄嗟に、防御結界を張るべきか、 の攻撃に応じて最良の防御法を取るべく様子を見るか迷う。一口に防御結界と謂っても、相手の攻撃によっては全くの無駄になる。
  と普賢は、同時にその場を離れた。
 「いちばんたべたいの、あなたじゃない」
 唐突に が紡いだ言葉は、辛うじて普賢の耳に入る。鈴が鳴ったような、 の声。
 彼女の言葉と声の余韻を感じつつ、普賢は空恐ろしくなる。 が獲物を前に、舌舐りをしたのだ。僅かに見えた舌の赫さが、普賢の反応を遅らせる。
  の姿が視界から消えた時、普賢にはあの赫い舌が残像のように、空に咲いたと思った。何という事だろう! 彼は自分の視力の良さを呪った。あの赫い舌に反射した、少しの光に見蕩れたとは。
 心中で呪詛の言葉を吐きながら、普賢は白象を駆り、急降下する。そこには、那咤を抱えた捲簾と文殊が居た。
 この乱闘の中、那咤を放って置いては取り返しがつかなくなる可能性が大きい。捲簾の提案により、那咤は二大菩薩に保護されようとしていた。
  の狙いは那咤太子。
 彼女の言葉を聴き、理解出来たのは普賢だけ。文殊が青獅子を仕掛けて、 を凌いだが、観音と合流する事が難しくなった。あと僅か三百メートルの距離が、やけに遠く感じる。
 観音は未だ姿を見せない悟空を警戒しつつ、甥の治療に当たっていた。観音も治療術は心得ていたが、普賢ほどのものではない。普賢は、再生医療のスペシャリストだからだ。
 得体が知れないとはいえ、たかだか一人の子供相手に何という無様。普賢は を捕まえるよりも、金蝉の治療に当たろうと決めた。自分なら、何とか呪いの進行を遅らせ、死に行く金蝉の生命を取り留められるかも知れない。
 「観音、文殊を助けてあげて!」
 「ああ、任せとけ!」
 手合わせをする余裕もなく、二人は自分の役割に向かう。普賢は真言を唱えながら、フルパワーで再生治療を始めた。
 一方、文殊と観音で を引きつけたは良いが、迂闊な攻撃が出来ず、かといって捕らえようにも近付けず、捲簾と那咤を普賢たちの所まで行かせるのに精一杯だった。
 「っあー、もう! おい文殊、埒が明かねえ! 俺の瑠璃瓶とお前の遁竜椿―…ってをいィ! 早く捕らえろー!」
 「無茶を言うな! 近付けんだろう!」
 文殊の宝貝・遁竜椿とは、三つの輪から成る捕獲系宝貝である。隙を見て何とか捕らえたい所ではあるが。
 「観世音、何とか動きを止めろ!」
 「ああ」
 観音は左手に瑠璃瓶を出し、真言を唱え始めた。すぐさま中の水が反応を示す。真言を唱えつつ蓋を外すと、音をたてて水が溢れ出した。水は観音の意志に従い、如何様にでも形を変える。
 たっぷりと空中に浮かんだ水は、表面を剣山の如くに姿を変え、 に襲い掛かった。
  は焦りもせず、相変わらずの気弾攻撃だ。連発しても、水はなくなる訳ではない為、多少飛び散っても即座に集まって へ向かう。
 ギリギリまで引き寄せ、 は躱せたと思った。だが、水は を追い掛け、驚く彼女を包み込む。
 ゴポリ、と が息をした。酸素を求めて水から出ようとしたが、纏わり付く水がそれを許さない。 が観音を睨み付けると、眼前に文殊が現れた。
 「改・遁竜椿!」
  の自由を奪った水は、観音の意志に因り遁竜椿だけはすんなりと通した。遁竜椿は の両足、両手に嵌まり、最後の一つは残りの二つを引き寄せて両手両足を纏めて捕らえる。 は膝を折り、正に手も足も出ない状態だった。
 連携プレーにより、 捕獲成功。
 観音は溜め息を吐いて、瓶に水を戻し始める。墜ちそうになった は、文殊が青獅子と共に助けた。 は我に返ると、じたばたと暴れ出す。暴れる に手を焼きながら、文殊は観音に近付いて行く。
 「こんなチビッコい野猿に手子摺るなんてなあぁ」
 がっしりと の頭部を掴み、観音は短く真言を唱えた。観音の神力が具現化し、 の額を覆い出す。
 「地の封印、か」
 文殊が呟いた時、観音と文殊の真下から轟音が響いた。
 『なっ!?』
 驚きの声を上げた次の瞬間には、地面が砕け、中から人影が飛び出して来た。
 土煙の砂の中、出て来たのは。
 爛々と金色の瞳を輝かせた、悟空。
 悟空は戦う悦びに満足していた。これ以上ない、というくらい笑っている。
 悟空が飛び出て来た衝撃で、観音は の力を封じ込め切れなかった。 は文殊の手を離れ、青獅子から落ちる。背中を打ち付け、痛みに顔を歪めたが、そのまま転がって距離を取った。
 捕らわれの を見た悟空は、獲物を狩るチャンスに雄叫んだ。早くあいつの血肉を啜りたい! と、その一心で悟空が走る。
 観音も文殊も、体勢を立て直せず、止める事が出来なかった。
  はがぶり付かれなければ良いと思い、悟空を睨み付ける。そんなことで怯む相手ではないが、呼吸を整えつつ、反撃の隙を窺った。身動きは取れないが、致命傷でなければやり返せると思っていた。
 悟空が に飛び掛かった時、観音が飛ばした蓮の乗り物が悟空を突き飛ばす。余りの勢いに、悟空は 諸共吹き飛んだ。
 「あ、ヤリ過ぎた」
 姉弟が痛みに頭を振りつつ起き上がると、普賢の白象が六牙を剥き出しにし、大きな片足を振りかぶっていた。大きな足音を立て、白象が足を振り下ろす。
 折角の獲物を潰されては堪らないと、悟空は を引っ掴み、跳躍した。 と悟空の眼が、同時に地上の那咤を捉える。
 悟空は柔らかい肉と、温かな血を求めた。 は血肉よりも、清浄な気を欲した。
 あれが食べたいの、と悟空に眼で訴える。
  に那咤を食べさせてから、自分が を食べれば、さぞ美味だろう。のどを鳴らした悟空は、 を抱えて白象を踏み台にした。新たに得た跳躍力で、一気に那咤までの距離を詰める。
 普賢は金蝉の治療を止め、太極符印を構えていた。
 「那咤は殺させない!」
 攻撃のタイミングを計っていると、 が天蓬と捲簾へ目掛けて爪を伸ばすのが見える。てっきり目標は那咤だと思っていただけに、普賢は慌てた。
  が伸ばした五本の爪は、地面を抉り、砂を撒き散らす。目眩しにまんまと掛かった普賢や天蓬たちは、反応が遅れてしまった。
 その隙に、悟空たちは着地する。おまけとばかりに、悟空も地面に気弾を打ち込み、更に周りの視界を悪くさせた。
 那咤との間と阻むのは、傷が塞がったばかりの金蝉のみ。邪魔をするものは、何もないと同じ。
  が那咤を食べる間、悟空は金蝉でも食べようかと思った。辛うじて生きているようだ。肉が硬そうだから、なぶり殺しが良いかも知れない。唐突に、腹が減ったと感じた。
 自由に動けない は、悟空に抱えられたままで那咤に噛み付こうとする。爪を伸ばし、爪からも精気を吸い取るつもりだ。早く食事を済まさないと、また邪魔が入る。
 ああ、やっと。
  が目を細めた瞬間、彼女の瞳に金の光が煌めいた。
  の口には、華奢な肩が入り込む。血と肉と骨の硬さを感じながら、急に視界を塞いだ人物を、まじまじと見上げた。
 瀕死で動ける筈もない金蝉が、身を乗り出して那咤を庇ったのだ。
  の爪の一本だけが、那咤に届いていた。
 「意地汚ねーぞ」
  は驚きながら、少しだけ顎の力を緩める。金蝉と交わす視線。僅かな、沈黙。
 「…わたし、あなたもほしい」
 「くれてやるよ。…喰うなら俺だけにしとけ。他は腹を壊す」
 すきだからほしい。それはわたしのもの。おいしくたべてあげる。
 今度こそ、いただきます。

 「……嫌」

 嬉しそうに口を開く に見蕩れていた金蝉は、突然の の台詞に面食らう。金蝉ののど元で、小さな が震えた。
 「嫌。食べたくない。食べたく、ない!」
  の絶叫に、悟空は彼女を金蝉から引き剥がす。勢い、金蝉を貫いたままの爪が引き抜かれ、またもや金蝉は絶望的な傷を負った。
 僅かに唸り声を発する悟空が、 の頬を張る。彼女は啜り泣きながら、地面に落ちた。
 最早抵抗力のない金蝉は捨て置かれ、悟空は那咤を拾い、 の前へ付き出す。 は、滲む視界で那咤の形を見付ける。
 「那咤…」
 食べたい。
 食べたくない。
 食べたい。
 食べては駄目。
 「悟空、もう止めて。これ以上は無意味よ。私たち、後悔してもし切れなくなる」
 悟空は、泣き止まない に見切りをつけた。
  はそのまま、殺して食べよう。
 悟空の殺意が膨れ上がった時、いつまでも傍観に徹してはいられない観音たちが一斉に仕掛けた。
 「壱ッ!」
 普賢は炎の鞭で悟空の気を逸らせた。
 「弐ィ!」
 観音の甘露水が、悟空を飲み込む。
 「参ッ!」
 文殊は、素早く から外した改・遁竜椿の一つで、今度は悟空を拘束した。
 「これで終いだ!」
 悟空の頭に手を当て、観音は金鈷を作る真言を唱えた。
 普賢は金蝉の傷の手当てをしようと、屈んで診察したが、傷の深さに目を細めてしまう。特に肩口の損傷が激しい。
 「金蝉君…」
 「普賢真人様、頼みがあります」
 金蝉は困ったように笑い、目を瞑った。
 戦いの音が止むと、生き残っていた軍人は、天帝、菩薩たちの姿を捜す。天界兵唯一の生き残りは、必死に現状把握をしようとした。異端児を捉えるどころではないレベルの戦い見せつけられて、恐々と。
 遠巻きに見て、異端児たちは倒れているようだった。立っているのは、天帝、観音と文殊、天蓬と捲簾の五人。
 「ここから一番近い桜は、門の外だよ。下界へ通じる道の前。見送りの桜門」
 「連れて行って下さい。悟空と、 と、一緒に桜が見たいんです」
 「…判った」
 普賢は頷くと、観音に目で合図を送る。観音は無言で返した。
 「蓮に乗せてやる」
 金蝉と気絶している悟空を乗せ、大輪の蓮はゆっくりと移動を始めた。観音は の様子を窺う。 は泣きながらも、自我を保っているようだ。
 「… 、お前は少し待て。俺が禁錮を嵌め直してやる。そのままじゃ危険だろう」
 「お願いします」
  が禁錮を付けている間、文殊は天帝の動きを警戒していた。互いに様子を探り合っている状態。いつ攻撃を仕掛けられてもおかしくないと思う。自分の師匠に対し、少し後ろめたい気持ちはあるが、今は 達を攻撃さる訳にはいかない。
 何より、昔ほどの信頼を置いていない事が、彼に躊躇いを捨てさせた。
 「天帝。いえ、師匠。お願いです。貴男様の御慈悲をお分け下さい。今暫く、彼等を自由にしてあげて頂きたいのです。せめて、観音の甥の命が尽きるまで」
 天帝は答えなかった。
 「師匠、何卒…」
 「…予は手を出さん」
 「ありがとうございます!」
 青獅子をその場に待機させ、文殊も門の外へと急いだ。



 見送りの桜門は、天界を出る為に踏む最後の地。
 桜の中でも、最も寿命が長いと謂われる、彼岸桜の大木が二本植えられていた。
  は涙で濡れる頬を、金蝉の頬に寄せる。
 「泣くな、
 金蝉はそっと、 の頬に接吻た。
 「 、悟空が起きたら、やはりお前達は下界へ行け。良いな?」
 「金蝉、それは、もう…」
 「場所なんざ、何処でも良いが、元気に生きてくれよ。もっと大きくなれ。生きて行け。生きて、生きて、生き抜けよ。お前達は自由を手にするべきだ。奔放さを失わず、何処までも歩いて行けるだろうから…」
  に出来たのは、声なく頷くことだった。
 「準備、整いました」
 天蓬が下界へ行く為の、緊急プログラムを作動させ、下界への道を開いていた。本来ならば、ワープ装置作動は門の外の見張り塔で行うことだったが、ある階級以上の軍人には緊急時の為に、機密扱いのパスコードが知らされていた。後は、パスコードを打ち込むだけ。
 「金蝉も、一緒に行こう。まだ早いかも知れないけれど、きっと、下界でも桜が咲いている頃よ」
 「下に着くまで、持たねえよ」
 金蝉は力なく笑った。
 「それでも、最期まで、金蝉と一緒に居たいの。お願い。そうじゃなきゃ、私は行かない」
  は震える声を絞り出し、訴えた。更に言い募ろうとした時、突然、脳に直接響くような低音の声が木霊した。
 「金蝉童子が死んでも死ななくても、ここから先へは、行かせないぞ」
 現れた影につられ、観音が上空を睨む。
 「お前は…」
 そこには、白銀の躰を持つ龍が一匹。赤い眼で眼下を睥睨していた。












*2007/01/25up