桜華別路之禍梯最終話「繋」 また、夢か。 は、暗鬱な気持ちでこれは夢だと認識した。 今度はどんな夢…いや、過去だろうか。 自分の過去の記憶を、夢で繰り返し見続ける。 とても、楽しく綺麗な思い出ばかりだが、そこから続かない事を知っている。その先がない事を、判っている。 だから今、ここに繋がれているのだ。 顔も名前も判らない人達との日々を、ただ、回顧する。 月と星だけの光量のもと、大量に吹雪く桜の花弁が視界に入った。 これは…。 嗚呼、駄目。 私も、桜の花弁に埋もれて、死にたかったのに。 この先に、あの別の夢で見た人達に出会える予感があっても。 同じ魂の人達であったとしても。 別もの。 別人。 だから。 だから。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 会いたいけれど、会いたくない。 まだ。 だって。 だって。 まだ今の貴男達と、一緒に生きていたいのよ。 だからお願い。 隠さないで。 雪のように降り積もる桜の花弁は、私の大切な人達を埋めてしまう。 隠さないで。お願い、お願いだから。 避けられないのなら、私も一緒に連れて行って。私も、そこで、休みたい…。もう、疲れて立ち上がれないもの。 男の声が聞こえた。 には、背筋が凍るほどおぞましく、また、焼き殺してしまいたいほど憎らしい声だった。 「お前の負けだ、 。大人しく捕まれ。お前の言う通り、命までは奪わない」 もう一人の男は、眉を顰めて訊いた。 「…そこまで御慈悲を掛けられますか」 「そこで死んでいる軍人二人を殺した異端児達でも、我が仏教は命を奪わない。更生の機会を与えて世に慈悲を見せる。良いか、予達が直接情けを掛けた、という点が重要なのだ。そして、大量虐殺犯二人を、圧倒的力で以て捩じ伏せた。この事実も、跋扈する妖怪共や他の信者達、異教徒達に伝わるだろう。益々、株が上がるというもの」 「成程」 は吐き気を覚えた。過去の彼女も、同時に。 花果山の仙岩になっていた では、奴等を倒す事は出来ない。 いや、奴等はこの際どうでもいい。 もっと、近くへ。せめて、あの桜の樹になりたかった。 その下には、大切な人達が居る。 名前も顔も思い出せないけれど、五人居るはずなのだ。死者三名、と、あとは―…。 生きているはずの二人は、どこだろう。 憎き奴等の、足元に一人。 もう一人は、まさか、生き埋め? 辺りは地震でも起こったかのような、悲惨な状況だった。破壊の跡がそこら中に見て取れる。桜の花弁は、振動の所為でか大分散っていた。 は、そこで目が覚めた。 そして、目覚めた次の瞬間には、夢の内容は殆ど忘れてしまっていた。 泣いていても、何故、泣いているのか判らない。 何故悲しいのか? 訳も判らず、泣いた。 意識が遠のくのを感じつつ、 は次の夢の始まりを予感していた。 目を開けると、遠くに、過去の自分。 妖力を奪い去る鎖と札で囚われていた。 いつもと違うのは、声が出せる、という事。口元すら覆っていた札が剥がされ、喋る事を許されていた。 「そう、そうくると思った。けれど、どうしたところで、別人にしかなりえないわ。寧ろ、この記憶なんてない方が良いかも知れない…」 「記憶は、お前を含めて六人分取り除く。天界の事は、一切の出来事を忘れさせる。二度と思い出す事はない」 「都合の悪い事は、忘れさせるの? そうして、私と『 』を使役する気? あの異端児共は五百年の時を経て改心しました、とでも謳う気かしら。お笑い草ね。つまらない」 「そう憎まれ口を叩くな。せっかく、また会わせてやると言っているのに」 目線でナイフのように切り付けられはしないが、 はあらんばかりの殺意を込めて、男を睨んだ。 は、過去の自分の視線を見ながら、妙な心地になる。 蜂蜜色に輝く瞳には、遠すぎて相手の顔が殆ど映っていない。小さく、判別し辛い為、ここでも仇の顔は判らないまま。 「『 』は『 』のところね? 傀儡の術とやらは掛けていないでしょう? あの人のところなら安全だわ。後は、正気に戻ると良いのだけど。今も、まだ、あの状態のままなの?」 「そうだ。放っておく事にした。時が解決するだろう」 「ええ、そう願います」 「しかし、目が覚めてもお前達は居ない」 「……そうね」 「『 』の記憶も消してやろうか?」 「彼次第」 は、黙って過去の人物のやり取りを聞いていた。記憶を消されない「彼」について考えてもいた。何故、「彼」だけ消さない? 確か、リアルタイムでも考えていたはず。結局、目の前の男には訊かなかったのか? 鉄柵の向こう側に、男と、自分。男は過去の の居る独房に入っていた。入り口は開けてある。男は、確か地位のある人物だったはず。それが、一人でこんなところまで来たのか。 何か、ある? この続きを、見たい。 何だっただろう? 何か、約束をさせられた気がする。 交換条件で、何かを約束させたはず。 何だ? とても、重要な事…。 思い出せないでいるうちに、 はまたもや目が覚めた。 「那咤の事を、宜しくお願いします」 「ああ、任せとけ。っつっても、大してする事ねーけど。出来るだけの世話はするさ」 恵岸行者は師の観世音菩薩に、最高礼をした。旅の服装をしていて身軽だが、どうにも気が重かった。しかし、いつまでも休んではいられない。 面を上げて、恵岸は弟を見た。 椅子に安置された、目に光の宿らない那咤を。 これこそ、人形だ。 操っていた父親は、もう居ない。 自由になったはずなのに、那咤は生きながら心を閉ざし、現実を拒否し続けていた。 受け入れたくないのは、憎みはしたが、那咤を一番必要としていた李塔天が居なくなったからだろうか。 いや、それには気付いていないはず。天帝の城の最上階であった出来事より、那咤は一度も目覚めていないようだからだ。 そうなると、直前の事が原因なのだろう。観音からの話では、悟空を殺せと命じられた那咤は、自らの命を絶とうとしたらしい。 目が覚めたら、また、殺さなければならなくなるかも知れない。 それを、恐れているのではないか。 が天界から追放された日、那咤は目を開けた。李塔天は死んだ事を伝えても、物言わぬままで那咤は反応を示さなかった。 那咤を正気に戻せるのは、多分、 と悟空だけだと思っている。観音も同意した。 悟空は一週間前に、 は二日前に、それぞれ天界追放の刑が実行されていた。会えるとしたら、五百年後。それまでは面会も禁じられている。更に、記憶を消したというではないか。 また、初めから。 何もなかったかのように、出会わなければならない。 「観世音菩薩、もう、お暇致します」 「ああ、達者でな」 恵岸は、見張り塔での逃亡補助行為を告白し、罰として以後百年間は、天界と下界の騒動の雑務に駆り出される事になった。同時に、他宗教の地域へ二百年間者として各地を奔走するという罰も与えられた。 二郎神も似たようなもので、こちらは今までの地位と実績から、五十年間という短い期間で済まされた。今後も観音の脇侍を勤める役割も考慮されている。彼は、下界で暴れる妖怪達の管理者として既に天界を離れていた。 観音達三菩薩は、それぞれの住まいで謹慎を命じられていた。 それだけで済んだのは、天帝が外聞を気にしたからだ。釈迦に異存はなく、具体的な罰を与えない代わりに、謹慎と仏教版図拡大・信者獲得に協力するよう申し渡した。迷える人間達に、今まで以上に協力的に仏の教えを説くだけ。きっと、こき使われるのだろう。 恵岸が出て行った後、観音は自室に戻った。象さん如雨露を手に取り、中庭へ行き、プランターの花達に水をやる。 「残念だったな。やっと咲いたのに」 が持って来た種から育てた花。 以前は、気紛れで種を蒔いた事があったが、上手く育たなかった。後で知った事だが、病気に罹りやすく、特に種から育てるのが難しい花だった。 達が来る前、観音の下へ届けられて枯れた花の中から、適当に種を見繕って埋めてみたのだが。大昔にも、せっかく蕾まで付いたのに枯れさせてしまった事があった。 それを知った が、球根や種を持ってやってきた。一年中楽しめるように、と。 「不変のものが、嫌いなのでしょう?」 「嫌いっつーか、つまんねえじゃんか」 「ここで、育てて欲しいの。私も、面倒を見るから」 「…いーけど」 思えば、あの頃から、既に決めていたのかも知れない。 天界を離れる事を。 いや、そんなのはとっくに決めていた事だったはずだ。金蝉のところで育てても良いはずなのに、ここへ持って来たのは、必ず後で育ててくれる人が居るから、だろう。 天界を出て行く時を、計っていたのか。 最初に咲いたのは、チューリップ。次に、ゼラニウム。まだミヤコワスレも控えている。 先月植えられたのは、ガーベラとフリージア。 の事だ、適当に選んだ訳ではないだろう。きっと。 気になったので、植物図鑑で調べてみた。色や品種によって違うのだろうが、手持ちの図鑑には簡単にしか書かれていなかった。 「ガーベラは、我慢強い、神秘、崇高美、究極美。何だ、俺の事か?」 観音は、ごく普通にそう思った。 「あとは、希望、常に前進…」 自分の願い、希望へと邁進していった に似合う気がする。 「チューリップはそこそこの種類載ってんな。このチューリップはアップスターっつーのか。えっと、チューリップは天真爛漫…。悟空の事か? 美しい瞳、愛の告白、失恋、新しい恋、不滅の愛、恋する年頃、疑惑の愛? おいおい、一杯あんなあ! つか、矛盾してねえか?」 ゼラニウムは、慰め、真の友情、決意、快心、堅実、メランコリー。そして。 「……君在りて、幸福…」 フリージアは、愛想の良さ、親愛、あどけなさ、慈愛、純潔、無邪気、そして、未来への期待。 「ミヤコワスレは、憂いを忘れる、暫しの憩い、…別れ。また会う日まで…。ンだ、何のメッセージのつもりだあの馬鹿娘」 計画的確信犯、決定。観音はそう結論付けた。 色付いた蕾を指で軽く突いて、 を想う。 「五百年後には、何か、花束でも贈ってやっか」 ゼラニウムのプランターを持ち上げ、呟いた。 「君在りて幸福」 その言葉を噛み締めて、息を吐く。長い事生きてきたのだから、失ったものは沢山ある。花の数、星の数ほどに。 可変のもので、気が紛れるとでも? 初咲きを見れなかった事は、 も残念だろう。もう、覚えていないだろうけど。 ゼラニウムを持って自室へ帰る間も、ずっと の事を考えていた。思い出ばかりに浸って入られない。時間はある。彼女は助けを必要とするだろうか? 放っておいても、一人で考え、実行する彼女が。 一人勝ちなら、出来たかも知れない。 でも、 はそれを選ばなかった。 また、求めるだろう。 天界から下界に落とされ、尚且つ、人間に生まれ変わらせられる奴等を。 山の上に閉じ込められた半身を。 空に居る、友達を。 は、 に出来る事をした。 観音も、自分の出来る事をしなくては、と思う。 何がしてやれるだろう。 見守る以外に? それを、ゆっくり、考えよう。 「なあ、綺麗に咲いたぜ、 」 散っても、散らされても、彼女なら、自力でまた綺麗に咲き誇るだろう。 は、そんな少女だ。
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