桜華別路之禍梯第伍話「距」 「おや、暫く来ないうちに、随分と賑やかになりましたねー」 金蝉は、突然の来訪者にぎょっとした。にこやかな表情に、眼鏡、白衣、便所下駄、そして煙草。天界広しといえども、この特徴に当てはまるのはこの男以外に居ない。 天蓬。 天界西方軍の元帥なので、天蓬元帥と呼ばれている男だ。天蓬は、こちらに背を向けて黙々と分厚い本を読んでいる少女に目をやる。 「もしや、あの子が?」 散々に物が散らばっている床を指差す。紙飛行機、折り鶴、あやとりに使ったのか毛糸の輪、紙兜に落描きされた紙――…。知恵の輪まである。解いてある方は、金蝉の机の端に乗っていた。 天蓬は解けていない方の知恵の輪を拾い、少し遊んでみた。 「まあな。大抵はあいつの弟が散らかしてそのままだ。片付けもせんと、どっか行きやがった」 不機嫌な顔が、ますます不機嫌になる。 「ああ、二人もですか。大変ですねえ、年頃の子供を持つ親は…」 「黙れ天蓬」 二人のやり取りを聞きながら、 は煙さ加減にうんざりしていた。あの男が部屋に入って来てからというもの、奇妙な匂いがする。 (私、この匂い駄目だわ…) は知らんぷりを決め込んでいたが、そろそろ我慢の限界だ。鼻が良いのも困りものだと思う。 場所を変えようと思った矢先、悟空が帰って来た。 「 ー、金蝉ー!」 ひょっこりと入り口に現れた小さな少年。天蓬を見てくりくりとした大きな眼を瞬かせ、きょとんとした顔になる。 悟空と天蓬は、挨拶を済ませたところで早速仲良くなった。天蓬が、挨拶前におじさん呼ばわりされたことが気に入らなくてか、「天ちゃん」と呼んで欲しいと言う。 了承し、わーいと喜ぶ悟空と、煙草を燻らせ微笑む天蓬に、金蝉は知らず頭痛を覚えた。 「何が天ちゃんだ。お前何しに来たんだ?」 「噂を聞きましてね。下界から連れてこられた子供を、貴男が預かった、と。どんなことになっているのかと興味をそそられまして」 要は冷やかしかよ、と突っ込む気力は失せた。のほほんといつもの笑みで言われては、何を言っても…と思ってしまう。 話が最近の天界軍の動向に移った。金蝉にはさして興味のない事だったが、丸っ切り無関心と言う訳にもいかない話だ。 天蓬は話が一区切りしたところで、知恵の輪解きを再開する。四つ目が外れた。 「あ、それ! 俺出来なかったんだー。天ちゃん出来そう?」 悟空が難しい顔をし、天蓬の手にある知恵の輪を睨む。 「ええ、もう少しで解けそうですよ」 喋っている間にかちゃりと音がして、五つ目の輪が外れた。 「うわ! すげー!」 天蓬から輪を受け取って、悟空ははしゃぐ。 「処で、あちらの子は…。あれ? さっきまで居たんですけどね?」 そろそろもう一人の方も、と思って話を振ったが、肝心の少女は居なかった。 「隣の寝室だろ。…いつの間に居なくなったんだ?」 疑問がる金蝉と天蓬をよそに、悟空は寝室へ続くドアを開けた。 「 ?」 「御免、そこ閉めて」 ドアから正反対の位置で、 は小さくなって本を読んでいた。悟空の方を見もしない。室内は電気がついていなかった。窓から入る明かりだけで過ごしている。 「 何やってんだよ、明かりぐらいつけろって!」 「早く閉めて」 声音が多少低くなったのを聞き分けた悟空は、ドアを閉めようとする。しかし金蝉に遮られ、閉められなかった。 「何やってんだ。客に挨拶の一つも出来ないのか」 不機嫌な声だ。そんな金蝉の後ろから、天蓬は少女の姿を見つける。黒髪が僅かな光でも艶めき、小さな背中を覆っていた。金色の眼を観てみたいが、叶いそうにない。 「いいんですよ、金蝉。…ただ、あの子の名前は?」 「 」 金蝉に代わり、悟空が呟く。心配そうに の背中を見つめている。 「そうですか。では 、僕は天蓬です。宜しく」 が見ていなくても、天蓬はにこやかに挨拶をした。 自己紹介されては無視も出来ない。仕方なく、 は後ろを向く。 金色の双眸が、確かに天蓬を捕えた。視力が良いので、暗がりで距離があっても、天蓬の顔は見える。その右手にある、煙を発生させている物体も一緒に。この際見なかったことにした。 どうして悟空は平気なのだろう。 「ええ、宜しく、天蓬さん」 彼の視線を感じつつ、軽く挨拶を返した。少し遠いので、いつもよりボリュームを上げて言った。 この時は、どうにも天蓬が好きになれそうになかった。 正しくは、天蓬自身が、ではなく、彼の所持品が…。
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