桜華別路之禍梯第捌話「視」 「変わった色の桜ね」 は桜の木に近寄って、繁々と花を眺めた。薄黄…いや、薄緑の桜の花だった。 が今まで目にした桜は、白、或いは桃色。この桜の木が何と謂う種類の名前なのか、また、何故薄緑の色をしているのかが気になる。図鑑を持ってくれば良かった、と思う だ。 「形が違う桜もあるし、この辺りの桜は特別なの?」 をここへ連れてきてくれた男は、離れた所で風に騒めく桜を見ている。答えは返ってこなかった。 「金蝉?」 やっと の呼び掛けに気付いた男は、視線だけを に呉れる。 はもう一度同じ事を尋ねた。 「ああ、まあな。ここの管理者がちょっとした桜好きでな、何十種類もあると聞いた事がある」 それを聞いた は、植物図鑑を持ってくれば良かったと、本当に残念に思った。 余り強い風ではないが、風が吹く度に少しずつ花弁が舞い散る。 暫くの間、 と金蝉は無言で見守った。 花の命が散り行く様を。 「綺麗ね」 「そうだな」 また咲く為の、通り道。 散る事は、咲く為に必要不可欠な循環。 の足下には散った桜の花弁が沢山ある。その隙間から、草や蒲公英の蕾が見え隠れしていた。 これもまた、循環。命同士の営みの証だ。 巡廻する輪の中に、 も金蝉も居る。そのはずだ。 何せ、天上人は不老不死にも成れると謂う。金蝉は「不死はない」と否定をした上で、長寿である天界人は不死に近しい、と説明した。殺されれば、死ぬからだ。 俄には信じられない。天界の時間の仕組みが全く判らない為、 は何度かやきもきしていた。 はこの問題に関しては、自身の好奇心を押さえるのに、時々とても苦労を強いられる。自分の事なのに、コントロールが効かなくなりそうなのだ。今のところは、衝動的に行動する事は免れていた。他の「知りたい」には、好奇心を押さえる事なく調べる。今の自分の知識程度では、天界の仕組みは理解出来そうにないと朧げに思っていた。自分の中で納得がいくまでは、手を出さずに取っておきたい問題だった。 「下界の桜と変わりないか?」 「…どうかな。桜は咲いていたけれど、下界のはじっくり見た覚えがないわ。形より、色でしか覚えていないの。とても、とても色濃い桃色の花だった。似た様な桜はあったよ」 「ここにあるものの大半が、下界から植樹された桜達なんだ。術で長生きするものもあれば、時には勝てずに枯れてくものもある。何度か、新しく植えられるのを見た事があるな。苗木から育てられた桜もあった」 「金蝉も育てたの?」 金蝉は を一瞥し、それからさっと辺りを見回した。見当を付け、歩き出す。 は無言の金蝉の後を追い掛けた。 「もう、どれ位前になるのか覚えてもいないが」 そう前置きして、金蝉は昔話を語り始めた。 金蝉がまだ と変わらない年の頃。 観世音菩薩とここの庭園の当代主は旧知の仲だ。甥っ子の金蝉は観音に連れられて、何度も花見に付き合った事があった。酒盛りに付き合わされるのは御免だと思ったが、何せ、それを口実にでも満開の桜を観賞出来るのはありがたかった。 小さな頃は、花を愛でる心もあったのだと、今更の様に思い出す。 熱心に桜が散る様を見ていた気がする。飽きもせず。ただ、じっと。 そんな金蝉を見た庭園の主は、金蝉を桜の植樹の儀に誘った。下界から持って来た苗木を金蝉に植えさせてくれた。 他にも何本か桜の木はあったが、小さな金蝉には小さな苗木を、といったところだろうか。 手は汚れなかった。既に掘られた穴の中に、苗木をちょこんと置いただけ。本当に形式だけの事で、観世音菩薩の甥は土の穢れも付く事はない。苗木を手にした時、払えば取れる程のほんの少しだけ土が付いたが、すぐさま清められた。 実際にさっさと土を掛け埋めたのは、近くに居た大人だった。金蝉は、じっとそれを見ていた。それだけの出来事。 「そいつは後で、観音のババアに睨まれてたっけか」 「最後まで、埋めるまでやりたかった?」 「…いや、どうだろうな」 桜のトンネルにさし掛かった手前で、金蝉は立ち止まる。 の一言が気になった。 果たして、自分は、桜の苗木を埋めたかっただろうか? 人とは違う命を、自分のこの手で。 この手で、根を埋めたからといって、一体何になると? 「誰がやったって、ンなもん一緒だ」 「そうね」 は軽く同意をし、金蝉の顔を窺った。 「昔も、そう思っていた?」 「覚えてねえよ」 それからは、枝垂れ桜の間を通り過ぎ、金蝉が再び立ち止まる所まで無言で歩いた。 「これだ」 金蝉が見詰める先には、薄桃色の花弁を撒き散らす、他の木よりも少し低い桜の木があった。 「…私や悟空と同じ様に、下界から連れて来られたのね」 は前へと進みながら、ぽつりと呟いた。 「まだ、大きくなるのかしら」 桜の木に手を当てて、上を見る。花弁に遮られて、陽射しが弱く感じられた。 (太陽が目を逸らしている訳でもないでしょうに) は見当違いにも、突飛な想像をした。 これだけの華美の共演ならば、目を逸らしたくなる程眩いと思っても不思議ではない。 は、自分もきっとそうだろうと考えた。 悟空なら、恐らく、逆。 眩しかろうが、少し位目に痛いだけなら、真っ直ぐ視ようとする筈。 真に視たいものならば。 そこまで考えて、金蝉を見た。彼は目の前の桜を、目を細めて眺めている。金色の髪が光を照り返し、周囲の桜と相まって、いっそ幻想的ですらある。 幻想的、というのは謂い過ぎとしても、 は思わず目を瞑った。焼き付く光景を消し、目を開く。金蝉は、 を視ていた。意識して、 も金蝉を「視る」。 目を逸らした方が負けだろうか…。 はそう思った。 しかし、逸らす前に、花吹雪が視界を覆う。強く吹いた風で、 の髪が揺れた。両手で髪を庇いつつ、金蝉や悟空のように髪を纏めようかと考える。 そういえば、あの時は、髪など庇いもしなかった。 「初めて会った時も、桜の下だったな」 金蝉も同じ事を思い出していた様だ。 「ええ。とても強い風が吹いて、桜の花が沢山散ったわ。それが、凄く、綺麗だった」 金蝉はゆっくりと目を閉じ、同じだけの時間を掛けて開いた。金蝉自身の中で、受け止めて、許容。 何かを決意した。 はそう感じ取る。 「何?」 先手を打って訊いてみる。いつものようにだんまりでは気になるから。 「まだ、口で言える程じゃねえと思うんだが」 それでも、 に伝えたい事があるということなのだろう。彼女は先を促す意味で軽く頷いて見せた。 「お前達姉弟が何時まで天界に居るのかは知らねえが、いつか出て行くまでは、俺の所に居ろ。観音の命令どうこうじゃなく。天界人達は恐らく、お前達を下界に帰す気はないと思う。だけど、 、お前はいつか、ここを出て行くだろう?」 「多分」 「なら、それまでの間は、一緒に暮らそう。…今更だがな」 数歩の距離を、金蝉はゆったりをした歩調で縮める。 の目の前で、金蝉は少し、口角を上げた。 の髪に付いている花弁を丁寧に払いながら、笑みの形を深めていく。 「ありがとう」 の中にあった、金蝉への警戒心は完全に消え去った。只でさえ、他の人達よりはとても小さくて、薄くて、吹けば吹き飛ぶような代物であると観察していながら、心の内に降りたそれ取り払わずにいた。 「今度は、俺がちゃんと…」 金蝉がはっとして言葉を止める。 今度。 彼が言葉を切った事で、それが何なのか、 はすぐ感付く。あの苗木の事だ。 「勿論、それでも構わない。そう思ってくれた事が、とても嬉しい」 がそう囁けば、ふっと金蝉が笑う。 「今度はちゃんと俺の意志で決めた事だ。最後まで、面倒見てやる」 「うん」 「だから、もし、出て行く時は俺に言ってからにしろよ。勝手に出て行く事は許さなねえぞ」 「判った」 暖かい土を掛けて、水をやって、育つのを見守ろう。側で見守ろう。 いつまで続く事か、判りはしないけれど。 当てや約束はなくとも、慈しむ事は出来る。 後で思い出して、後悔はしたくない。 もう、子供ではないのだから。 見ているだけでなく、この手で護る時が来るかも知れない。何からか、は、到底想像がつかないが。 金蝉は、その考えが期待外れであることを願った。 風の騒めきが中々止まない午後。 金蝉は の提案で、彼女と一緒に桜の木に背を預けて桜狩りを楽しむ事にした。 「他に、まだ咲いていない桜もある。ここの桜が散ってしまっても尚、桜と謂う花が見たいんだと。この庭園だけじゃない。天界は、そんな所だ」 「散るのが良いのかしら?」 「さあな。俺には、良く判らん」 「散ったり、枯れたりしても、時期が来ればまた咲く。元通り。厳密には同一ではなくても、また桜を楽しめる」 「あんまり考えるな。どーせ、長い間死ねやしない、死ぬ気もない奴等が綺麗に咲いて散る様に悲観がりたいだけなんじゃねえのか。で、再確認する訳だ。自分はそんなんじゃない、ってな」 金蝉はとことん興味なさそうに呟いた。 「金蝉は、それを再確認したら、どうなる? どう、思うの?」 の問いは、いつも金蝉を困惑させる。 「どうって…。どーもしねーよ」 面倒臭い事を訊くな、と言って、金蝉は寝転がる。下から、 の金の両眼を眺めてみた。 「考えように因っては、見出そうとしている訳よね?」 「……何を?」 聞き返す金蝉に、 が微笑んだ。実に柔らかに。金の瞳が三日月を象る。 彼が今まで見てきた にはない表情だった。金蝉は、今日、自分が久方振りに笑った事を思い出す。 眩しく思えたから、少し目を細めた。瞼を閉じたくはなかった。逸らしも、しない。 「 は、何を見付けたいんだ? いや…、何を見付けた?」 「希望」
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