ドリーム小説 夢 捲簾 外伝 最遊記

桜華別路之禍梯第玖話「






 悟空は息を殺して隠れていた。
 場所は天帝の城地下。懲罰房と呼ばれている所だが、悟空が知る筈はない。隠れ場所を探している間、鉄柵の向こうに自分の手足に嵌まっている鎖と同じモノを幾つも見たが。
 血の匂いもした。
 妙な所へ来てしまったと、後悔したが遅かった。追っ手は、もうすぐそこまで来ているだろう。感じる。次に見つかったら、イーヴンだ。
 しかし悟空にとって、追っ手に見つかるということは終わりを意味する。次また勝てるかと考えるが、少々自信がない。同じ手が二度も通用するだろうか?
 相手は容赦しない人格だ。負けたくない。その一心で、素足に酷な環境でも我慢出来た。

 「…何だありゃ」
 上官に報告を済ませた帰り道、捲簾は二人の門番に追われている子供を見た。
 長い黒髪に、小さな体。足が速いのだろう、大の男二人に引けを取らず、かなりの距離を保っていた。一度も後ろを振り向かず、ひたすら走っている。
 距離が近くなったので、声が聞こえた。待てだの、もう許さんだの。以上の台詞から推察するに、子供と愉快に鬼ごっこという訳ではないと思う。
 天帝の城内に、子供? ああ、枷が見える。あれは、もしや…。
 子供が角を曲がり、こちらに来る。相手は捲簾に気付いた。逃げ場がなくなったと思ったのか、手摺りを飛び越えようとする―…。
 「馬鹿、いくら二階でも―…」
 捲簾が言い終わるより早く、子供は飛び降りた。すぐに下を見る。見事に着地を決めて、北門の方へ走り去って行った。遅れて、やっと門番が到着する。
 「け、捲簾殿。すみません、城内に不審な子供が入り込みまして」
 息も絶え絶えだ。あの子供は相当逃げ回ったらしい。
 遠目に見えた瞳の色は、間違いなく黄金色だった。昼前に出会った悟空の姉が来ている。
 何をしに来たのだろう?
 「あの子供、一体何の為に来たのだか…」
 門番の一人が口に出す。
 「案外、おとーさんを捜しに来たのかもよ?」
 捲簾は地上を見たまま答えた。何故か九割方ハズレだろう、と思いつつ。

 天蓬の部屋で一服しようかと考えていた矢先、捲簾は先程の子供を見付けた。建物沿いに、ゆっくりと移動しているところだった。こちらは西門。北門からは出ずに、まだ中に居たのだろう。北にも西にも門番は居るし、詰め所だってある。
 「おい」
 捲簾は思い切って声を掛けた。子供はすぐ気付き、立ち止まる。
 「逃げんなよ? 何も怒りゃしねーよ。ただ、こんな所で、一人で何してる?」
 「…弟を捜しています」
 小さな声で答えてきた。理由は似たようなものだった。
 「勝手に入ってごめんなさい。弟を見付けたら出て行きます」
 「…一緒に捜してやろうか? ここは広いからな、俺は頼りになるぞ」
 「お気遣いなく。では」
 さっさと会話を切り上げて去ろうとするので、捲簾は慌てて追いかける。また門番やら何やらに見つかれば、厄介なことになるのは必死。今この城に、子供とはいえ容赦しなさそうな人物は何人も居る。この少女はただの子供でもない。異端の、金の眼。
 「!?」
 少女の左腕を掴んだが、細い子供の手とは違う、重み…。枷の重さとは、不釣り合いなほど細い体つき。両手両足にそれを嵌め、服にまで付けられている始末だ。悟空も同じだった。
 じゃらりと、鎖の音が響く。
 「何ですか?」
 少女は落ち着き払っていて、金の両眼でじっと捲簾を見た。
 名前は、何だっけか。そう、 だった筈。
 「お前さん、 だろ?」
 「はい。貴男は誰ですか?」
 「天蓬は知ってるだろ。あいつのオトモダチで、捲簾だ」
 「そうでしたか。私は金蝉童子の館に住んでいます。また会えるかもしれませんね。先を急ぎますので、放して下さい」
 捲簾の手を振りほどこうとするが、そうはさせない。厄介事に巻き込まれては可哀想だ。一緒に居た方が安全だろう。
 「だぁから、手伝ってやるってば。大人の言うことは聞いとけ。ここには危ないことが沢山だからな」
 「天界には争いがなくて、平和なのでしょう? 危ないとは何ですか?」
 「色々あんのよ。とにかく、先刻みたいに追っかけられんのはどうかと思うぜ? 騒ぎが大きくなったら大変だろ?」
 一理あると判断した は、捲簾の申し出を受け入れた。
  が望んだ事は、弟を捜すのは、実質自分だけにしたいということであった。捲簾には意味が判らなかったが、 が続けた言葉で得心する。
 隠れ鬼ごっこ。姉弟は遊んでいる最中だった。天界で行ける所ならば、どこでも良い。晩御飯までの、壮大な隠れ鬼ごっこ。一度目は悟空が鬼であったが、どういう訳か はあっさり見つかった。確かにあまり遠くには逃げずにいたが、しかし見付かりづらい場所を選んだだけに驚きは大きかった。
 「だって、匂いで判るもん」
 あんまりな理由だと、 は思う。口にはしなかったが。
 彼女が次に探す側になると、では自分は悟空が判るだろうか? と、神経を集中させて嗅覚を総動員し、悟空の匂いを辿った。
 暫し風にそよぐ数々の匂いから、悟空の匂いを、あの温かな薫りだけを嗅ぎ取ろうとしたのが間違いだったと気付く。
 遠くに行っていては、判ろう筈もなく。そもそも、嗅覚で悟空に勝てる気はしなかった。別の方法を採るか、地道に捜すか?
 ただ、離れていると無性に感じる弟の気配も今はない。
 気、というものがあるとして、 は巧みにその正体を理解する能力に長けていた。常日頃は弟の安否を判断する手段である。
 気配を消す事は、他ならぬ が教えた事であり、弟の身を案じての配慮であった。
 (上手に出来てるじゃない――…)
 感心出来るほど余裕がある訳ではないが、要は悟空の思考を読めば良いのである。
 悟空ならば、どこに行くのか?
 頼りない思考の道筋は勘で補う。
 しかし、結局、 が採った方法は地道に捜すということだった。


 そんな がおやつの時間を思い出す頃、地下に隠れて一時間は経つ悟空はといえば、「…ここ、さみぃ〜〜〜」と、寒さに耐えかねている。ズボンを通して伝わる石床の冷たさは、悟空の限界をとうに超えていた。
 終わりの時間である夕方までの間、過ごせる場所を見付けなくては。牢の隅に縮こまっているのもいい加減飽き、悟空は意を決して立ち上がった。


 初めは、あの荘厳な屋根の上に居るかと考えた。だから、柱づたいに屋根に上ろうとしたのだが、運悪く役人に見付かってしまった。天帝の城の頂上。一番高い所。あの辺りなんて、何気に好きそうなのに…。 は、気持ちを素早く切り替え、逃げる事に徹した。
 あの騒ぎで逃げられたかも知れない。そんな折に出会ったのが、捲簾である。
 「……居ませんでした」
 するすると城の屋根から降りてきた はさしたる落胆を見せず、捲簾に言った。
 「…だろうな」
 隠れるといっても、飾りの後ろにでも隠れるしかない屋根に行くような人間はそういないんじゃないかと思った捲簾だが、見上げた天帝の城は相当な高さである。そこに注意を払う者もまずいないであろうし、やすやすと上り切れる者も、あっさり見当を付けて捜しに上る者も、彼には希有な存在だ。
 「次の当てはあるのか?」
 「……上でないのなら、下です。ここに地下室はありますか?」
 「……あるにはあるが…ホントにそんなトコに行くのかよ?」
 「でなければ、台所辺りでしょうか。何となくですが、このお城に居る気がするので、ここで隠れるならばそのくらいだと思います」
 床下はマンネリだしね、と は心中付け加えた。台所というのも如実に悟空の性質を表しているので、避けるべき箇所ではあるのだが。…何分、良い匂いにつられてふらふらと近寄っているのではないかという気もする。
 「つかな、地下室っつうより、地下牢だなあ。入り口には見張りが居るしで、入れねえよ?」
 捲簾は考えながら、自然と懐に手をやる。馴染みの煙草の箱から一本取り出し、口に銜えた。それを見た が、思わず目で煙草を追う。気付いた捲簾はふと黙考して、
 「コレが気になるか?」
 「………前に見た事があります。…私は、…好きではありません」
 「…そっか。んじゃ、今は止めとこーっと♪」
 にっかり笑って煙草を仕舞う捲簾に、 は礼を言った。
 「…そんなに嫌か? まあ、お子様にはちとキツイかもな?」
  の頭をポンポン叩き、捲簾は先を歩いた。
 大人しく捲簾の後を付いていく は、彼の背の高さに妙な感心をする。金蝉も大きいけれど、…同じ位だろうか。
 履物の分を引かねばならないが、考えようとしている自分に気付き、 は待ったをかける。どうでもいいではないか。
 最近は、自分が警戒心の強い性格だと気付いていた。どうにも、この天上界には、気の許せる人間が居ない。金蝉は別としても。それでは、この男は?
 看ようとしている。観察しようとしている。彼女は自覚しながら、表面上は醒めた目で捲簾の背中を凝視していた。
 庭師たちがせっせと働いているのを横目に、 と捲簾は地下室を目指す。辺りは館を隠すかのように木々が鬱蒼と生息していた。朱塗りの鳥居をくぐり、やって来たのは南館。捲簾の口添えにより、地下に通して貰えるようだ。
 「 、良いってよ」
 「良かった。ありがとうございます」
 「いいって。中はそこそこの広さがあるが…ホントにこんなトコに来んのか?」
 進入も困難なこの地下牢に、子供が入り込めるものだろうか? だとしたら、この南懲罰房の管理状態は由々しき問題になる。今は、既に使われなくなったとはいえ、宝物が保管されている部屋もあるのだ。
 それには、 もすぐに気付いた。
 「…ここは、今は使われていないのですか?」
 人気のない地下牢の入り口で、彼女は問うた。
 「そ。今は、別にもっと堅牢な地下室が出来たんで、皆そっちに移されてるよ。っつても、まだ十年くらい前の話だがな。そっちは本城の下。流石に超厳重警備だから、幾ら何でも忍び込めんだろ。…天上人のエライヒトは頭おっかしーんだろうな、さんざ拷問もしたこの地下牢を、平気で物置にしてやがる」
 入り口から奥まで、何故か点々と続いている血の染みを見遣りながら捲簾が呟いた。 も捲簾の視線に気付く。が、構わずに奥へと進んで行く。しっかりとした足取りなのに、足音がしない。
 捲簾も倣って、足音を消した。
  はただずっと奥を目指して進んだ。捲簾は一応、周りに目をやってみたが人の気配はしない。
 やがて、最奥に辿り着いてしまった。行き止まりの壁には、大きな樽が三つ。左と真ん中の樽には、何と麦が入っていた。捲簾は、こんな所に置かれた麦は一体誰の食卓に行くのだろうと思いながら、 を見る。
 彼女は、右の樽に近付く所だ。右の樽には柴が大量に突っ込まれていて、良く見ると、そこには不自然に小さな穴があった。捲簾があれは何なのか考えていると、 が樽に顔を突っ込む。
 「悟空、見っけ」
 くぐもった少女の声ののち、げっ、と声が聞こえた。
  が樽から離れると、中から茶髪の少年がいかにも不満げな表情で現れる。
 (……本当に居やがった……)
 あの穴は空気の為か? と、捲簾の呆れを余所に、悟空が口を開く。
 「何で判ったんだよーー??!」
  は答えずに「次は悟空の番よ」と、にべもなく告げた。

 悟空は捲簾との再会を喜んだ。そして、まだ隠れ鬼ごっこを続けようとしている二人に呆れて、捲簾は待ったを言い渡す。
 「どうせやるなら、もっと狭い範囲でやれよ。捜すの大変だろ?」
 「やだよ。つまんないじゃん!」
 「…すぐ終わるようじゃ、時間潰しにもなりませんし。隠れに行くとしても晩ご飯までに帰れる距離を選びます」
 「それに、勝った方に今日の晩飯のデザートをあげるって、約束したんだ。まだ一回ずつしか勝ってねーんだからさ、『勝負』になんないじゃん」
 「今日のデザートはイチゴタルトなんです。何でも、観音の所に送られてきた最高級のイチゴを使うとかで給仕のおばさんが張り切っていました」
 双子が代わる代わる喋るが、隠れる範囲がこの天界中と知っては軽く頭痛を覚える。遠くまで逃げたら、捜すも何もあったもんじゃないと思わないのだろうか。
 捲簾は双子の頭に手を遣り、溜め息を吐いて見せた。
 「そんなに暇なら俺が遊んでやるし、美味い菓子も食わせてやっから、途方もない遊びは止めときなさい。もー、しゅーりょーー!」
 「!! ほんと?! うっわー! アリガトな、オジサン!!」
 手放しで喜ぶ悟空だが、捲簾にデコピンを見舞われる。
 「ってえ!?」
 「まだ言うか! 良いか覚えろ! おじさんじゃなく、おにいさん! おにーさんと呼べ!」
 「りょーかい! ケン兄ちゃん!」
 すぐ反応して屈託なく笑う悟空に、捲簾も笑い返した。
 ふと、思い付く。捲簾は、沈黙を守ったままの に向かってニヤリと告げた。
 「 も、ケン兄って呼ぶ事!」
 「……了解」
 控えめに呟く と、捲簾の背中にひっつこうとしていた悟空を両腕に掻き抱きつつ、捲簾は叫ぶ。
 「ようし! いざ行くぞ! 俺ン家!!」
 上機嫌な捲簾は双子を抱き上げようとした。
 ズン…っ
 「っ!?」
 両腕に異様な重さを感じた捲簾が、思わず抱き上げられなかった双子を見比べる。
 じゃらりと音を立てる鎖。
 「………」
 そうだった。あっさり忘れていたが、昼前に悟空を抱き上げた時、先程 の腕を掴んだ時に気付いたではないか。
 「? …どしたの? ケン兄?」
 悟空が不思議そうに尋ねれば、 は今捲簾が何をしようとしたのか気付き、思い当たった事を言う。
 「私達、重いですよ? 重りが付けられてますから」
 自分の両手首に嵌められた枷を、 は無感動に見つめた。悟空は両足の枷を気にして足を動かした。
 「そーなんだってば。これ、取っちゃだめなんだってさ。動くのに辛いとかはないんだけど、金蝉が抱っこしてくれないからつまんないんだ」
 眉根を寄せて呟く悟空。 は、金蝉には文字通り荷が重いだろうと思う。明らかに、双子より腕力も体力もない金蝉だった。もし重りがなくても、金蝉は抱っこなんてしないだろう。
 二人合わせて、総重量はおよそ二百から二百五十キロ。
 申し訳ないが、二人いっぺんには、いかに丈夫な捲簾大将の双肩でも悲鳴を上げよう。
 「じゃ、まずは、ここの入り口までは悟空な」
 よっと、捲簾が悟空を抱えて歩き出す。
 「ぅわ!?」
 「何だ、俺じゃ嫌か?」
 「! ぜんっぜんっ! ヤなんかじゃないっ!」
 驚きの表情が、みるみる満面の笑顔に変わってゆく様を見ながら、捲簾も笑みを零す。
 「こーら、あんま動くんじゃねーよ…」
 はしゃぐ悟空に注意して、 を外へと促した。
 「ほら、行くぞ?」
 瀬玉は黙って後を付いて行く。地上に出た時、次は の番と言われて迷った。
 なんとなく悟空が羨ましかったが、抱っこには抵抗がある。
 「俺じゃ嫌か?」と、腰を屈めて、目線を合わせてくれている捲簾が訊いた。
 「…ケン兄が嫌な訳じゃなくて…何て言うのか…」
 気まずさから目を逸らした に、悟空が後押しをする。
 「 ! 抱っこして貰えよ? 面白かったぞ」
 きしし…と笑う弟に、この複雑さは判るまい。しかし、痺れを切らした捲簾はお構いなしだ。
 「ほれ、高いたかーい♪」
 いきなり抱きかかえられた は慌てて抗議する。何の気なしに、頬が上気した。
 「子供扱いは止めて下さい…! 恥ずかしい」
 「おもいっっきり! 子供だろおが」
 もっともである。 はそれ以上は反論せずに、大人しくなった。
 嫌いな煙草の匂いがしたけれど。
 抱えられているのも、捲簾の体温も、眺めの違う景色も、そう悪くなかった。
 「どーよ、 ?」
 「な! 楽しいだろ?」
 捲簾と悟空の問いに、暫し沈黙で答えて―…
 「……悪くないね」
  は前を見たまま呟いた。
 呟いた後でちょっぴり口角が上がったのをしかと見た捲簾は。
 「そーだろ、そーだろ。お兄さんには甘えとくもんだぜ」
 腕の痛みも重みも忘れそうなほど、機嫌よく微笑んだ。














**ケン兄ですよ。
 原作とは違い、ケン兄に会っても那咤の件はスルーなのです。原作沿い設定からどんどん外れていきますよ。あと数話後じゃないと那咤との再会はありません。ご了承下さいませ。

 ケン兄と一緒に遊びたいなーと思います。楽しそう。そしてちっこい時に会っていたなら、遊び疲れて家まで歩いていくのも嫌になる。そんな時に、抱っこして連れて帰って欲しいー。
 今の年齢だと抵抗感ありまくりな事ですけども。

 2004/07/15辺りに作ったお話9,10話を手直しして纏めました。その為、次回新作でまたケン兄の予定。

*2006/01/12up 2006/04/08に鬼ごっこ→隠れ鬼ごっこへ変更。